森と共生するホテルで、哲学の一角を垣間見る。
ホテルに着いたのは6時前くらいだろうか。ちょうど黄昏時で、ここら一帯の茜色が透けて消えていき、濃紺が表情を豊かに僕らを木々を、そして空を包み込んでいく。
ホテルに到着して早々、ウェルカムドリンクのコーヒーをいただいた。宿泊中は無料て提供されているとのことで、この時点で二人のテンションは爆の文字が着くほどに上がっていたことを思い出す。チェックインの手続きを、カフェアンドバーのラウンジで行う。
案内人に聞くと、本日は満室とのこと。金曜の夜とはいえ、平日も満室という事実に、僕らは改めて前々から予約していてよかったと、目を合わせて話した。いよいよ予約していた部屋へと案内される時が来た。
僕らが予約したのは、薪ストーブ付きの部屋だった。膨らむ期待とワクワクが頂点に達しながら、扉を開ける瞬間の僕らの表情はおそらくこの一寸の時だけ、どこの小学生にも負けていなかったと思う。扉を開けた先にあった空間に、僕らは文字通り、息を飲んだ。
多灯分散、そして北欧調の空間と調度品の数々。
「嗚呼、住みたい。」
それが最初の感想だった。
そしてこの旅行唯一の後悔といえば、このホテルのディナーを予約しなかったことだった。当日でも何とかなるという精神はこうした人気リゾートホテルでは通用しないことを改めて痛感した。
とはいえ、部屋にはウェルカムドリンクにビールもあるし、頼めばサンドイッチやパン、ワインもあり、僕らにとってそれは十分すぎる豪華なディナーだった。
この部屋には浴槽がなく、シャワールームのみ。もう1つ楽しみにしていたのは併設されている温泉だった。
木々に囲まれた一筋の道を奥へと進む。静寂の中でも、さらに音のしない空間へと繋がり、木々の間を数十メートル進んだだけだというのに、深海に深く潜っていくような感覚がした。足下を照らす柔らかな暖色の光が温泉のある建物へと導く。あたりの空気は冷たく、頬を過ぎ去る風はひんやりとしている。
ここの温泉は強羅の温泉水の真水の2つとシンプルな造りだが、温泉の効能がきつく感じた時に、真水で漬かり体を休めることができるという、何ともホスピタリティ溢れる構造だった。
温泉水の方は比較的ぬるめで長湯できる温度だった。夜空と山の奥に見えるわずかな人工灯を見つめて、心と体を整えていく。ゆっくりと目を瞑り、森と、自然と共生していく。自然と一体になる。
こうして目を瞑っていると、自然と人を分けて考える概念自体、人が生み出したものであるということに気づく。人の作為は自然の一部ではないのか、人工とは、自然とは、一体何なのだろうか。自然と人を対等に並べること自体に何か違和感を覚える一方で、人が自然を汚染することは否定できないまごうことなき事実であると考える。こうして思考しているうちに頭がぼんやりとしてきては、外の空気に体を当てて休憩する。
何か、掴めそうで掴めない時間が続く。悪い癖が出てしまったのだと思った。せっかくリゾートホテルに来たのだから何も考えずに、今この時から幸せを感じよう。そう思って、僕は自らの思考もろとも体を温泉に沈めた。
風呂上りには、晩酌用に購入したハーフボトルのワインを二人で空けながら、ソファから焚き火をボーッと見つめていた。隣ですでに眠り世界へと誘われていた彼女を肩で支えながら、ゆったりと眠気が来るのを待った。
世の中は絶えず忙しなく動いている。いろいろな情報がオープンになった今、誰もが競える環境になった。そんな世界で、とりわけ競うを嫌う僕らにとって、この時間が空間が一瞬でも必要だった理由が、この時初めて分かった。この旅行が終わったら、僕らはまた競いに行く。いやでも競わなければならないから。便利で生きづらくなった世の中を、ちゃんと足を踏み締めて進んでいかなければならないから。
深夜2時。徐々にまぶたに重みを感じてきた僕は火の元を絶ち、二日酔いを避けるため、これまたウェルカムドリンクの一つであるポカリスウェットを飲んだ後、眠気まなこな彼女を支えながらベッドに場所を移して、就寝した。
明日は箱根登山鉄道とロープウェイに厄介になり、大涌谷を目指す。
つづく