【ニューヨーク滞在記】⑥やっぱり野球が大好き!! ヤンキース観戦でアメリカ文化に感動…現地のライター・田中さんとの会食も
旅も4日目を迎えた。半分が終わったところで、最大の目的であるヤンキースの試合を見る日がやってきた。
9時ごろに起床。エリックとナオコさんは朝から仕事に行ってしまい、すでに一人だった。エリック家で過ごす最後の日。荷物を簡単にまとめ、10時ごろ、感謝の念を抱きながらドアを閉めて、出発した。
16時プレーボールの野球の試合前には、重要な会食の予定があった。
お相手は、田中真太郎さん。以前は、「ニューヨークジャピオン」という日本人向けの新聞社で編集長を務めていた方で、現在はフリーライターとして活動されているそうだ。ナオコさんが以前から知っているとのことで、来年から記者になる私にぜひ、ということでセッティングしていただいた。
待ち合わせは、セントラルパーク近くの店に12時と言われていた。少し時間がありそうだ。ただ、博物館などへ行くほどの時間は無い。
せっかくなので、セントラルパークを散策することにした。マップからセントラルパーク手前の駅を探し、サブウェイに乗る。2日目とは違い、Wi-Fiの調子も良かったので、まっすぐ駅へ向かうことができた。スマホがあれば、大抵のことは実現可能な現代に感謝である。
Marble Hill 駅から乗ると20分後、125st 駅で下車した。地上へ上がり、再びマップを確認すると近所に、コロンビア大学という文字がある。
「あれ?」
Wikipediaで調べてみると、あの有名なコロンビア大学だった。まさか、本部がニューヨークだったとは。キャンパスを通ってみよう。
入口に向けて進むと、門の手前にショップがあった。店内は日用品から大学のグッズまで豊富な品揃えだ。留学帰りの大学生が買いがちなパーカーや、マグカップなどコロンビア大グッズもある。それらを手に取り、一瞬買おうか迷った末…。
「さすがにミーハーすぎる」
やめておいた。そして、あたかも学生かのような雰囲気で敷地へ足を踏み入れる。目の前には芝生が広がり、教会のようなドデカい講堂や、近代的なガラス張りの建物もあった。お昼時だったため、サンドウィッチの移動販売には行列ができていた。様々な国から来ているであろう秀才が、スタスタと歩いている。まるで留学に来たような気分だ。
その時、ある疑問が解消された。立教大学第一食堂前に、小さな芝生のスペースがあり、そこが留学生のたまり場である理由が分かったのだ。海外から来た学生は、芝生が広がるような開放的な空間に慣れており、池袋の狭い大学の中にある、小さな芝生スペースを故郷と重ねるのだろう。
こんな場所で学生生活を送っていたら、色々とアイデアがわいてきそうだ。いつか子供ができた時には、海外へ留学させたい。
コロンビア大を抜け、セントラルパークに入った。柱につるされた地図を見ると、改めてその広さを実感する。「都会のオアシス」とはまさにこのことだ。
保育園児ぐらいの子供が数十人歩いていいたり、犬の散歩をするおじさんもいる。芝生ではピクニックをするカップルが寝転がり、テニスコートでは、第二の人生を歩んでいるであろうニューヨーカーたちがプレーに興じていた。コロンビア大学陸上部と思わしき大学生が、短距離ダッシュで汗を流す姿もあった。平日の昼下がり。タイムズスクエア周辺の、込み合った都会の雰囲気からはかけ離れた空間だった。
のんびりしていると時間も忘れてしまう。気付いたときには、集合の十分前だった。危ない危ない。急ぎ足で公園内を抜け、再び街の中へ。
集合の数分前に店に着くと、直後にナオコさんも到着した。共に入店すると、ハットを被った日本人男性がこちらを向いた。
それからは、仕事のことやアメリカのスポーツに関する様々な話を聞くことができた。詳しくは書けないが、「とにかく英語の勉強をしよう」と心に決めた。
ただ、田中さんの話を聞いて、厳しい現実にも気付いた。アメリカは文化も歴史も、常識も全く異なる国である。日本ですらまだまだ知らないことだらけなのに、もし渡ったりするとなると、勉強しなくてはいけないことがたくさんあるはず。そんなところで活躍するためには、途方もない道のりなのだろう…。
