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どこまでが恋想の花火だったのかというただのオタクの想像の話。


私の尊敬するオタク長文で有名なななしさん(@crystal7letter)のオタク長文を読んで、水樹奈々の曲の歌詞をじっくり読み解きたくなったので。


水樹奈々の楽曲は作業中に聴くことが多く、歌詞をじっくり読む機会は少なかったのでとても新鮮だった。

楽曲に時間をかけて触れる機会をくれたななしさんにはそのうちお礼を言いたいと思う。


今回は水樹奈々の楽曲、『恋想花火』について。


曲自体は何度も聴いているが、歌詞をじっくり読んだのは初めてかもしれない。

まず、歌詞を読みはじめて疑問に思ったことが1つある。



なぜ恋想花火の中の「君」と「僕」は改札で待ち合わせをして、改札でさよならをするのか。



恋想花火を初めて聴いた時から私は、君と僕はきっと同じ土地で育って、家も近所でよく複数人で遊ぶ仲なのだと思っていた。

歌詞にも「いつもの裏道を抜けて」とあるように、花火もきっと家の近くで見たんだと思っていた。

それなのにAメロの歌詞は

「夕暮れ 君と待ち合わせた駅」

どうしてわざわざ「駅で待ち合わせ」て、「改札口を過ぎればさよなら」なのか疑問だった。


「恋想(れんそう)」という言葉は実際には存在しない言葉だ。同音語の「連想」とかけているのだとは思うが、正確な意味は作詞したヨシダタクミ本人にしか分からない。

私は『恋想花火』の物語は、「僕」が想い描いていた恋の夢の話なのだと思う。だとしたら、曲中のどこからどこまでが「恋想」なのだろうか。


改札口を過ぎれば

今日で君とはさよならなんだ

引き止める理由があったらいいのに


君のことが好きだから、だとか

一緒にいたいから、という理由ではだめだったのだろうか。

引き止める理由はいくらでもあったのではないか。

歌詞を読めば読むほど謎は深まるばかりだが、決定的な一文があった。


夜空に満開の花火が上がるころ

君のいない世界で僕は泣いたよ


夜空に満開の花火が上がったとき、ではなくて上がるころ。

僕は満開の花火を見ていない。

多分、見れなかったのだと思う。

そして、「君のいない世界で」

ここからはただのオタクの想像でしかないのだけれど、「君のいない世界で泣いた」のは君とさよならした後。即ち改札口を過ぎた後。

僕は満開の花火を見る前に、君とさよならして君がいない世界にいた。


駅で待ち合わせしたのは、君とさよならするため。恋想の中の君とさよならするために駅で待ち合わせをしたのではないか。

「夕暮れ 君と待ち合わせた駅」から僕の恋想は始まっていたのだと思う。


「改札口を過ぎれば君とさよなら」なのは、君のいない世界に戻るから。

「引き止める理由があったらいいのに」は、引き止めても僕の世界に君はもういないから。さよならをするために駅で待ち合わせしたのだから、引き止める理由はない。


「君のいない世界」が正確に何を示すのかは分からない。君がもう会えないくらい遠くに行ってしまって連絡も取れないのかもしれないし、もしかしたら本当にこの世界にいないのかもしれない。


最初で最後の二人だけの夜

友達と複数人で花火を見たことはあるのかもしれない。もしかしたら、来年は2人で見ようなんて話したのかもしれない。

結局、君と二人きりで花火を見ることは叶わなかった。だからせめて恋想の中で二人きりで花火を見て、さよならしようと思って駅で待ち合わせをしたのではないか。





まとめると、結局のところ君と二人きりで花火なんて見ていないというのが私の解釈なのだ。


でも、

綺麗だねってそっと呟く君の手を

強く握りしめていた

のは恋想じゃなかったらいいなぁとか思ったりした。







これらは全てただのオタクの想像の話です。

異論は認めます。


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