神様を飼う
こんにちは。ふなこしはじめです。
20歳になったばっかりの小さな生き物です。
突然このタイトルちょっと怖すぎてワロタとおもったね今絶対
わたしは、自分の中に小さな神様を飼っています。
どういうことかというのを、今までの自分の人生を踏まえながら書こうと思います。
散文ですが、それが私のスタイルなのでちょっと興味ある方はぐっと集中モードで読まずに眺める感じで、私の人生を後ろに流しながら、手を振りながら読んでください。
言っておく!
クソ長いぞ!!!!!!
あとちょっとショッキングなことも少しあるかもしれないから読んでて嫌なこと思い出しちゃったりした人は回れ右してとりまズーム飲みしよう🍻
・わたしが生まれるまえ
私の父方の祖父はクレイジーで、ありえん数の事業を起こしていたらしい。
スーパーマーケットからボクシングジム、寿司屋、クラブ、などなど...
思いついたら秒でやるタイプだった。
めっちゃ利益も出たみたいだけど、それと同じ額だけ借金が出た。
ありえん額だったらしい。
祖父も祖母も働きっぱなしで私の父は家族旅行にいった記憶がないって言ってた。
父、祖父を見て「自分のこどもたちにはこんな寂しい思いをさせない」と心に決める。借金を返すために祖父のスーパーマーケットを継ぐ。
・小さい時のわたし
私は、三姉妹の長女として2000年1月26日に生まれた。そのあとすぐに年子の妹が生まれてからは新潟の母方の祖母の元に預けられてた。祖母のこと、まじで母親だと思ってたから東京に帰るのを嫌がった。父は毎日激務で、ありえないくらい働いてた。
小学校2年生の時にクレイジーな祖父が癌で死んだ。
小学校の帰り道に母から伝えられて、路上で、生まれてから一番泣いたんじゃないかってくらい泣いた。
そのあと、父が鬱になった。
その父をみて母が「楽しそうなところみせたらかわいそう」ってことで、父に秘密で母と、1つ下の妹と遊びに行った。
パパに言っちゃダメだよって言われてた。
あんまりバカみたいになってるところ、家じゃ見せちゃいけないんだなーと漠然と思って、そんな風なこどもだった。小学校の成績も、”大変良い”以外があったら親に見せられないと思ってた
だから、ズルすること、コソコソと遊ぶこと、バレずに悪いことする事ばっかり考えるようになった
習い事も、行ったふりして行かないことがほとんどだったし、ピアノなんて毎週の練習課題曲はカンで弾いて乗り切ってた。
(小学校3年生の時に、なんでこんなことずっとやってんだろうってバカらしくなってやめたけど。そのときも、チアダンスの習い事が大変だからとか受験勉強だからやめなきゃいけないんですとかなんとか言って、大泣きしてやめた。名演技だった。)
・警察に世話になってたハゲのわたし
そんで、小学校の後半になって中学受験の塾に入ったときは塾の屋上の柵を登って、塾が終わる時間まで屋根の上でゴロゴロしてた。最高だった。
何度も、何種類もの法を破って、バレて警察に連れてかれたことも何回もあった。けどその度に名演技発動して、中学の学年主任も「舩越がそんなことするはずありません」って言って、怒られなかった。
そういうコソコソが多すぎて、いつかバレるんじゃないかって不安にかられる日々だったから、めちゃめちゃ苦しかった。
中学の頃も引き続きそんな感じだった。
そしてこの頃に髪の毛抜くようになった。気づかないうちに髪の毛めっちゃ抜いてる病気で、抜くときの感じが気持ちよくてスッキリする感じだったからやめられなかった。しかも毛根食べてた。しばらくの間は両親にも言えなかった。(食毛症っていうらしい。抜毛症と合併して発症する人めっちゃいるって精神科の病んでるオバさん先生に言われて、結構いるんだなーって思った。診る側が病んでてどうすんねん、って思ったから病院も一回しか行かなかった。)
割と顔は可愛いのに髪の毛ないって最悪すぎて、しかも自分で抜いてるのが一番最悪で、脱毛症の人羨ましかった。勝手に髪の毛抜けるなら、弱音吐けるじゃんずるいなーって
髪の毛自分で抜けないように指の先っちょをカッターで切ったりしてた。髪抜け抜く時にそこの切り込みに髪の毛食い込んで痛くてやめるかなと思ったから。今思えばバカすぎる。ただただ痛かっただけだった。その頃はそんなに痛いと思ってなかった。みんな、自分の体は大切にな!
当時付き合ってた彼氏に、坊主にしていい?って言ったらいいよって言ってくれたから坊主にした。
2度とやりたくないな、坊主は
みんな、自分の髪の毛は大切にな!
