Next to Normal考察:見えない少女が『普通』を超える瞬間
「普通って何だろう?」インスタを開けば、誰かの「普通の幸せ」が溢れてる。でもその「普通」、本当に自分にとっての幸せなのかな?
そんな「普通」への思いを、強く響く音楽と深い家族の物語で描き出すミュージカルがあります。『Next to Normal』。ロック調の楽曲が心を揺さぶり、複雑に絡み合う家族の感情を赤裸々に歌い上げながら、「普通」の意味を問いかけてくる作品です。
今回は、この作品に登場する一人の少女、ナタリーの物語に注目して、その魅力を探っていきたいと思います。思春期特有の繊細な感情、家族との葛藤、そして自分探しの旅路――彼女の心の変化は、パワフルな楽曲と繊細な演出によって、観る者の心に強く訴えかけてくるのです。
作品概要と着目点
『Next to Normal』(以下、N2N)は、一見すると普通の家族を描いた作品。でも、その内側には、深い悩みが隠れています。
[⚠️以下ネタバレを含みます⚠️]
お母さんのダイアナは、16年前に亡くした息子の幻影が見えてしまう双極性障害と闘っています。お父さんのダンは「普通の家庭」を必死で守ろうとするあまり、自分の気持ちを押し殺してしまう。そして娘のナタリーは、亡くなった兄のゲイブとずっと比べられ続けて、自分の存在価値が見えなくなっている女の子。亡き兄の存在が、この家族の「普通」を大きく歪めています。
ナタリーの心の中にある「見えない存在なんじゃないか」という不安。「普通の家族」と自分の家族のギャップ。誰かの陰になって、自分らしさを失っていく感覚。これらの気持ちは、現代を生きる私たちの心にも響くものがあるのではないでしょうか。
現代社会と「普通」のプレッシャー
私たちの周りには、「普通」という名の見えない物差しがあふれています。インスタには笑顔の家族写真や結婚報告、TikTokには憧れの日常。でも、実際の生活ってそんなに完璧じゃないですよね。むしろ、そのギャップに苦しんでる人も多いんじゃないでしょうか。
N2Nは、音楽と物語を通じて、一つの家族の「普通」への向き合い方を描きます。それぞれの登場人物が抱える感情や葛藤は、時に激しく、時に繊細な楽曲で表現され、そこに衣装の色使いという視覚的な演出が加わることで、より深い共感を呼び起こすのです。
色彩で語る心の物語
この作品の演出の特徴の一つは、母親ダイアナの視点を通じて、各登場人物がどのように映っているかを衣装の色で表現していること。一見ただの衣装選びに見えるけど、実はダイアナの認識や現実の歪みを表す重要な要素になっています。
【3つの色が描く心情】
🔴 赤:Abnormal(異常)
🔵 青:Normal(正常)
🟣 紫:Next to Normal(普通に近いけど普通ではない)
例えば、冒頭のナタリーの赤いトップスは、母親の目に彼女が「異質な存在」として映っていることを示しています。一方、亡き息子ゲイブの青いTシャツは、ダイアナの心の中で彼が「理想的で普通の」存在として美化されていることを表現しています。
ナタリーの物語:見えない存在から、自分らしい存在へ
重すぎるリュック
ナタリーの毎日は、「普通じゃなきゃ」っていうプレッシャーとの戦いでした。お母さんの病気のこと、亡くなった兄の影、優等生でいなきゃいけないこと――。これらの重圧は、彼女が常に背負っている赤いリュックとして表現されています。
この歌詞が示すように、ナタリーは家族からも「ちょっと変わった子」として見られちゃうんです。彼女の赤い衣装や赤いリュックは、その「普通じゃない」っていうレッテルを表しているのではと思っています。
誰も気づいてくれない私
"Superboy and the Invisible Girl"という曲のタイトルだけでも、ナタリーの心情が痛いほど伝わってきます。
この歌詞には、家族の中での「存在感の格差」が象徴的に表現されています。「鋼鉄」と「空気」という対比。兄は固くて強い鋼鉄のように実在感があって、でも妹である私は...まるで空気のように、そこにいるのに誰にも見えない。