1時間の会食を終え、店を出た。すると、ヤンキースタジアム方面に行くためには、電車を乗り継ぐ必要があるとのことで、その駅まで田中さんが付き添ってくれることになった。ナオコさんと分かれた後も電車内で、NPBやMLBに関することを話した。
仕事でまた再開することを心に誓い、田中さんとは別れた。その後ヤンキースタジアム行きの電車に乗ると、すでにTシャツをきた人が何人もいる。約15分ほどすると、yankeestadium駅に着いた。
ドアが開くと同時に、ヤンキースファンが我先にと改札の外へ進んでいく。乗り遅れまいと、私も普段の1・5倍速でスタスタと歩く。
地下道を抜け階段を上ると、白亜のヤンキースタジアムと熱気を帯びた人の波が見えた。
一刻も早く中へ入りたかったが、球場の周囲をまず一周。テレビの中継車が5台ほど並び、警察官の数も異様に多い。外を歩くほとんど全員が、グレーかピンストライプのシャツを着ている。歩くだけでも、この試合の重要性を感じることができた。
一通り回った後、荷物検査のゲートに進む。ここでも、アメフトほどの厳しさはなく、簡単に通過。
『コンコースを抜けるとヤンキースタジアムであった』
2019年11月15日、現地時間14時。雪国(@川端康成)ならぬ、野球大国のメッカとも言える場所に、足を踏み入れた瞬間だった。
グラウンドはアストロズの打者が試合前の打撃練習をしている最中。ライトの席ではホームランボールの取り合い合戦が繰り広げられていた。前へ前へ、大柄な男たちの間を縫うように体を前に進める。
日本では、練習のボールは回収されてしまうが、アメリカはお土産にできるらしい。ライトスタンドに飛び込んだ白球を、自前のグローブで誰かが補給すると、拍手が起こる。
「おれも!!ほしい!!!」
だが、しばらく場所を変えたりしたものの、捕ることはできなかった。
再び通路に戻り、コンコースを歩いてみる。すると、前から来た男に、「デビルズ!!」とすれ違いざまに言われた。私はその日、3日目に買った、ニュージャージー・デビルズのトレーナーを着ていたのである。語彙力があればもっと返信のしようがあっただろうが、そんな力はないので「イエス!!デビルズ!!」としか言えなかった。
さすがに、デビルズのままいるわけにもいかないので、グッズショップに行き、戦闘服を購入した。帽子と共に選んだのは、背番号25のグレイバー・トーレスという選手のユニフォームだ。22歳の彼は、メジャー1年目の昨季に24本塁打、今年はチームトップとなる38本塁打を放った、期待の大砲である。
本当は、誕生日が同じ2月6日の「野球の神様・ベーブルース」のユニフォームが欲しかったのだが、サイズが無い。その次の選択肢として、ジャッジやスタントンでなく、トーレスにしたのには、伝統球団の「25」に親近感を覚えたからである。私が好きな巨人軍には、若き4番で「25」を背負う岡本和真がいる。トーレスがレジェンドクラスになっていく未来と、岡本の明るい未来に期待を込め、約100ドルのレプリカユニフォームシャツを購入した。
NY帽子とピンストライプを身に包み、スタンドを闊歩する。
「なんて気持ちがいいのだろう」
レフトの席に行くと、ライトと同様にボール争奪戦をしていたので、またも参加。
その時、”アメリカらしい”ことが起きた。ヤンキースのユニフォームを着た10代ぐらいの3人の少年の下に、打球が転がると、レフトにいたアストロズの選手は、それを拾った。ファンサービスという意味では、後ろを向いてファンに向かって投げ入れるのが正解なのだろうが、その選手はマウンドの方向へ投げ返してしまった。すると、3人は一斉にブーイング。声をそろえて、文句も言っている。選手もそれに気づくと、笑って何やら言葉を返していた。この一連を真後ろで見ていると、文化の違いに笑ってしまった。日本ではこんなやり取りをみることはできない。
その後もしばらくいたが、ボールをとることはできなかった。ただ、打撃練習を見ていて、驚いたことがある。
アストロズのホセ・アルトゥーベの凄さだ。ほとんどの打者が、右打者ならレフト方向へ、左打者ならライト方向へ本塁打性の当たりを連発する。しかし、アルトゥーベだけは右中間へ、まるで引っ張ったかのような当たりをバンバン飛ばしていた。彼は約167センチと小柄で、身長が近い私にとっては神様のような打者である。ハイレベルな打撃を肌で実感できた。
