水樹奈々に人生を変えられたオタクの話①
生まれて初めてジャケット買いをした。
中学生の時だった。そもそもCD自体ほとんど買ったことがなかったのに、気が付いたら手に取っていた。気まぐれに立ち寄ったアニメショップで偶然出会った水樹奈々のアルバム「IMPACT EXCITER」
この時は水樹奈々という名前すら知らなかった。曲も1曲も聴いたことがなかった。それなのに買ってからずっと胸が高鳴るような感覚があって、ワクワクしながら家に帰ってすぐに再生した。
まさかこの時は水樹奈々という人間が自分の人生を変えるなんて思ってもみなかった。
初めての水樹奈々のライブは2011年のLIVE CASTLE。水樹奈々初の東京ドームでのライブだった。このライブに行ったことを今では後悔している。
同じ年の夏のツアーLIVE JOURNEYのBlu-rayで1番最後のMCを観た時にすごく後悔した。それまでのファンと水樹奈々が作り上げてきて、やっと形になった東京ドーム公演。その東京ドームに私は何も知らずただ、「東京ドームなら家から近いから行ってみよう」って、そんな軽い気持ちで踏み入れてしまった。もっと早く生まれて、もっと早く水樹奈々に会って、東京ドーム公演が決まった感動を一緒に味わいたかった。悔しくて仕方なかった。
初めてのライブの翌年、2012年。高校生になった。母親が自殺未遂をした。私の目の前で自分の首を剃刀で切って、私のことを娘だなんて思ってないって言った。
2012年は1回もライブに行かなかった。
高校にも行けなくなった。
もう水樹奈々のライブにも行くことはないと思っていた。
小学生の頃から母親のことが嫌いだった。指定難病を患っていた母は脳に異常があって、鬱病とパニック障害を持ってた。
あの子の家だけ役員も当番もやってないって噂になったり、あの子のお母さん喋り方変なんだよって言われたりした。周りから避けられて孤立して、陰口ばっかり言われてた。思い返すとあれがいじめっていうんだって気が付いた。
小学生の時から1人で勉強したり本を読んでるのが好きだったから、そのまま中学校でも孤立していた。勉強ばっかりしていたせいで、中学1年の最初の期末試験で学年首位を取った。学年中の生徒が私の顔を知ってた。次のテストでも首位を取ったら嫌味を言われるようになったので、それから勉強するのを辞めた。
それから勉強が嫌いになって、高校はギリギリで進学校に入ったものの、成績が学年で下から3番目になった。初めての挫折だった。
母はそれがショックで鬱病を悪化させた。自傷行為が酷くなって、自殺未遂までした。もう少し搬送が遅かったら助からなかったと言われた。
家にも学校にも居場所がなくなった。
昼は4階建てのマクドナルドの最上階の窓際で勉強や読書をしていた。何度か補導されたことがある。夜は家に帰れなくて、バイト先の人に泊めてもらったりしていた。ナンパしてきた知らない人に付いていって家まで行ったこともある。
「勉強もしないし、出席も足りないし、このままだと留年になる」って担任の教師に言われた日の帰り道で、水樹奈々のライブが埼玉の西武ドームで開催されることを知った。これが2013年のLIVE CIRCUS。
埼玉に行くということは、私の中では一大イベントだった。
生まれも育ちも東京で、家族で旅行に行ったこともなかったので、修学旅行等の学校行事以外で東京を出たことがなかった。
どうして行こうと思ったのかは忘れてしまったけれど、学校帰りに西武ドームのチケットを取ったことは今でも覚えている。