さらに、続く歌詞ではその痛みが強調されます:
ナタリーの「存在感の薄さ」が、この繰り返されるフレーズで鮮明に伝わります。それって、現代を生きる私たちにも似た経験があるんじゃないでしょうか:
SNSで誰かの華やかな投稿を見て、自分の存在が薄く感じる瞬間
周りの「普通」に溶け込もうとして、逆に自分が透明になっていく感覚
これは「誰か私を見て!」という必死の叫びでもあり、「私はちゃんとここにいる」という強い自己主張でもあります。
実は、この「見えない少女」の歌は、私たち誰もが持っている「認められたい」という願いの物語でもあります。完璧な誰かと比べられて、自分の存在価値が見えなくなる。でも、本当は誰もが「私をちゃんと見て」と願っている。そんな普遍的な思いが、この一曲に詰まっています。
”Maybe”:変化の瞬間
"Maybe"という曲は、この作品の中でも特に感動的な転換点です。それまで交わることのなかった母と娘の心が、初めて本当の意味で触れ合う瞬間だから。
曲の中の母と娘
"Maybe"の歌詞には、母と娘の複雑な感情が織り込まれています:
この言葉には、お母さんの後悔と娘への愛情を示せなかった痛みが込められています。
新しい関係を築き、互いを理解し合いたいという希望の表れです。
リュックを下ろす瞬間
そして、このシーンのクライマックス。お母さんがナタリーの「赤い」リュックを下ろしてあげる瞬間。この行為には深い意味が込められています:
認め合うこと
お母さんが初めて、本当の娘の姿を見る
ナタリーが自分の気持ちを隠さなくていいと気づく
許し合うこと
完璧じゃない家族を受け入れる
お互いの傷を認め合う
解放
「普通」という重圧からの解放
演じることからの解放
青いドレスの意味
お母さんがリュックを下ろしてあげた次のシーンで、ナタリーはヘンリーの待つプロムに向かいます。そこで彼女が身に着けているのはきれいな青のドレス。 この青は、作品の最初に出てきた「完璧な普通」を表す青とは全く違う意味を持っています。ゲイブを象徴していた青が「理想化された完璧な普通」だったのに対し、ナタリーの青は「自分らしい普通」を表現しているのではと私は感じました。 赤いリュックを下ろした時、ナタリーは初めて「私も普通の女の子なんだ」と気づくんです。それは、完璧を目指す必要のない、ありのままの自分でいい、という開放感。理想の家族じゃなくても、理想の娘じゃなくても、そのままの自分でいいんだ――という気づきの瞬間。 この曲とシーンは、単なる母娘の和解を超えて、私たち一人一人が背負っている「普通という名の重圧」からの解放を描いているのではないでしょうか。完璧を求めすぎて、大切なものを見失わないように。その大切なメッセージが、この一曲に詰まっています。
最後に:完璧な「普通」なんて、なくていい
そして物語の最後、彼女は紫の衣装に身を包みます。この色の変化には、深い意味が込められています。
この最後の衣装の変化は、ナタリーが新しい境地に到達したことを表していると考えています。
「普通」という概念そのものから自由になった
完璧でなくていい、普通でなくていいと心から受け入れた
それは、作品のタイトルである「Next to Normal」という言葉が持つ本当の意味の体現でもあります。
ナタリーは、赤から青へ、そして最後に紫へと衣装を変えていくことで、私たちに大切なメッセージを伝えてくれます:「普通」に縛られず、でも完全に否定するわけでもなく、自分なりの在り方を見つけていくことの大切さを。
完璧な「普通」を追い求めるのではなく、それぞれの「Next to Normal」を見つけていく。ナタリーが赤から青へ、そして紫へと変化していったように、私たちもまた、自分だけの色を探していけばいい。それは、決して真っ直ぐな道のりではないかもしれない。でも――
作品の最後の曲"Light"が力強く告げるように、その道の先には、きっと私たちそれぞれの「光」が待っているはずです。