心配性の慢性化
心に張り付いている心配性があまりにも重荷すぎる。
高校2年生頃から、映画にハマり、そして趣のある表情を作るようになった頃、性格が変わり始めた。
小中学生の頃の私はというと、ヤンチャで沢山笑い、先生達から少し贔屓にされる、所謂活発ないい子ちゃんだった。
今思えば、思考が鈍感だった。これは割といい事で、多忙な日々の中で生活サイクルを作り、ただ目の前の事に全力で楽しみ、様々なことに挑戦するパワーを持っていた。
歳を重ね、少しずつ視野が広がってくると、周りの人との噛み合いだったり、真っ直ぐ歩いてたはずの縁石から片足を地面に数回ずつつくようになった。それが高校生の頃。
映画を見て、マイノリティを知り、色んな才能と芸術に出会い、そこにあえて属する事で特別な存在になりたがっていた。イタい。イタすぎる。好きが才能になるんだと、その過程に浸っていた。
そして、その頃から心配性になり始めた。勿論悪い事ばかりではない。失くし物、忘れ物、遅刻はしないし、計画を立てた分、ある程度はその通りに進める事を知った。
だけど、今、知りたくなかったと強く思う。それは、学生や社会の枠組みに属していなければ尚更だった。
メガネを買うにも、失敗したくないから隅々まで調べ尽くす。どんな小さな事でも失敗したくないという思いが当たり前のようにある。下調べすれば、予習すれば間違うことはないと。
ただ、あまりにも人生という名の選択となると、壮大すぎて身動きができなくなってしまう。
まさに今この柵の中にいる。脱走する為には、大冒険が必要だ。
こんなんなので、「哀れなるものたち」が刺さりまくる。ベラのように冒険したい野心はあるが、それ以前に飛び込み方をあまり知らないのかもしれない。
心配してる事の9割は起こらないよって言われても、そこで気を抜くと油断が悪い方に行く気がする。
改善したい。
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