勝手に死ぬな馬鹿野郎
初の投稿になります。
突然、思いもよらないことが起こった。
私は、2011年8月に14年連れ添った夫と離婚をした。
当時、子どもは10歳と4歳。親権を奪われた形での離婚。女性が離婚し親権を失うことは珍しい中、当然のように奪われた。
元夫は、基本的に頭のおかしい男で、自分がこの世で一番素晴らしい美しい賢い強い完璧な人間だと思っているタイプの人間で、それに全面同意していたのがその母親、その両親であった。
私が出産すれば「可愛いわねー、ほんとに(元旦那)ちゃんのいいとこ取りねー」と悪びれなく私をディスり、そこに産後の私をフォローする人間は一人もいなかった。
産前からモラハラ全力投球ではあったが、産後間も無く、「彼女作りたいんだけど」と言われた時は流石に驚いた。「家の事を優先するから、俺、一つの家族だけじゃ勿体ないし、みんなのものだから」とさも災害地のボランティアに向かうヒーローのような顔で話す彼を止めることはできなかった。
少しでも邪魔したりしようものなら、怒られた。暴力込みで。元義母には「あなたが至らないからよ」と嗜められ、我慢するしかなかった。
14年我慢した。
14年も我慢してしまったのだ。
東日本大震災の後、このまま私だけを愛してくれない人と生きていくのは嫌だと思い立ち、離婚してくれと告げたところ、元義母がすっ飛んできて「あなたが離婚したいって言ったんだから、当然子供たちは置いていくのよね?」と言われ、次の日仕事から戻ったら家が間抜けの殻になっていた。子供たちの転校手続きも済んでいた。買ったマンションも売りに出され、一週間のうちに退去するよう言われた。
驚くべきなのは、元義母も昔離婚した際に、子どもたちの親権を奪われ、辛い思いをしていたという話を聞いていたからである。
自分がされて嫌なことを私にしてきたのである。
これは悪者でなく何者なのか。元旦那よりも恨んでいる。はるかに。
子どもたちに別れも告げられず、六畳一間の1Kを急遽契約し、最低限の荷物だけ運び出し、移り住んだ。何もできなかった。心が折れてしまった。
14年間虐続けられていたので、私なんかいない方が子供たちも幸せになれると思ってしまっていた。
1人になり、子どもの運動会、卒業式、授業参観、入学式、全ての行事に参加することはなかった。いつなのか、どこの学校なのかも知らなかった。
一人、残業し、酒を煽り、食事もろくに取らず過ごしていた。
……その後、なんやかんやあって、見事に再婚を果たしたわけで、今こうしてこんな文章を認めているのですが、今日何気なしに元旦那のツイートを見たら
「母親が亡くなりました」
と。
想像の中、夢の中で、何度殴り倒したか分からない、私がこの世で一番恨んでいる人間が。
勝手に。私の知らないところで。死因も分からない。
一番不様な死に方をしてほしかった。
地獄を味合わせたかった。
どうやって死んだんだ。許せない。
私がこんなに恨んでいることを知らずに死んでいったんだろう。こんなに。恨んでいるのに。
やり場のない思いを抱えつつ、明日からも生きていく。あの女の分も、新しい家族と生きていく。