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薔薇とうさぎ
私は40度以上の高熱が4日ほど続き、死を覚悟した。
「風邪っぽい」の診断を受けたが解熱剤が効かず、目眩もするし、何なら生理もかぶるしもうわけわからんみたいな状態で、私は昔に異常なほど熱狂したプロレス団体・DRAGONGATEをふたたび目にした。
最悪な状態での再会
私は2018年11月を最後に観戦に行ってません。見るのやーめた!というよりは、別の団体を見るようになって、で、そこも見なくなって、転職して彼氏ができたり私生活が忙しくなってなんやかんや〜の流れで早6年が経っていました。しかし、ちらちら週刊プロレスであったりSNSであったり、いま誰がチャンピオンかな〜ていうのはチェックはしていて、望月成晃選手のご子息がデビューした、とか、伝説ユニットが復活した、とかは把握していました。
私がいちばん、本当に気狂ってるレベルで追いかけてた時期は、2015年〜2017年の2年間。プロレスを見始めたのは2013年からだけど新日やDDTや東京女子も見てたから、本当にDGだけに熱中してたのはその期間で、あわせても5年間しか見てないんだけど、昔のDVDもぜんぶ買って、毎日起きてる間中はテレビでDGをつけてたレベル。そんでDVDの副音声を暗記するくらい聞き込んで、なんなら1字1句書き起こして、選手特有の話し方の癖とかも覚えるほどでした。
当時私は中学生で、不登校でした。
学校に行かずプロレスばっかり見てた私は、進学した高校も中退し、またプロレス観戦の毎日です。16歳から働き始めて、そのお金で観戦に行き、グッズを買ったりするようになりました。
当時見始めた初期のころは、中軽量級・ブレイブ戦線や、3vs.3の6人タッグマッチが試合形式が特にすきでした。更にハイフライヤー選手には目がなく、試合内容というよりかは、各選手がすきで見てた感じ。でもいまは荒々しく泥臭い試合のほうがすきです、昔のDVDの試合を見たのが変化のきっかけだったかなと思います。
初めて観戦したのはワールド記念ホールで、DGを見始めてすぐの観戦だった。ルールもよくわからないままだったけど、中学生の女の子がひとりで神戸まで行き、ビール片手に観戦してるやんちゃな感じの男の人たちのとなりでこっそり見てました。初めて見たときのあの独特な雰囲気は忘れられません。いまでも鮮明に思いだせます。そのときの高揚感はなんとも言い難く、私はすぐに次の観戦の予定を決めました。
と、昔の話は置いておいて
そんな熱狂してたころからすっかり年を重ね、いまプロレスを見るとぜんっぜん見方が変わってることに自分で驚きました。各選手というよりは試合内容重視。この選手とこの選手のシングル! なんと意味深い!とか思うようになったり。当時はDGの代名詞である目まぐるしい試合展開がだいすきだったのでシングルマッチはあんまり…だったのが、この抗争のなかでのこのシングルマッチか〜アツすぎる!とかをわかりはじめると本当にプロレスを見るのは楽しくなる。カードに意図がありそれを考察するのが醍醐味だという自論があります。プロレスファンなら当たり前の感情だと思いますが、5年前のわたしにはなかったのです(なのになんであんなにハマれたんだろう笑)
そして
熱に魘された夏の日、箕浦 康太選手に出会いました。
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(か、顔が良すぎる…!)
