【ショートショート】モデル
男は地元のコンビニで働く、平凡な店員だった。毎日変わらぬ仕事に従事していた。商品を棚に補充し、レジを打ち、店の掃除をした。そしてまた次の日もその繰り返しだった。特に何かがあるわけでもなく、無理に自分を変えようとも思わなかった。淡々と仕事を終え、また翌日、同じように繰り返すだけの毎日。
ある日の午後、普段通りにレジを打っていた男の前に、普段は見慣れない雰囲気の客がやってきた。スーツをきちんと着た、背の高い男性だった。どこか少し不安げな表情を浮かべつつも、店内をじっと見渡している。そのまま商品を選んでレジに並んだ。
「いらっしゃいませ」
男はいつも通りに声をかけた。スーツの男は一度だけ目を合わせ、何も言わずにカゴをレジ台に置いた。男は商品のバーコードをスキャンしていった。しかし、スーツの男の視線が感じられる。視線がじっと自分に向けられているのが分かる。男はまるで観察されているような、妙な不安を覚えた。支払いを済ませたスーツの男は、そのまま何も言わずに店を出た。
(変な客だな……)
男は、何か不気味な感覚にとらわれながらも、そのままいつものように仕事を続けた。
だがその次の日も、またそのスーツの男が店に現れた。今度はさらに、じっと男の動きを観察するような目つきでレジの前に立った。男が商品をスキャンし終わると、スーツの男は言った。
「……良い動きだ」
その声は冷たく、無機質な響きだった。
「あ、ありがとうございます……」
男は少し戸惑いながらも、短く返事をした。
その日以降、スーツの男は必ず毎日のように店に現れるようになった。毎回、男をじっと見つめ、観察している。その視線がだんだんとプレッシャーになり、男は次第に恐怖を感じるようになった。スーツの男は何も言わず、ただ見ているだけ。なぜ毎日コンビニにやってくるのか、なにか用事があるのか、疑問だらけだ。最初の頃の違和感から、次第に不安と恐怖が強くなっていった。
ある日、男がレジを打っているとき、スーツの男が何も言わずにレジに近づいてきて、ふと口を開いた。
「うむ、基本的な動作は良好だな」
スーツの男の声はどこか冷たく、機械的だった。
「この動きをモデルにしよう」
その言葉に、男は一瞬何を言われたのか分からなかった。モデル? 何のモデルだろう? 自分が? なぜ? まるで何かの実験の被験者になったかのような気分になった。真面目に働いているだけの男がなぜ、こんな気持ちの悪い目に合わなければならないのか。男がいい加減にしてくれと言おうとしたとき、スーツの男はそれ以上何も言わず、静かに店を出て行った。あのスーツの男は、自分を監視しているのではないか。彼の言葉が耳に残り、何度も反響する。
ある日の夜、仕事が終わった男は急いで家路を目指そうとしていた。いつもなら、仕事が終わればきれいに忘れられるのに、今日は特にあのスーツの男のことが忘れられず、早く帰らなければという焦りが募っていた。だが、何故か帰り道が分からない。急に足が止まってしまった。どの道を選んだらいいのか、どの方向に進むべきか全く思い出せないのだ。冷汗が流れ、心臓が速く鼓動する。ここはどこだ? 家はどこだ? どこをどう進めば家に帰れるのか、全くわからなくなった。
その時、突然、背後から冷たい手が肩に触れた。驚いて振り向くと、そこにはスーツ姿の男が立っていた。彼は静かに男を見つめた。
「どうした?」
スーツの男の声は、ますます冷たく機械的だった。男は動揺し、必死に答えたようとしたが答えられなかった。自分がどうしてこんなにも記憶を失ってしまったのか、わからない。まるで記憶が抜け落ちたような感覚に陥った。そんな男の様子を見て、スーツの男は言った。
「労働ロボットの自覚がないのは改善点だな」
「えっ……」
スーツの男は冷静に続けた。
「君は今、役目を果たしているだけの存在だ。だから、自分がどこに住んでいるか、何をしているか、そもそも自分が何者なのか、それを考える必要はない。君にはただ、与えられた仕事をこなすことだけが求められている」
なるほど、どおりで男には仕事場以外の記憶がないわけだ。スーツの男は、男の背中にある電源ボタンをそっとオフにした。
読んでくださりありがとうございました。
ブラックユーモアのあるショートショートを書いています。
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