打撃練習も終わったので、2階にある自分の席に行くことに。ヤンキースのロゴ入りビールと、サンドウィッチを手に入れ、席に着く。
すると、しばらくしてセレモニーの時間になった。ホーム初戦では、両チームの選手紹介があるのだ。
恐らく有名な方なのだろうが、知らない歌手が国歌斉唱を行う。その後はスタジアムDJが選手紹介のアナウンスを始めた。監督、コーチと順に呼ばれて登場すると、続いて選手の名前が呼ばれた。背番号19「マサヒロ・タナカ」がコールされた瞬間は、そんな柄ではないのに、思わず「たなかーー」と叫んでしまった。年俸28億円ながらも怪我で欠場のスタントンに対しては、容赦なくブーイングが浴びせられていた。
アストロズサイドが呼ばれると、主力選手に対してはスタントン以上の大ブーイング。特に、41本塁打のブレグマン、一昨年のワールドシリーズMVPスプリンガー、アルトゥーベに対するものが一番激しかった。
スタメンも紹介されると、いよいよ試合が始まる。後攻、ヤンキースの先発は右腕セベリーノ。初球を投じると、160キロに迫るストレート。
スッとキャッチャーミットに収まる速球を見ると、「本当にMLBなのだ」と実感できる。BSNHKやDAZNでしか見たことのなかった風景が目の前にあるのだ。
セベリーノは先頭のスプリンガーを打ち取った直後、2番のアルトゥーベに左中間最深部へ運ばれ、ヤンキースは先制を許す。その瞬間、球場は一気に静けさに包まれた。
「アルトゥーベはやっぱりすごい」。
しかし、そこから2つのアウトを奪い初回の守備が終わると、全体がスタンディングオベーション。「テレビで見るやつだ!!」と私も立ち上がり拍手を送る。
ただ、それからは毎回のように、立ったり座ったりとまるでカープのスクワット応援歌のような光景が繰り返されると、前の人が立ったことで見えないからしゃーなしで立つ、というのもあるのではないかと思った。
ヤンキースはその裏、二死満塁の好機を迎えながらもグレゴリアスが倒れて同点とはならず。すると二回、セベリーノはレディックに右越え本塁打を浴び、さらに1点を失ってしまう。セベリーノは3、4回を無失点に抑えたものの、5回に一死一、二塁のピンチを作ってしまい、ここで降板。97球という球数と、ピリッとしない内容だったが、アストロズ打線を5回まで2失点という点に、ヤンキースファンもねぎらいの拍手を送っていた。
中継ぎのグリーンが2者を抑えピンチを脱すると、目の前のおじさんはガッツポーズ。すでにヤンキースファンと化していた私も、握りこぶしを突き上げてしまった。さあ、逆転だ。
とはいかないのが、この日のヤンキースだった。4、5回と二死一、二塁の好機を作りながらも、あと一本が出ない。スタンディングオベーションをしては、アウトになって座るという繰り返しだった。巨人の悪い時を見ているようだ…。
イニング間の演出を見て、気付いたことがある。基本的には、アメリカのスタジアムはホーム最優先で、ブーイングを促す演出も。野球だけでなく、アメフトにも、アイスホッケーも同じような感情を抱いた。これが、球場のボルテージを上げるのに役立っているのだ。
ちなみに、日本ではブーイングに対して批判的な見方があるけど、それを笑って返すぐらいの方が私は好きだ。ブーイングなんてリスペクトの裏返しではないか。
中盤を迎えたころ、再び球場内を歩き回ることにした。というのも、一つ忘れていた用事があったのだ。ヤンキースタジアムは、初回の来場時に証明の紙をくれるとネットに書いてあった。専用のデスクに行き、名前と出身地を告げるとこのような紙をもらうことができた。
それを手に、また歩き回る。ライトへ向かうと、熱狂的な雰囲気に驚いた。日本のプロ野球のような応援歌とかは無いが、明らかに他の座席とは熱量が違っていた。
バックスクリーンの下では、人だかりに気付いた。大男たちの間を縫って前に行き、視線の先を見ると、テレビのセットにデービッド・オルティズとAロッドが座っていた。
「デカい!!デカすぎる!! オルティズなんて悪い人にしか見えない(笑)」
MLBのにわかファンでも知っている大スターを生で見ることができて、とても幸せだった。これもポストシーズンの醍醐味だ。