・母方の祖父を殺したわたし
びびったでしょ、殺したって言っても、殺してないよ
中学生の頃からひとりで新潟の祖父母の元に帰省するようになったんだけれども
小さい頃私を育ててくれた祖母の夫、つまり祖父がこれまたとんでもない人間で、祖母に一目惚れして結婚したらしいんだけどなアル中で
祖母が一生懸命働いて稼いだお金、財布から盗んで全部お酒代に刷って、
ある時なんか新潟駅の近くのクラブでめっちゃ散財して、お金払わないで家帰って、警察に追っかけ回されてとんでもない請求額を祖母が全部払ったりとか、してたらしい。
んで、中学3年の夏かなんかに一人で帰省した時、突然、呑んだくれて寝てばっかりの祖父が
「背中痛いからさすって」
って言ってきたの
どうせすぐ治るだろうとおもってさすってたんだけど、足の感覚がなくなってきたとか言って、痛すぎて言葉も発せなくなってたから
救急車呼んだのね。その時おばあちゃんもいなくて怖かった
それで救急車きて私も乗って病院に行ったんだけど、
「大動脈解離です。いますぐ手術しないと死にます、手術しても介護が必要になります。どうされますか。」
って医者に聞かれて
5秒くらい悩んだけど、しなくていいですって言った
(そのあとすぐにおばあちゃんもしなくていいですって言ってたけど)
そんで母親に「明日死んでしまうらしいから新潟に来てください」って電話して、母親パニック状態になってるのを電話越しにきいたとき
私はとんでもない判断をしてしまったのかもしれないとおもって(今思えばそりゃパニックになるよな)
あんなに邪魔者扱いされてた人間でも、やっぱり親子なんだなとか、変なこと思ったりしてその日を界にすごい虚無、というか
なんかどうやって私は生きて言ったらいいんだろうとか子供をもつってどういうことなんだろう、親子愛ってなんなんだろうって考え始めた。
・高校時代の男遊びのわたしと妹の病気
そんなこともあって、私髪の毛なかったし、悪いことたくさんしてたし、ひとのこと騙してどうにか自分のこと生かしてたみたいな感じで自分のこと殺したいくらい嫌いだったから心の拠り所は、もう、男!男!男!って感じでクラブに行きまくってた。なんで何回もオールするほどあんなに元気あったんだろう。
言うなれば、延命アイテムが自分のこと可愛がってくれる男の人だったんだなぁと思う
このとき、妹の拒食症が一番ひどい時で、私より身長が高いのに25kgとかしかなかったの、10分も自分の足では歩けないほどになってしまっていて入院してた
私はたまたま外の男の人にすがってたからまだ良かったけど、
妹はママ大好きっ子で、自分の病気で辛いことがあるとママにしがみついて泣き叫び狂ってたから
母親も母親で父親に言えないし、父親も拒食症って病気への理解が薄いから「太るのなんか気にしないで食べなさい」っていう、一番本人には言っちゃいけない禁忌の言葉を言い続けてた、仕方のないことだけど
家庭崩壊。
家に帰ると妹が叫び狂ってて、母親も叫び狂ってて、父親はキレて夜に家出て行くし、私も自分の髪の毛のこと誰にも言えなくて夜遊びか自分の部屋に閉じこもって妹の感情がおさまるまで男の人と長電話する、っていう毎日
そして大好きな愛犬のハムも鬱になってた。
家族みんなこのまま死んでしまうんだーとか思ってた。
ほぼ毎日学校には5時間目登校してた。(先生卒業させてくれてありがとう!大好き!( ◠‿◠ ))
わたし小さい頃、母親が妹の世話ばっか焼いてるのが腹立たしくてたまらなくて妹のことを、デブっていじめてたのね。
自分が寂しいからって軽い嫉妬の気持ちで言ってた言葉がこんなことを起こさせてしまった、と
家の前にもパトカー止まってたりして、ついに誰か死んだか、と思ったりもして
児相とかも家に来てたなぁ
それさえも羨ましくて、
「ここにも苦しんでるひといるんですけどー!母親ー!」とか思ってた。
自己嫌悪度がここでピークに達してたかもしれない
・家族の再生
そんなこんなで、高校卒業するまでに、家族みんな頑張った。
父親は家族のことをもっと理解しようと頑張って
母親は本当に頑張った。病気を完璧と言っていいほどに勉強し、家庭での治療を勉強し、なによりも、自分の好きなことを始めた。(家の中リフォームしてた)
もちろん、1つ下の妹も自己肯定を覚えてめっちゃ努力したんだと思う、仏みたいになってるから
一番下の妹も毎日耐えて小学生なのに家族の仲裁に入ってた。
で、たぶん一番頑張ったのが犬
犬はとにかく家族にセラピーを施していた。犬がいなかったら家はマジで終わってた、らしい(母談)
・神様を飼う
んで、そんな感じの人生がこのふなこしはじめをつくったと言っても過言ではないのだけれど、ここで出てくるのがタイトルの
「神様を飼う」ってこと。
キリスト教とかあるでしょ、あれ、いいよね
人生迷ったときにその都度聖書召喚して手引書みたいな感じで見て、
あ〜神がこう言ってるから心配ないわ最高〜
って留学してる時の宗教の授業で思った
どの宗教がいいとかではなく、迷った時に信じることのできるなにかがあるっていいなーと
