わたしの20代を振り返ってみた。
先日誕生日を迎えて、30歳になった。30歳。そんな実感は全くない。「そんなに長く生きてきたなんて本当だろうか」、「確かに体や顔つきは変わってきたけど、でもそんなに大人じゃないな」とかそんなふうに感じる。とはいえわたしの20代は確かに終わり、30代が幕を開けたわけで。今回はわたしの20代を振り返ってみたいと思う。
20代のはじめ
何も分からなかった。でも違和感だけは分かった気がする。20歳を迎えた時は大学生で、このままで良いのか、このまま生きていて何かわかるんだろうか?常に不安だった。だから、就職活動は本当に恐怖でしかなかった。自分のことがいくら考えても分からない気がした。分かった気になっても、まだその奥に違う自分が隠れているような気がして、自分のことが信用できなかった。今考えれば、幼い頃から自分を押し殺し生きてきたせいで、自分の本音がかなり複雑に絡まった糸のようになり、それを解くことができなかったんだと思う。
それでも違和感だけは確かに分かった。違和感というのは、大学生になり社会が広がった瞬間に感じた男女の扱われ方の差に対するもの、就活中に何度も受けた明かな性差別発言に対するもの。当時はフェミニズムにも出会っていなかったし、性差別というものを言葉で理解しているわけではなかったから、この違和感がなんなのかはよく理解できなかったが、「これはおかしい」ということだけは分かった。そして、そういう場からは離れた。自分の
違和感を見逃さなかった決断は正しかったのだと思う。
大学卒業〜20代半ば
就職をしたわたしは、ここでも大きな違和感と居場所の無さを感じた。「女性が働きやすい」を謳った業界に入ったものの、その「女性が働きやすい」は、「育休産休が取得しやすい」でしかなかった。男性は当たり前に、結婚し家庭を持ち、昇進して役職を持っている。家庭も仕事も両方選んでいる(社会からのプレッシャーもあると思うし、男性ならではの苦しさがあるのは分かった上で)。しかし、女性の場合は家庭を持っている人は、昇進は諦め、役職も給与も変わらぬまま。役職を持っている女性は、独身もしくは子どもがいない。少なくとも当時のわたしの周りは例外なくそうだった。「なぜ女性はどちらかしか選べないんだろうか」そんな疑問を持ち、自分の先の未来が見えなくなった。
職場で起こる女性蔑視は日常のことで、それに対して違和感と嫌悪感を募らせていった。なぜみんなそのまま受け入れているのか理解できなかった。とあることで、上司と話し合いをしたら全く取り合ってもらえず、埒があかないと退席して号泣したこともあった。自分だけがおかしいのか?とさえ思った。
また、この時期は自分についた「タグ=職業」に苦しんだ。「誠実で、勉強熱心で、清廉潔白」のようなイメージの職業だったため、そのイメージ通りの人間でない自分を誰かに見られるのが怖くなり、休日に外出することが難しくなった。ただ、誰もわたしのことを知らない土地に行きたいとさえ思った。今思うと、そのタグは自分が自分に付けたものだったのだけれど。
この頃からひとり旅に出ることが増えた。誰もわたしのことを知らない島や田舎に行くことで、自分らしくいられる気になったのだと思う。ロンドンや台湾にひとり旅に出たこともあった。海外に一人で行くことが思いのほか楽しく、もっと旅を楽しむためにと英会話を始めたのもこの頃だった。
20代半ばを過ぎた頃
全く違う業界に転職をした。簡単にいえばもっと自由に、自分に裁量を持って働けると思ったからだ。自分の力を試したいとも意気込んでいた。
同時に、現在も所属するNPOにボランティアとして所属し始めた。前職の頃は、職場と自宅の往復のみで、それ以外コミュニティを持たず、自分の視野が狭くなっていくことに恐怖心を覚えたため、職場以外にも居場所を持ちたいと、NPOに所属した。この決断は今振り返っても、とても良かったと思っている。多様な人が集まる場で、いろんな人と関わることで新しい取り組みが生まれたり、自分一人ではチャレンジできなかったことも一緒にやることで実現できたり。このNPOでのつながりをきっかけにパラレルワークも実践した。たくさんの経験をさせてもらっている。
一方、当時の職場での仕事は、かなり大変だった。立ち上げ期の会社で、最初から一人でぽーんと崖から突き落とされ、そこからなんとか這い上がってやっていくような仕事ばかりだった。慣れていくうちいろんな仕事を任されるようになって、新しいことに取り組んだりするのが楽しかった時もあった。ただ、どう考えても働き過ぎだった。働き過ぎて、心を壊した。もう限界だったのだと気がついた時には遅く、体が動かなくなっていた。
同じ頃、デンマークという国、フォルケホイスコーレというデンマークの教育機関について知った。「このまま働き続けても、このままどこかに無理やり転職しても、また同じことを繰り返すような気がする」と、一度キャリアや自分の人生を考え直し、自分がこれまでの人生で抱えてきた違和感や大切にしたいものと向き合い、今後の人生の糧とするためデンマークに渡った。※デンマーク留学を決めた詳しい理由が知りたい方はこちらからどうぞ。
20代後半〜現在
デンマークでの学生生活が始まった。まず友達との出会い方を忘れていたことに気がついた。社会に出てから新しく出会う人たちは、ほとんどわたしの職業などのタグとともに出会った人ばかりだった。だから、まっさらなそのままの"わたし"として新しい人と出会う体験が久しぶりだった。"そのままのわたし"って一体どんなわたしなんだろう。何が好きで、何がやりたくて、何が得意で、一体わたしってどんな人なんだろう。自分と向き合う旅が始まった。
たくさんの仲間とともに共同生活を送る中で、自分と他者の違いを認識したり、自分の思わぬ長所が見つかったり、逆に消してしまいたいような一面が見えてきたりした。そんな体験を繰り返しているうちに、自分の甲冑のように固い殻が破れ、本来のわたし自身と出会い直せた気がした。友人から「よく笑うようになったね」と言われた時に、「わたしらしさが戻ってきたのかもしれない」と思えた。※フォルケホイスコーレの留学に関しての体験と考察をまとめたものはこちらです。
デンマークの学校に滞在するうち、もっとリアルな社会に身を置いて、デンマークで働くことや生活する体験がしたいと思うようになった。そして2回目の渡航を決めた。
デンマークで実際に生活することは、留学生として体験するそれとは全く違った。良い意味でも悪い意味でもリアルな社会を垣間見ることができた。デンマーク人のベースにある共通認識のような考え方が日本人とは大きく違うこと、それにより働き方に大きく差が生まれていること、逆にそれによりサービスの質やスピードに差が出ていること。医療に対する考え方の違い、マイノリティとしてデンマークで働くこと、差別の経験など。またこれらの話は詳しく書く予定だが、本当にたくさんの経験と学びが得られた時間だったと思う。
そして、もうすぐ日本に帰国する。まだこれからどうなるかはわからないが、この2年間のデンマークでの時間はわたしにとって必要不可欠だったのだと思う。
20代前半、固い殻に覆われて自分が分からず苦しんだところから始まり、一つ一つの経験を積み重ねる中でゆっくりだけど、自分の行くべき場所に辿りついたのではないかと思う。ただ単純に、「幸せだった」、「楽しかった」とは言えない20代だったけれど、とにかく今は20代の自分をねぎらってあげたい。ちゃんと自分の足で歩んできて、わたしを今、ここに連れてきてくれてありがとうと。