杉山夏菜(2022)「探究的なやりとりにおける「最終稿」の機能:「問題化」・「構造化」の理論を参照して」

 杉山さんの研究では、「探究的なやりとり」を目指した実践を対象に、Reiser(2004)において、「探索的会話」と「最終稿」の2つのモードの転換における鍵として挙げられていた「構造化(structuring)」と「問題化(problemataizing)」の視点から学習者のやりとりを分析している。

 この研究を読ませていただき、興味深いと感じたことが2つある。

 1つは、自分の授業実践における児童のやりとりを「探索的会話」と「最終稿」という視点から分析している点だ。授業中の子どもの言葉に耳を傾けること。そして、子どもの「言葉」を手がかりに、子どもの言葉の背景にある「思考」を読み解き、子どもをつなごうとすること。それは、教師の誰もが取り組んでいること。しかし、言葉の「発話モード」という点から子どもの言葉を読み解くことを意識している教師はどれくらいいるだろうか(そもそも、「発話モード」という言葉を知ったのも私は最近なので、当然、その視点から授業を見てきたことは20年間皆無…)。この研究を読み、月曜からの子どもの言葉を聴く視点を一ついただいたような気がしている。
 2つ目は、「探索的会話」がより多く生まれるようなやりとりを子どもたちに願いつつも、願って生まれるものではないということ。グループ活動において、ただ、子どもたちが各自準備した意見を発表して終わりになってしまう。自分の授業でも、これまでに何度もあり、打開策を検討してきている。そして、その一つとして、杉山さんが行ったように、「モデルとなるグループの様子を取り上げる」というのも考えたことがある。しかし、「いま、ここ」で議論をしている子どもたちのやりとりと、多くの仲間に見せることを求められる中での子どもたちのやりとりは、当然異なる。つまり、「探索的会話」は、子どもにとったら「気が付いたら生まれ出てくる発話」であって、教師が望むように生まれるものではないということ。それを改めて感じた事例だった。
 一方、「探索的会話」が生まれやすくなるための指導の積み重ねもできそう???と可能性も感じている。例えば、「○○さんが言いたいのってこういうこと?」とか「お互いの考えを聞いて新しく生まれた疑問を伝え合うのがグループ学習の中での大事な学びだよ」と伝え、日々の指導を重ねるとか???教師の感じている「価値」を具体的な「言葉」で子どもたちと共有していくことが鍵になる???そんなことを感じている。

 一柳智紀先生の研究、そして、Reiser(2004)がここ最近読んだ論文に何度も引用されている。近いうちに読んでみようと思う!

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