日本ってそれむずいじゃん、だから、自分が神様飼うのがめっちゃいいの
見えないものでもいい、見えるものでもいい。
私の飼ってる唯一絶対神といつも会話してる内容を以下に記します
(私の神様はちな右脳で飼ってる(と思ってる))(ここからちょっと頭おかしいこと言ってるから18禁かもしれん)
私の飼ってる唯一絶対神といつも会話してる内容を以下に記します
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・自分の感覚が選んだ選択肢は絶対に正しい
自分の感覚以外が入ってたら、一旦それを除外して考えてみる。私の神はなんて言ってるだろう、進路が一番わかりやすいかも。
親が言うから、先生が言うから、じゃない、自分がこう思ったからって言える選択肢の方が最高。
あとあと人のこと責めることになると自己嫌悪になるし、そんなときでも「自分が決めてやったことだししかたねえーこれも人生人生〜」って言える方が絶対にいい。「あのひとがこうしろっていったから」「こう思われると思ったから」ってなるのまじでもったいない、そのひとたち、突然いなくなったらどうするの。
見た目もそう、学歴もそう、成績も、就職だって、そう
だれのなにからいわれたことに対して悩んでるんだろう
視点が「社会」だったらもってのほかで、社会とかあってないようなものだと私は思ってる、適合も不適合もないし、良いも悪いもない
って考えたらまじで優劣っていう概念すっとぶ(これが最高にエクスタシーで、全ての悩みが一瞬にして消え去る)(ちなミスコンも美醜優劣ガチガチの世界線文化のものだから、エクスタシーだった)
自分絶対神で生きる
自分の神様はどれを選ぶか、最初に考えた上で選択を吟味することが大事だと思う
・そこら中に愛が溢れてるからそれを見つけるのが楽しい
自分の指、物を掴むためにこんなに発達してくれて遠い先祖のみんなありがとう愛だわ、タイピングまでできるのすげえ、これは目だわすげえいつもすごい景色見せてくれてありがとう、ゲームで酷使してごめん
例えばご飯が美味しいこと、遠いところの誰かが愛情込めてつくった米つぶを大量に口に運んでいるという贅沢、最高の気分、愛
たとえば太陽が洗濯物乾かしてくれること、太陽って無条件に愛してくれてどんな男よりも最高の男(?)、愛
雨が飲み水とかお風呂の水になってくれる、てか見るだけで嫌なこと流してくれること、愛
電車とか車とか、開発してくれた人、整備してくれる人、駅員さん、とかその他いろんな人がいて大好きな新潟の祖母に会いに行くまで2時間しかかからないという奇跡、死ぬまでに歩いて行くのに比べて100倍たくさん会える、愛
もう壁も床も大好きなごま油も洋服も、、ってこう考えたらキリがない。
いろんな生き物やモノの愛が詰まったこの地球で生きてることがなんかスーパー楽しくて最高の気分になる、あ、いまこのみんなが読める文字を開発してくれたひともすげえわそうじゃないとみんなにこれ伝えることもできなかったわ天才か、PCもすげえ、スティーブ・ジョブス、アーメン
・なにごとも起こり得る
いまのところ確定事項なのって、死ぬってことだけだとおもうのね
もしかしたらわたしも男になりたいと思うかもしれないし、いまこんなにハッピーだけど明日死にたくなっちゃうような気分になるかもしれない
もっといえば明日突然隕石が降ってくるかもしれないし天変地異てきな何かが起こるかもしれない
ちっちゃいことでいえば、予想した通りに恋や勉強が進まないこともあるかもしれないし、今日会おうとしてた人が突然やっぱ会えないって言ってくるかもしれない
なんだって起こりうるから何も怖くないし明日が楽しみだし、過去を振り返ると自分がSFCでこんなにハッピーライフをすごすことなんて2年前の自分は知らなかったしね
穏やかに、起こることをただ眺めて感じるのみだとおもってる
家族のことも、たぶん起こって当然のことだったんだと思う。
そうすれば全ての怒りも収まるし悲しみもまあ、こんなこともあるよなって感じで終わる
逆になんにでもなれるよね、みんなの神様になることだって全然できる。
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わたしの神様はこんな感じのことをいつも喋ってる(おかしいひとです)
もちろん余裕がなくて召喚できないときもあるけど、この頭の中にいるちっさい神様が、迷った時にはしゃべりだす(おかしいひとです本当に)
だから、みんなも自分のなかに、どんなものでもいい、小さな神様を飼ってほしいと思う。
なんだったら、私の神様、何体でもスポーンさせれるからこのノートをじっくり読んだら、お持ち帰りしてもいいよ!()
っとここまで書いたわけだけど、いま身体中にエネルギーと、自分とか世界に対する愛が溢れて最高の気分だわ〜(コロナで家でれないからエネルギー有り余ってて大変なことになってる)
とりま今日はこのノートを書いたってことで、しこたま飲むか〜()
舩越初芽