一生ものの学びは優しく秀でた先生から
何かを身につけたり、学ぶのに、優しくて秀でた先生から学べば全然苦しみはありません。ただ、楽しく、優しく、導いて下さるからです。
そうした先生の基準に合うように、自分を整える必要はあります。向上心をもってベストを尽くせば、基準に満たさなくても、だいたい、習うための扉は開かれることも多いです。また、優れた先生が、門下生を取る時の基準を高くしているとは限りません。
そして、学校とか、本とか、テレビとか、インターネットとか、いろいろな情報源はあると思うのですが、一生役に立つようなスキルは、長年の研鑽によってはじめて身につくものであり、一生使えるような自分にとって有用な知識はその道で優れた実績のある人とのコミュニケーションによってもたらされると感じています。そして、何かを学びながら知りながら、ある時点で、あ、このスキル、この知識は一生役に立つんだな、とふと思って初めて自分がそれを得られたことがわかるのでした。
自分なりにも試行錯誤をたくさんして、それでも何か足りなかったものを、プロの知識で補充することで、すっと解決され、ずっと楽になる。コツコツ試行錯誤して、積み重ね、ある日、それがすっと応用できるスキルになっていることに気が付く。
そういうプロセスがあるとき、それは私にとってプラスなだけでなく、そのやりとりをしてくださっている方も大きな発見と刺激を受けているらしいこともわかりました。そうして、逆に、私の持っている情報をお伝えしながら、自分の持っているものの価値に気づかされました。この人とやりとりしていて楽しい、という理由だけでコミュニケーションを続けてきましたが、その「楽しい」感覚はものすごく大きな意味を持つようです。行き届いた感性、相手への思いやり、深い共感があって初めて楽しいコミュニケーションになるようです。
世の中には無料でいろんなことを教えたいと思う方がいるものです。不思議なんですが、本当に有用な日常的な情報、例えば、いいシャンプーの情報だったり、耐久性のあるバッグの情報だったり、そういうものはすべて人を介しての口コミで知りました。すぐに役立ったものも、何年か後に思い出して取り入れたものもあります。
そして、教えているわけでなくても、接しているだけで、たくさんのことを学べる人もいます。その人の持っているものが、自分に取り入れられるかどうか、まねできるかどうか、それは私たち次第ですが…
そうして得られたスキル・情報の価値は経年変化の恐れがありません。
大切にしたいと思います。