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自分の心の傷に絆創膏を貼って、他者と関わってみよう。そうするときっと優しくなれる。

人の心というものは、脆いものだ。
何かあるたびに、人は何かを感じ、受け止めなければならない。
そして、目の前で起こる出来事なんて予想ができないことばかりだ。

ついつい、私たちはこの不確実すぎる社会の中で、生きていくことが当たり前だと思ってしまっているけど、それは毎日自分が受け止め、進んでいるから今があるのだ。

そこで立ち止まってしまったら進むことができない。ここでいう進むということは時間が進むという単純なことではなく、日々を生きるということである。


自分が日々を生きることができている理由は何だろう。

明日に楽しみなことがあるから?
友達が背中を押してくれるから?
何か好転しそうだから?

そう考えてもわからないだろう。
でも、明日に繋がろうとする動機が、自分が感じていなくても出ているから進んでいる。今一瞬一瞬っていうのは非連続的であるが、連続的のように見えている。

ぷつ。っとその時に何かが切れてしまったら、前に進めなくなるのだろうか。



僕は、いろんな人をたくさん見てきて、笑う人ってなんで笑うんだろう?って気になった。

それもその人の笑顔は潔い笑顔。曇りのない笑顔である。

そんな人の笑顔には、何か惹かれるものがあるし、何かを包み込んでくれたり受け入れてくれそうな気を感じる。


そして、そのような人は、何か過去にけがをしているケースが多い。ここでいうけがは、こころにけがをしていること。そしてそれらに絆創膏をはって日々を歩んでいる事。だれしも傷つくことはある。
そして、誰かにされた行動や自分の身に起こった出来事などそれらのことで、自分にとって忘れられない何かがある。

それらの傷は完全に癒えることはない。でも絆創膏を貼って生きていくのだ。


そしてそのような傷を過去負った人は相手にやさしさを持つことができる。それは、同情でも共感でもない。
寄り添うこと、理解しようと向き合うことができるのだ。


自分は人と関わる中で、「寄り添うこと、理解しようと向き合うこと」が僕ができることだと思う。

相手の気持ちを完全にわかることはできない。


でも、一緒に歩んでいこうということはできる。
そして目の前の人を大切にしたい。ぎゅっと抱きしめたい。
そして君の笑顔だけではなく、いろんな表情を見ていたい。

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