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恋を論理的に可視化する術




ベートーヴェンのピアノソナタは恋文だったという説がある。



私はこの説が好きで、今もそうだと思っているが、100%そうかというと、違う部分ももちろんあるだろう。

ベートーヴェンは、恋愛の感情や複雑な人間の思惑などを、音符という目に見える形に書き起こし、それを論理的に表現するのがとても得意だと、私は思っている。


ピアノソナタの音符は、とても連立して並んでいるように見えるけれども、音階が切り替わったり、スラーやスタッカートの位置がズレたり、変化に富んでいる。楽譜を見ていれば細かな変化に気付くのだが、これは、ベートーヴェンならではの手法なのか、はたまた編集に携わった人が意図的にそうしたのかわからないが、聞き手を飽きさせないようにという配慮も感じられる。


曲自体の羅列は、当時好きだった相手への想いなどを曲に書き起こしていたのだろうが、それがとても理論的だと私は思っていて、何故理論的なのかと言うと、彼は結論から弾き始めて、結論から過程までの工程を、事細かに組み立てるというところからだ。


人間としての複雑な感情の結果が一小節目で和音やフレーズとして出てきて、説明となる部分や、情景が、その後のフレーズとして繰り返されているように思える。こういう理由として、この事象が起きたんだと。それが音によって表現されているように思える。


これは意図的なのか、それとも彼の癖なのかわからないが、彼はとても純粋なのだろうと私は思った。


その時の彼の中にある複雑な感情が彼の中に込み上げてきて、それを音という形で可視化して書き残す。


とても単純に思えるようだが、私たち現代人もそれをやろうとするのは、なかなか難しいだろうと思う。


なぜなら、今みたいにスピーカーから音楽が、どこにいても聞ける世の中ではなかったし、ストリーミングなどのサービスも無かったであろうから、ヒントとなる事柄は、身の回りの出来事や、他の作曲家の演奏会を聞きに行くことなど、限られてくるだろう。


とても頭の良い人のやり方というか、ある意味黒歴史をそのまま音符という形にして残してるというようにも思えるが、後世にこれだけ残り続けるのだから、きっとそれだけ心に響く意味があるのだと思う。


未だ全て解読解明されていないが、そのままで良いとすら思える。

非凡な人の思惑は、一瞬でわかるはずがないからだ。

今でさえエリーゼのためには誰のための曲だったのか、断言できないのだから、むしろ断言しなくて良いとさえ思う。

そこにロマンが残り、それこそベートーヴェンに思いを馳せる唯一の時間にさえなると思う。

彼が楽譜に恋文を書き起こし音符にしたのは、それは執着ではなく、彼の中でその時生きた証としての証明と、その時その時の感性や情熱をそのまま曲に乗せるということや、耳が聞こえないという劣等感を、どこかに常に感じていたのかもしれない。

非凡な才能の持ち主であるベートーヴェンは私達に何を残してくれたのか?

解くのに時間と労力がかかる問題を提示してくれただけでなく、恋文という個人的な事柄と時代背景も交え、より絡み合う複雑な感情を、インパクト強く耳に残るサウンドになる曲を私達に提供し、残してくれたのであろう。

音符を数字に当てはめたら、など研究している方々もいらっしゃると思うが、彼の真髄にたどり着くまではきっと時間がかかるだろうと思う。


彼の中の哲学と信念、そして情熱が込められている上で、完璧な計算の元作られた曲ばかりだからだ。数学とか社会とかジャンルがあるとすれば、ベートーヴェンという教科にさえなると思う。

そんな彼の好物はマカロニチーズだったらしく、そんなギャップも私達の心をくすぐってくれる。


ちなみに私はピアノ協奏曲第4番が好きだ。


厳かに始まり、ゆったりとした中にハーモニーが重なり合い心地よい音になる。


ホワイトデーとは関係ないが、
たまには偉人ベートーヴェンに思いを馳せるのも良い時間かもしれない。

当の本人はどう思うのかは除いて。

それでは、また。

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