峯田ひかる(2018)「探索的会話からはじまる学び:「初期解」のあり方に着目して
言葉にならない、もしくは、言葉にすることができていない子どもをどう捉えるか。その問いを自分に突き付けられたように感じている。
峯田さんの研究では、Barnes.Dの「探索的会話(exploratory talk)」と「発表的会話(presentational talk)」=「最終稿(final draft)」という児童の2つの話し方の分類をもとに、子どもたちが学び合いに参加するために必要なものについて述べられている。
峯田さんの研究の中で「なるほど」と思ったのはこの部分。
2017年に告示された学習指導要領では、伝え合う力の育成として、「言語をとして正確に理解したり適切に表現したりする力を高める」と示されている。
→子どもが自分の考えを伝える際に明確で適切な話し方が求められており、評価されている。
→「初期解」に注目してみるならば、こうした状況下では、子どもたちはたどたどしい語りの中で推論し、考えを再構成するにも関わらず、教室が「最終稿」以外の「初期解」が認められない場になってしまうことが懸念される。
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「最終稿」を意識するあまり、「初期解」を表明できずにいる子どもが存在している可能性もある。
読んでいて、子どもたちがどんなに試行錯誤の途中でたどたどしい言葉であろうとも、自分の考えや現状を学級の中で出せているか、そんな学級風土を作ることができているか、改めて考えたいと思った。
峯田さんは、上記のような懸念を踏まえ、子どもたちが学び合いに参加するために必要なものとして、次の2つを挙げている。
①不完全な表現である「探索的会話」による初期解の表明が認められる状況。
②①のような状況を作つくり上げるために教師が「不完全な表現」で表れた「初期解」を拾い、「不完全な表現」をした児童と周りの児童の思いや考えをつなぐ支援
当たり前のようでいて、時に授業を進めることにいっぱいいっぱいになり、「不完全な表現」で表れた「初期解」に十分に耳を傾けることができていない自分がいたように思う。
どんな言葉であっても子どもたちが語り合えるような雰囲気。そして、「不完全な表現」の時こそ、「○○さんの伝えたいことってどんなことだと思う?」と仲間の考えにとことん耳を傾け、「一緒に学ぼう」というメッセージを送り続けること。
大事にしたいなって思う。
自分の在り方を問い直すきっかけをまた一ついただいた研究でした。