水樹奈々に人生を変えられたオタクの話③


19歳の時に名字が変わった。


水樹奈々がきっかけで私のことを好きだと言ってくれた人と一緒になってから、もうすぐ4年になる。

母親にも見捨てられて、どこにも居場所がなくなった私のことを、好きだと言ってくれて、一緒にいようと言ってくれる人が出来た。やっと幸せになれるんだって思った。

水樹奈々に出会って人生が変わったと思っていたけれど、私自身はまだ変われていなかった。入籍予定の日の1週間前になって、自分に自信がなくなった。どうして私みたいな人間のことを好きだなんて言うんだろう、私なんかと結婚して幸せになれるはずがないって思った。私のことを信じてくれた人を、私は信じられなかった。

入籍の前日に、やっぱり籍を入れるなんて無理だって、私にはまだ早すぎるんだって、たくさん泣いた。

それでも、今更辞めるなんて言えなくて、周りに迷惑かけられなくて、婚姻届を出した。

結婚したばかりの頃は、幸せだって思えたのに、時が経つにつれて辛いことばかり増えた。

一緒にライブに行っても、気を使って楽しめなかったり、誰かと遠征することを反対されたりして、ライブが楽しくなくなった。

水樹奈々の初めての甲子園球場でのライブの時、大雨に打たれて荷物も服もびしょ濡れになったうえに、夜行バスに乗って帰るはずが私が時間を勘違いしていた所為でバスに乗れなかった。

あんなに怒っているところを初めて見た。私の所為で、ライブも、遠征も、全部台無しにしてしまった。

バス乗り場で泣きながらうずくまることしかできなかった。


それからは仕事から帰って玄関で泣き出してしまう日もあった。仕事に行くのが辛くて無断欠勤する日もあった。


2018年の6月に、一緒に住んでいた家を出た。1人で暮らす部屋を探して、別居をすることを決めた。


私はただ逃げただけだ。


それでも、私の人生を変えてくれた水樹奈々に会いに行くことは辞めたくなかった。

それだけが生きがいだった。


1人で家賃を払うのが辛くなったら副業でアルバイトをして早朝から夜まで働いた。家に帰って酒を飲みながら1人で泣くのが日課になっていた。

どんなに辛くても、水樹奈々は私に前向きになる魔法をかけてくれた。


どんなに生活が苦しくても、会いに行ける機会があるなら会いに行かなくてはならないと、半ば使命感に動かされながら私は水樹奈々のライブに行っていた。




私はやっぱり独りでいるのが似合ってるんだ。



今までずっと、そうだったように。









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