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Romaのオベリスクに恋してpart2

ローマ劫掠のあとは、街は荒れ果てていた。
バチカンも、宗教改革、十字軍、腐敗政治に国庫も枯渇。
その頃、法王になったのが、シクストゥス5世。
街もバチカンのイメージアップも彼の肩にかかってる。


そこで、巡礼者を増やすべく、ローマの街を整備する。
巡礼地の目印の為、オベリスクを立てる。
オリベスクを移動するには道幅も広く一直線にする必要もある。
巡礼路の整備にもなる。
で1番目に建てられたのが…

サン・ピエトロ広場

2. バチカンのオベリスク
25.37mでラテラン・オベリスク、立っている古代のオベリスクとしては世界で3番目(ローマでは2番目)の大きさ。

写真スポットなので、ローマに行った方なら、なにげにオベリスク目的でなくても写り込んでる事が多いかも。

諸説あるみたいだけど…
フェロス(Pheros)という王の失明が治った感謝のしるしとして2基(1対)のオベリスクを古代エジプトの都ヘリオポリスの神殿に奉納したと言われています。

フェロスが盲目になったとき、夫以外の男を知らぬ女性の尿で洗眼すれば治るとの託宣を得た。
彼は自分の妃の尿で洗眼したが効果なく、次々に多くの女性で試み再び視力を得たときに、妃をはじめとする奏効しなかった女をみな焼き殺し、その尿で視力を回復することのできた女性を妃としたという逸話もある。

このオベリスクは、ヒエログリフが彫られていません。(エスクイリーノのオベリスク や クイリナーレのオベリスも)。


オクタヴィアヌス(ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス帝,在位,B.C. 27 ~ A.D. 14)がこのオベリスクをアレキサンドリアに運んでジュリアン広場に立てられていた。

西暦37年(一説に40年)、カリグラ帝(在位:37年 - 41年第三代)

がローマにこのオベリスクを運びカリグラ広場(後のネロ広場、バチカン円形競技場)に立てた。(注:この場所は,いまサンピエトロ寺院が立っている場所。)


ローマ法王シクストゥス5世が建築中のサンピエトロ広場に移し現在に至る。

ローマのこれ以外のオベリスクは中世にすべて倒れましたが、
このオベリスクだけは一度も倒れていません。奇跡のオベリスクなんです。
このオベリスクは聖ペテロの殉教の最後の目撃者であるとみなされたから倒されなかったとのでは?と言われています。

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