箕浦選手のデビュー時はぼんやりと覚えています。
かっこいい爽やかな男の子だな〜の印象だった。
影が薄いわけじゃないけど、あのころは𝐒𝐇𝐔𝐍 𝐒𝐊𝐘𝐖𝐀𝐋𝐊𝐄𝐑選手のイメージが強すぎたし、あまり若手の選手に興味がなかったので本当にぼんやりでした。そんな箕浦選手がずいぶんかっこよくなってて驚き!あれこんな体大きかったっけ、こんなかっこよかったっけ…とすっかり箕浦選手のビジュから入りました。
2018年頃から団体離脱や引退が相次ぎ、その頃から私もDGから離脱して、更に吉野選手の引退が私にとどめを刺していたし、正直分かる選手が現パラドックスのベテラン勢だったり、2017年デビュー組だったり、箕浦選手が分かるギリギリでした。そんな私がいまこのnoteを書いてるほどにDRAGONGATEに再燃したきっかけの試合は、YAMATO vs. 箕浦 康太のカベジェラ戦でした。当初は、ビジュめちゃいい坊主になったきっかけの試合か〜是非見てみたい!と思ってたのですが…
YAMATO vs. 箕浦 康太
スリーカウントはいったとき、私は号泣してました。
箕浦選手のシングルの試合をしっかり見るのは恐らくこれが初めてで、にわかでごめんなさいですが、私はカウントを1で返したり、相手選手にかけられた技を次おなじ技で返したり、もう完全に終わったとみんなが思っても返したり、やられてもやられても本能で立ちあがるような試合がだいすきです。まあみんな大体そうか。この試合にはそれが詰め込まれていました。私は画面越しに心の底から応援しました。もう終わった試合なんだけど笑、なんなら部屋でひとりで箕浦〜!って叫びましたからね(迷惑) 箕浦選手はそういう試合をするタイプではない気がしてたし、あの何度も立ちあがる姿は本当に心を打たれました。
それから箕浦選手の試合をめっちゃ見まくりコラムも読みまくり、2024年に入ってからスランプで"新世代の箕浦 不調"みたいなのがぼんやり話題の中心的ではあったぽくて、いまのDGの知識がなんもない中で私は「不調が話題になるってどんだけ期待されてんねん!」と率直な感想。本当に不調な選手は試合に出られないじゃないですか。そももカード組まれないし、でも箕浦選手はそれが話題になるし、不調であっても試合は組まれる。そんな選手…凄すぎやん…!と面食らいました。それに、不調を断ち切るためにカベジェラ戦を挑み、あの熱い試合をしたことに感動した。解説で望月選手が「まだ勝敗はついてないですけど、いまの段階で箕浦は一段階あがったように見える」と言っていました。私や箕浦選手が学生時代に新世代の中心として戦い抜いたYAMATO選手とのシングルマッチでしたが、YAMATO選手の影には、箕浦選手自身がいた気がしました。箕浦選手は、YAMATO選手と戦いながら自分自身に勝とうとしていたように私には見えました。
私は新体制になる前、コロナ禍の前の超満員のDGがだいすきでした。またあの会場を超満員に出来るなら、どの選手がどういう試合をしようと私はどうでもいいと思ってました。それからいまの新世代と言われてる箕浦選手以外の選手たちのコラムも読みました。同世代なだけあってファン時代に見てた年代が私と同じで、そこも心打たれたポイントです。みんなDGをすきになって、憧れて入って、デビューしてくれたことが心の底から嬉しかった。だからこそ悔しい。もうDGは昔の選手がいなくなって終わりだなんて言われたくない。あの当時の新世代の選手たちがベテランの立場になっても最戦線にいること・いなきゃいけない現状が悔しい。
そこで私は、
「箕浦康太が超満員のビッグマッチ、最後の花道をチャンピオンとして歩く姿を見るまではわたし死ねない」
と思いました。
会社やファンから期待され続けた重圧や、個人のジレンマもあると思う。でも私と同じ時期に同じ試合を見て同じように感動した男の子が、岐阜から神戸まで来てプロレスラーを目指したひとりの男の子が、こんなふうに戦ってる。期待が重くても戦う。スランプでも戦う。何度も何度も立ちあがる。そんな箕浦選手を思うと、少なくとも私は箕浦選手がいるから頑張れてるし、箕浦選手がいるから少しずつ強くなれてる。
これは自分でも重すぎてちょいキモいなと思うのですが、プロレスから離れてたあいだはかなり精神的につらい時期を過ごしてました。恋愛と仕事で、"精神的につらい"はずなのに"いま精神安定してるかも"と錯乱するほど本当の気持ちが分からなかった。それが一段落したタイミングでまたプロレスと再会して、箕浦くんのカベジェラ戦を見て元気を貰いました。仕事で理不尽なことを言われても「でも箕浦くんも頑張ってるし…!」って思うんです。重い物とか持つときも「箕浦くんも90キロの選手とか持ちあげてるし…!」って思って寝る前に湿布貼りながらいや私プロレスラーじゃねーしなって後悔するんですけど笑、それくらい常に、私のなかには箕浦選手のあの立ちあがる姿があります。
箕浦選手は、確かに私の価値観をおおきく変えてくれたひとりです。いつかチャンピオンになったとき、私はどう思うだろう。まだ私の知らない感情を、いつかあなたが教えてくれるその日を待ってます。
20歳のとき、25歳の誕生日までに死ぬと誓って5年間生きた私が、きょうこのnoteを書いてるなんて思いもしなかった。箕浦選手と出会えて、またここに戻ってこれて私は幸せです。