瞑想家がサンキューハザードを見ると
サンキューハザードって知ってますか?
車で道を譲ってもらうときに、
ハザードを出すアレです。
なんとなく「マナー」として定着していて、
多くのドライバーが利用しています。
ちなみに法的には正しい使用方法ではないようです。
心地よさ感じるサンキューハザード
心地よさを感じるサンキューハザード。
こんなこと、あなたは考えたことがありますか?
僕の場合、ズバリ、3.5回出してもらえると
一番心地よさを感じます(笑)
ちなみに3回もしくは4回でも心地よさを感じます。
それが2回、1回と少なくなってくると、
どこかで「少ないなー」と感じるんですよね。
もちろん3.5回で心地よさを感じるのは、
完全に僕自身の感覚です。
だからなんなの?と疑問を感じますよね。
3.5回は心地よさを感じる。
そこから離れていくことで心地よさが減っていく。
当然ですが、単なる主観です。
答えがあるわけではありません。
人は事実をありのままに見ることはできない
3.5回のハザードが一番心地よさを感じさせる。
一番感謝を伝える回数。
これは事実なのでしょうか?
そんなことはないですよね。
ハザードを出している時点で、相手ドライバーには
「譲ってくれてありがとう。」
という気持ちがあるはずです。
「譲ってくれてありがとうの気持ちをあらわす行動」に対して、
勝手に心地よさを感じたり、感じなかったり、
人によっては不快さを感じたりする。
自分の尺度で物事を見てしまう良い例です。
人は目の前の事実を素直に
ありのままを見ることができないんですね。
事実は主観でとらえがち
今回はサンキューハザードの例を出しました。
目の前の出来事に対して、主観的に
心地よさを感じたり、感じなかったり。
しかし事実は
「相手ドライバーが感謝を表現するための行動をとっている。」
ということ。
もちろん、事実を主観でとらえているのは
サンキューハザードを見た時だけではありません。
生活をしていればこんなことばかりです。
大切なことは、
「事実をありのままとらえることは難しい。
主観でとらえがちである。」
このことを理解することです。
理解できていなければその主観が世界そのものになります。
「ハザードの回数が一回だけだと感謝されてない気がする。」
事実を主観でとらえてしまうことを理解できていれば
「そう感じている自分がいる。」
のように、一歩抜け出して
俯瞰的に世界を見ることができるようになります。
「ハザードの回数が一回だけだと感謝されてない気がする。」
そう感じている。
でもそれは自分がそう感じているだけで事実はまた別なんだ。
こういったように。
サンキューハザードの例から気づけること、
このほかにもあります。
いずれ続きを書きますね。
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最後まで読んでくれてありがとうございました!