特東のスゴいヤツ 後編 (天鳳四人麻雀東風戦考察②)
本記事は、「特東のスゴいヤツ(天鳳四人麻雀考察②)」の後編だ。前編を読んでいない方は、まずコチラ ↓ からどうぞ🤗。
「麻雀は興味ない! くまりん19の言語学習記事が読みたい‼️」という愛読者😍😍の方は、本記事のみお読みください。
⑩七段として特東をプレーしてみて
本対局を通じて私が感じたことを、言語学習と関連付けながら述べる。
・思わぬところに強者はいる
特東六段坂を攻略する過程で、私は自分こそ特東最強だと自惚れていた。実際、六段坂攻略中の牌譜検討では、自分より格上だと感じたプレーヤーはいなかった。
だが、七段昇段後に特東をプレーしてみて、改めてそのレベルの高さを実感した。全体としてのレベルは鳳東には及ばない(当たり前だ😅)ものの、本対局の対面のように、強者はどこにでもいるのだ。「七段に昇段したから、特東で学ぶことはない」などということにはならないのである。
貴方が英語を「言語として習得」したとする。では、それ以降、貴方は英語を学ばないか?
答えはもちろん「否」である。学びはどこまでも続く。英語(言語)の世界には、貴方が(もちろん私も)知らないことが、山のようにあるのだ。
・世に出ない凄い対局もある
鳳凰卓の対局は、5分遅れで配信されている。貴方は強者の対局をタダで観戦することができる。
それに対して、特上卓の対局は対局者にしか見えない。では、特上卓での試合は、対局者以外が知る価値がないものなのか?
そんなことはないのは、本対局の牌譜を見た貴方にはお分かり頂けると思う。私はともかく(いくつか好プレーをしているつもりだが😅)、対面の光り輝くプレー(しかもノータイム‼️)を見て、「特上卓だから」「六段だから」などという感想は出てこないだろう。
問題は、私が本記事を書かなければ、この素晴らしいプレーが世に知られることはなかったということだ。
もちろん、天鳳だけでも日々膨大な試合が行われているのだから、全てを観戦することなど不可能だ。私が言いたいのは、そういうことではない。
知名度とは別の価値が存在する、ということが言いたいのだ。本対局は、Mリーグの試合の平均レベルを超えていると、私は信じる(ほとんど対面のおかげだが😅)。
言語学習で言えば、有名な予備校・有名な講師・有名な教材ももちろん素晴らしいが、貴方の知らない素晴らしい「学びの場」が、他にもあるかもしれない。知名度だけに囚われるのではなく、本物を見抜けるよう、自身を鍛えていきたいものである。
・段位だけでは、強さは分からない
本対局の主役である、対面の段位は「六段」だ。一般に、天鳳の六段は「中級者」と認識されており、私も過去記事「くまりん19の1763戦」で、そのように説明した。
だが、段位はあくまで現時点でのものであって、そのプレーヤーの真の実力を映し出しているかどうかは分からないのだ。肩書だけに囚われていると、その人の本質を見失う。あくまで、プレー内容を見ることが大切だ。
言語学習では、主に逆のことが言える。「第二言語習得の権威」「◯◯語の専門家」などと謳っても、本人がその言語を習得していないことが多い(日本だけ?)。
私は覚醒後に、言語学習に関する様々な学術論文を読んでみたが、「自分が使えるようになってから言おうぜ😮💨」(まあ、私も人のことは言えないが😅)となったこと、数知れずである。
発音の重要性が分からない、言語の背景にある文化の重要性が分からない、ヨーロッパ言語とキリスト教の関係が分からないetc。言い出せばキリがないが、これらは実際にヨーロッパ言語を使えるようになれば、すぐに分かることなのである。
日本における言語学習は、評論家育成になっていることが最大の問題だと考える。貴方が目指しているのは、評論家ではなくプレーヤーであるハズだ。言語は使ってナンボなのである。
貴方の英語教官は、英語を言語として使えているだろうか? 自身の耳で判断してほしい。
・素直に相手を認める
とかく麻雀は、自身を過大評価しがちなゲームである。「ヘボのせいで上手い自分が負けた」「自分は上手いのに運が悪いせいで負けた」etc。麻雀をプレーするなら、貴方も一度は口にしたことがあるだろう。私は山のようにある😅。
だが、自身の麻雀力が向上するにつれて、このような感覚は薄れていく。他人のこと、運のことはどーしようもナイ。できることは、自分がより良いプレーを出来るようになることだけだ。
そうしているうちに、素直に上手いプレーヤーを認めるようになるのである。
くどいようだが、本対局の対面は六段、私は「特東最強🤣」を自認する七段である。だが、明らかに対面の方が私よりも格上である。それを認められるようになったからこそ、私は六段坂を攻略できたと言えるだろう。
言語学習にあてはめれば、「生徒の方が英語力が高いことを認める」となるだろう。段位が強さを映しているとは限らないように、年齢・立場・肩書は英語力と無関係である。相手の方が格上なら、素直にそれを認めることだ。悔しいならば、自分も練習すれば良いだけである。
私が普段勤務している塾には、帰国生・留学生が多く通っている。彼らとの出会いが、私をEnglish speakerとして覚醒させてくれた。今も、中学生・高校生(主に女子)に英会話の相手をしてもらっている。このマインドが大切だと考える。
・学ぶ機会は無数にある
天鳳では、特上卓までは無料でプレーできる。しかも、同卓者のプレーを牌譜で確認することができる。これは素晴らしい環境ではないだろうか?
私は20代の頃、雀荘で「この人は上手い」と思った打ち手の見学をするのが好きだった(店からすれば迷惑😅)。現代は、そんなことをしなくても、簡単に上級者のプレーから学べる時代だ。
あらゆる分野における上達法。それは、上級者の真似をすることである。その機会を生かさない手はないと思う。
言語学習においても同様のことが言える。ネットの世界には、言語学習動画が山のように溢れている。私が閲覧した言語動画は、優に1000を超える。しかも無料‼️。
基本的に、私の英語学習法は金がかからないことが売り(その代わり、時間はかかる)↓ だが、それは私自身があまり金をかけずに学んでいるからだ。学ぶ機会はいくらでもある、学ぶ意思さえあれば。
・理論より実践
本記事前編でも書いたが、実戦中にはそこまで複雑な思考をしている訳ではない。というか、そんなことをしていたら制限時間に間に合わない。
普段から、牌譜検討などを通じて自分なりの基準を確立しておき、実戦では感覚的に判断することになる。
言語も同じことだ。難しい理屈をこねるのもイイが、それは実用の場面ではほとんど役に立たない。感覚的に「正しい」表現ができるよう、練習あるのみだ。
この点、従来の日本の英語教育は、理論に偏り過ぎていると思う。牌効率や押し引きを実戦で身につけるように、英語の理屈も実際に使う過程で身につけるしかないのだ。
もちろん、練習において山のようにミスをすることになる。それでイイ、いや、それがイイ。ミスを繰り返すうちに、徐々に自身の英語力が向上するのである。
もっと言えば、真に理論を理解できるようになるのは、実践できるようになった後なのである。理論は後だ、まず実践することだ。私が、「英語はなぜ難しいか?」シリーズを通じて、何度も述べていることである。
大変長くなった。ここまで本記事をお読み頂いたこと、改めて感謝申し上げる。次回(英語)、次々回(麻雀)記事はネタ満載でいく予定だ。それでは!