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「つくること」を日々の暮らしの中に。

今日も一日がまた終わろうとしているが、明日はどんな日になるだろう。
毎日当たり前のように日が登り、日が沈み、一日が終わる。この当たり前に有難みを感じ、一日一日を過ごしていきたい。


今週は、久しぶりに色んな場所に足を運んだ1週間だった。今回は、広島県福山市の鞆の浦に用事があったのと大阪で用事があったのでハシゴをすることに。

こうやって時間をとって外に出ること。それに仕事的な用事ではなく今回は自分の勉強のための時間として使った。こんな贅沢なことは無いな。


今回のいわゆるお出かけを通して、感じたことや気づいたことをまとめようと思う。


現代人に足りないものは「手作り」をすること。

僕たちが今、生活をしている中でどんどんなくなっているものは何かと考えた時にそれは、「自分の手でつくること」であると思う。産業や情報技術の発展により、僕たちの暮らしは便利になってきた。それは本当に素晴らしいことであろう。

だがしかし、便利と引き換えに私たちが何かを失ったとすれば、「手作り」が出来なくなったこと。

スマートフォンを片手で持って、ポチポチボタンを押せば、UberEATSでご飯が家に届く。
ボタンを押せば、ガスコンロの火がつく。
ボタンを押せば、お風呂が勝手にお湯を張ってくれる。
ボタンを押さなくても、トイレは自動で流れるし、ドアも自動で開く。
具材を入れてボタンを押せばご飯を作ってくれる。
スーパーに行けば、なんでも野菜が綺麗に揃ってる。
家電量販店に行けばものすごく便利な家電を買える。
ネットで検索すればそれっぽい情報や答えみたいなものがのっている。
そして暮らしがもっと便利になる。


僕たちは、ボタンを押したり、画面を触る行為が便利になればなるほど増える。もうとうとう自動で何もしなくてもできるようになるかもしれない。

じゃあ、考え直してみると、僕たちは実体験(いわゆる身体性を伴った行為)を便利というものによって失っていることに気づくだろう。

便利になるのは嬉しいが、僕たちには何が出来るだろう。僕たちがコンピューターなどの機械などをコントロールしていると思っているかもしれないが僕たちの暮らしは、そのような機械がないと全くなりたたない社会に生きていることに気づかないといけないだろう。


僕たちは、機械やシステムの中にいるちっぽけな存在になってしまったということだ。



人の素晴らしさはどこにあるのかと考えた時に、やはり「つくることができる」ということだろう。

わたしたちの暮らしの中に、もっと自分の「手作り」する部分を意図的に取り戻していかないといけないと思う。

つくると本当に上手くいかない。
この実社会の中での試行錯誤こそが価値になるだろう。

経験は僕たちの血肉となるはずだ。


探しても考えてもいくらたっても分からない。やってみること、歩き続けることが大事で。
そこには前に進むこともあれば後ろに戻ることもあるだろう。でも、歩くことに価値がある。前に進んだか後ろに戻ってしまったかはどうでもいい。それも自分の経験として吸収されていく。そして自分の経験は、他人への贈り物にもできる。そう思うと人類みんなにとってハッピーなことだ。


僕は目の前の人、出来事に向き合い続けることが自分に出来ることだと思う。

そう思うともっともっとやるべきことがあるはずだ。

何をするかも大事だけど、誰とやるかも大事。本当にこの人としたいと思う人と目の前のことを目指していきたいもののために取り組んでいきたいと思う。

やはり僕は目の前の人と向き合うためにエネルギーや時間を非常使うため、一人一人と話しまくってたら時間が無いがまあでもそれで時間が無くなってる方が楽しいか。長い目線で、人に贈り続ける人生でありたい。







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