高身長の私が、世界中どこでも幸せになるためには
私は背が高い。23歳女性、身長170cm。
ヒールを履いたら180cm近くなるので基本履かないし、履いたとしてもほぼフラットなヒールだけ。
高身長女子のコミュニティから、「170cmなんて普通だわよ!」と声が聞こえてきそうだけど、世間一般的に日本では高身長女子の部類に入ると思うので、高身長ガールたち、大目に見てください。安心しろ、私はそなたの同志だ。
物心着いてからずっとコンプレックスだった。
猫背になるのに時間はかからなかった。
男子高校生のグループから聞こえるデカくね?という囁き声や、街中を歩くカップルの「俺よりでけえじゃん」「ほんとだね(笑)」という会話。
電車に乗った時に感じる視線。窓越しに映る、つり革につかまる私の足元を確認するおっちゃんの視線。被害妄想と言われればそれまでだけど、人の視線て意外とわかるものよね。
自分の身長が本当に嫌いだったし、身長を小さくする方法とかもググり倒した。
唯一の利点といえば、満員電車で酸素が確保しやすいことくらい。
そんな猫背で過ごしてきた私にも転機が訪れる。
アメリカへの留学だった。
私は大学2年生の時に、アメリカのジョージア州へ約1年留学した。
それまで海外経験といえば、覚えてもいないほど幼い頃に行ったらしいグアムと、大学1年生の春休みに行ったバルセロナくらい。
つまり、異なる文化圏の価値観の中で過ごすのはこれが初めてで、ましてや世界中の色々な文化と人種が入り混じるあの最高な国、アメリカだった。
肌の色も、目の色も、髪質も、身長も、体質も、「人と違うことが当たり前」の国で、私は初めて息苦しさから解放された気がした。
アメリカで、初めて私は、「背の高い女の子」以外になることができた。
(アメリカはアメリカで、今度はAsian Girlというラベルを纏うことになるのだけどそれはまた別の話)
なんなら欧米では、背の高い女の子はイケてる、という風潮があるので、それも割と味方したかもしれない。
日本に帰国してから、渡米前よりマシにはなったものの、少しずつまたコンフィデンスレベルは下がっていってしまった。アメリカでお気に入りだった厚底のサンダルや、高めのブーツと、少しずつ距離を置くようになった。
それもあってか、酸素を求めるかのように、海外旅行、特に欧米圏に、長期休みのたびに足を運んだ。
・・・・・
Netflixに、私が大好きなQUEER EYEという番組がある。
アメリカで撮影されているリアリティーショーで、それぞれの得意分野をもつゲイの5人組、”Fab5”が、クライアントの内面も外面も素敵に大改造する、という自尊心向上の特効薬のような番組。
初の海外シリーズということで日本シリーズが公開されたんだけど、特に印象に残っているのは、エピソード2。日本でのゲイとしての在り方に悩むKanさんのお話。彼もカナダやイギリスでの滞在を機に、自分らしさを開花させられたものの、日本に帰国してから、難しく感じるようになってしまい、常に日本を出ることを考えている、というバックグラウンドを持っていた。
悩みの種は違えど、あ、少し私と似てるかも、なんて思いながら見ていたのだけど、このエピソード2に出てくる言葉に私はハッとさせられる。
僕たちがもつ個性や要素は、僕たちみんなに与えられた贈り物。この贈り物を受け取れば、君は世界中どこにいても幸せになれるようになる。
ーKaramo Brown
(文脈がないと伝わりにくいので、少し言葉足してます)
あ、私はまだ根本の解決に至っていないんだ、と気づいた。
だって、もし私が本当に、私の贈り物である身長を受け取れていたら、私は日本でも幸せになれているはず。
私が旅行に精を出して、少しの間自由になれていた気がしたのも、背が高い女性はイケてるという欧米の基準にたまたまフィットしていたからだったのでは?とか考え始めた。
いくら周りにかっこいいじゃん、モデルみたいで、と言われても、自分で受け入れられない限り、自分がしっかりと贈り物を受け取らない限り、意味がないんだと思う。
大衆が考える美の基準が蔓延し、広告もメディアもTVも、私たちの目に触れる全てがそれに染まっているからとても難しいことだけど。贈り物をしっかりと受け取って、私は私しかいないということ、そのこと自体が素晴らしい、と思えたら、きっと私は世界中どこにいても揺るがない自尊心を手に入れることができる。
ちなみにこの自分を受け入れる過程を、誰かが”Journey(旅)”と表現していて、ぴったりだと思った。私はまだまだ自分を受け入れる旅の途中です。
背筋を伸ばして歩くこと、自分はかっこいいと思って自信を持って歩くことから始めればいい。きっとこれは長旅だから。
次の休みの日、ヒール見に行ってみよっかな〜〜!!
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