越後七々美(2021)「「探索的会話」を中心とした探究的な学びづくり」
昨日に続き、越後七々美さんの研究を読んだ。
越後さんの研究は、秋田(2012)の次の指摘をきっかけに主題が立てられている。
教室において協同的かつ探究的な学びを遂行していくには、はっきりとした答えを指す「最終稿」としての語り口だけではなく、たどたどしい語りである「探索的会話」を生かしてコミュニケーションを構築していく必要がある。
子どもの曖昧な理解の表出を「探究の可能性」と捉え、その背景にある子どもの思いを仲間たちと共有し、共に追究していく授業。それって、素敵だなって思う。
この研究では、越後さん自身の算数「円の面積」(小学6年生)の授業事例について考察がされていた。そして、一柳(2013)で指摘されている「問題化」を行う際の難しさとして、①一人の子どもの発言を全体へ展開する難しさ、②指名により議論の展望を見出す難しさ、の2点が示されている。
「問題化」という行為には、教師の即興的思考が求められ、その難しさが記されている。この点については、授業をする中で私も幾度となく感じてきていることだ…。
子どもから生まれた考えを基に単元構想を変更していく越後さんの姿には学ぶべきものがある。特に第8時のピザの問題は、子どもたちが様々な考えを議論し合う「ジャンプの学び」になっていて興味深い。
一方、教室で行われていたやりとりには、気になる点がある。
最も大きな点は、「やりとりの多くが教師から子どもへの質問」であること。一人の子どもの語りの後、教師が問題化を焦りすぎているように感じた。もう少し、子どもの言葉を子どもたち自身がどう受け止めているのかを伝え合えるような投げかけ(「どう?」等)があったら、子どもたちはどんなことを語ったのかな、と感じざるを得なかった。
子どもの言葉や表情を手がかりに「目の前のこの子」をどう捉えるか。
「子どもが考えたいこと」と「教師がその時間に子どもたちと考えたいこと」とのずれが生まれた時に、自分はどう舵を切るのか。
それを考えるきっかけをいただいた(この辺りをS小学校のK先生に考えをお聞きしてみたい!)。
授業って難しい。でも、面白い!
子どもの言葉にもっともっと耳を傾け、その子が見ている世界を一緒に見られる教師になりたいなって思う!