内野を取っていると、何やら観客席が盛り上がっている。グラウンドを見ると、ヤンキースの攻撃で、2人の走者がいる。2点を追う5回。二死一、二塁の好機を迎えていた。打者はグレゴリアス。
警備員までスマホをグラウンドに向け、反撃の好機に拍手をして見つめている。しかし、ここでもコールの前に点をあげることはできず、ため息が球場を占拠した。
ヤンキースは7回に中継ぎが2点を失い、0対4と完敗ペース。席に戻ると、試合の序盤は大げさなアクションをしていた前の座席のおっちゃんが、うなだれていた。
それでも、「マイヒーロー」が見せ場を作った。8回、トーレスがライト方向へ大飛球を打ち上げると、打球は熱狂的なファンが居座るスタンドへ飛び込んだ。走者は無かったので、ソロホームランとなり、1対4。
ホームランの演出なのだろう。トーレスがダイヤモンドを回る最中、光が点滅し、巨大なスクリーンでは「HOMERUN」と映し出された。好機を逃し続けた打線にいら立っていたニューヨーカーは、この日最大のガッツポーズで喜びを表現。もちろん、うなだれていた前のおっちゃんもその一人である。背番号25をまとった私はこの時、トーレスを応援し続けることを胸に誓ったのだ(その試合の後、インスタグラムを早速フォローした)。
ただ、新聞記事的な表現で言えば、この一発は空砲に終わった。最終回は、アストロズの守護神・オズナの前に三者凡退に終わり、敗北。その瞬間、約5万人のヤンキースファンがささーっと球場から引いていった。
正直、ホーム球場開幕戦でソロホームラン一発のみの味気ない試合とは予想していなかった。だが、アストロズ先発・コールの球質の重さや、アルトゥーベの凄さを見れたのは良かった。トーレスの一発も見れたし、チャンスを生かしきれないもどかしさをニューヨークで感じることができたのは、ある意味でいい経験だったのかもしれない(笑)
試合が終わった後は、ぞろぞろと駅へ向かうので、ついていく。絶対に、また戻ってくるぞと心に誓い、パシャリ。
駅までの途中には、現在のヤンキースタジアムができる前身の跡地があった。今は公園になっていて、野球もできそうな感じだった。
そこからは、ナオコさんに教えてもらったメトロノースという電車に乗る。だが、どれに乗れば良いのか分からない。親子がいたので聞いてみると、調べてくれたが、お父さんのスマホのアクセスが悪く、「多分ここで合ってるけど…。今ここにいる電車でないことは確かだ」と言われた。
もう一人、老夫婦に聞いてみたが、「その駅は知らない。分からない」と返ってきた。
ホームでうろうろしていると、やってきた電車の表示に、行きたい駅の方向が出ていた。とりあえず乗ってしまおう。しかし、エリックの最寄り駅は通過しそうな雰囲気が漂っていたため、その一つ手前で降りた。ナオコさんにそこまで来てもらい、家に向かった。
家に入ると、私と入れ替わりで宿泊するドイツ人の元立教留学生・ジェシーがいた。軽く挨拶をした後、新たな宿泊先に行かなければならないので、すぐに家を出た。車の中からエリックのマンションを眺めると、「もう、この家に来ることは当分無いのだろう」と思い、寂しくなった。
次なる宿は、HIホステルという、セントラルパーク近くにある1泊8000円のホステルだった。ナオコさんに、また車で送ってもらい、10時ごろにチェックインする。部屋に荷物を置いておくのは危ないと思ったので、1日5ドルのロッカーに預けた。
部屋に入ると、まだ誰もいなかった。しかし、いくつかの布団には私物が置いてあり、一人ではないようだ。
自分のベッドを探し、荷物をまとめると、シャワーを浴びた。その後、ふらりと歩き回ってみると、想像以上に広いことが分かった。
ビリヤードや屋外のテラス、軽食を買う店もある。立教の池袋キャンパスで例えるならば、9号館の2階にあるスペースのような空間が広がっていた。
せっかくなので、「それっぽい感じ」でパソコンを30分ほどいじってみた。うん。悪くない。ある程度満足したので、11時ごろ部屋に帰った。すると、すでに部屋は暗く、誰かがいびきをかいていた。
起こさないよう静かにベッドに潜り、目覚まし用のイヤホンを耳にセットし、眠りについた。