水樹奈々に人生を変えられたオタクの話④
私の「初めて」のほとんどが水樹奈々に奪われた。
CDをジャケット買いした事から始まり、初めて1人で東京を出た。
初めて1人で新幹線に乗ったのも、夜行バスを使ったのも、水樹奈々に会いに行くためだった。
人生で始めて飛行機に乗ったのが2015年のLIVE ADVENTURE。高校を中退していたのでその時は気が付かなかったけれど、思い返せばまだ高校生の歳だった。
高校2年で中退したので修学旅行にも行っていないし、家族旅行もなかったので、水樹奈々に出会っていなかったら一生飛行機に乗る事なんてなかったんじゃないかと思う。
実はLIVE ADVENTUREの前にようやくファンクラブに入会したので、この年のツアーはそれなりの数の公演を申込みして、当たった所に行こうと思っていた。
軽い気持ちで申し込んだら8公演もチケットが取れた。今思うと高校生のやることではないと思う。その中に福岡公演が入っていたので、軽率に飛行機と宿を予約し、軽率に福岡に飛んだ。オタクはフットワークが軽いのだ。
数年前の私が、今の私を見たら驚くだろうな。
そんなことを考えながら、人生初の飛行機で福岡に向かった。
水樹奈々に出会って、私は前向きになった。むしろ前向きくらいしか取り柄がない。
でも、人生が変わったと言うにはまだ少し早い。
まだ私は独りのままだったから。
遠征はほとんど自分だけで行った。
同年代はまだ高校生で、遠征に行くような友達がいなかった。そもそもの話、友達自体ほとんどいなかったのだが。
移動手段をなるべく安く済ませたいので夜行バスばかり使っていたし、ライブ後に一緒にご飯を食べるような友人がいなかったので、遠征先でもご当地の料理をほとんど食べなかった。
自分で自由に行動することが楽しかったけれど、やっぱり友人と楽しそうにしている他のファンが羨ましかった。
私の人生の分岐点は、秋葉原のゲームセンターだった。
小さい頃からクレーンゲームが得意だった。母親が病気になる前は、毎週家族でデパートに行って屋上の小さな遊園地で遊ぶのが好きだった。今はもう取り壊されてしまって存在しない。そこのクレーンゲームで猫のぬいぐるみを獲ったら母親が褒めてくれた。母親に褒められたのなんてこの時くらいじゃないかと思う。妹が同じものが欲しいと泣いたので同じ猫をもう1匹獲ってあげた。この話、妹が見たら怒りそうだな。妹は多分覚えていないけれど、2匹目に獲った猫の個体差が激しくて、「こいつはあんまり可愛くないからいらない」って言われたのを私は忘れない。
秋葉原のゲームセンターで目当てのアニメのプライズ商品が入荷したので獲りに行った。難なく1プレイで捕獲。
後ろを振り返ると、私と同年代くらいの女の子が見ていた。男性向けのコンテンツなのに珍しいなぁと思っていたら、同じ筐体にコインを入れた。あまり見ていても悪いなと思ってその場を離れようとしたが、あまりにも苦戦しているので見兼ねて声をかけてしまった。
私が戦利品を手渡すと、とても嬉しそうに微笑んでくれた。ナンパしたつもりではないが、TwitterとLINEの連絡先を教えてくれた。
帰りの電車でその子のTwitterを開いて驚いた。水樹奈々のファンだった。それどころか、私がTwitterでよく見かけていた水樹奈々のイラストを描いていたのがその子だった。自分と同年代で水樹奈々を好きな子に初めて出会ったし、自分とほとんど歳が変わらないのにイラストが上手くて素直に尊敬した。こんな偶然があるのかと感動した。
この子ともっと仲良くなりたい、この子のことを知りたいと思ってすぐにLINEのメッセージを送った。
本人に言ったことはないけれど、私が本格的に絵を描こうと思ったのはその子に出会ってからだと思う。今でも感謝している。