
東欧諸国の関係性について
東欧(中央・東欧)地域には、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、セルビアなど多様な国々が含まれます。それぞれ歴史的背景や文化・経済の状況が異なり、互いの関係性やイメージにも特徴があります。本レポートでは各国の概要と、東欧諸国間での関係性・ステレオタイプ(相互認識)について整理します。なお「東欧」という呼称自体、しばしば「西欧より貧しく遅れている」といった偏見を伴うため忌避されることもあり、当事国では「中欧・東欧」といった中立的な表現が使われることもあります。
ポーランド
歴史・文化・経済の概要
ポーランドはスラブ系のカトリック国家で、中世に強大な王国(ヤギェウォ朝など)として栄えました。18~19世紀にかけて周辺大国により分割消滅しましたが、20世紀に独立を回復し、第二次大戦後は共産圏に編入、1989年の民主化以降は市場経済化と西欧統合を果たしました。現在人口は東欧最大級で、EU加盟後は経済成長が著しく、東欧では最大の経済規模を持ちます。国民は敬虔なカトリック教徒が多く、伝統的な文化(民族舞踊やポーランド料理など)と近代的な欧州国家としての顔を併せ持っています。自国を「中央ヨーロッパ」の一員と位置づける傾向が強く、「東欧」の一括りに抵抗感を示す向きもあります。
周辺国との関係
ポーランドは冷戦終結後、NATOやEUへ積極的に参加し、地域の安定と発展にリーダーシップを発揮しています。チェコ・スロバキア・ハンガリーとは「ヴィシェグラード4カ国(V4)」を形成し、欧州統合や地域協力で協調してきました。特にハンガリーとは歴史的に「ポーランド人とハンガリー人は二人のいとこ(Polak, Węgier, dwa bratanki)」という諺があるほど友好的な関係で、文化的にも互いに親近感があります。第二次大戦中も亡命ハンガリー軍がポーランド軍と共に戦ったり、1956年のハンガリー動乱の際にポーランドの改革運動が刺激を与えたりと、絆が深い歴史があります。近年も両国は毎年3月23日を「ポーランド・ハンガリー友好の日」に定め交流を深めています(※両国議会の決議による)。チェコおよびスロバキアとは、20世紀初頭に国境紛争(チェコとのテシン地方を巡る争い、スロバキアとは第二次大戦期の一時的領土併合)もありましたが、現在は良好で、観光・経済交流も盛んです。ルーマニアとは第一次世界大戦後に軍事同盟を結んだ盟友関係があり、現代でもNATOの東側加盟国同士、安全保障分野で協力しています。またウクライナやベラルーシなど東方の隣国とも関係が深く、東欧全体の安定に関与する存在です。
相互認識・ステレオタイプ
他国から見たポーランド: 周辺諸国の中で、ポーランド人はしばしば「愛国的で宗教心が強い民族」というイメージで見られます。特にチェコ人からは「ポーランドはカトリックとローマ法王の国」という冗談混じりの見方があり、ポーランド人の敬虔さを少し滑稽に捉えることがあります (Co Czesi myślą o Polsce i Polakach? "Dla nas Polska to śmieszny kraj, w którym jest katolicyzm i papież" - Podróże)。実際、チェコでは「ポーランド人は教会ばかり行ってビールの質もいまいち、全体に東欧的だ」といったステレオタイプが根強く、チェコ人の多くはポーランドに対しあまり良い印象を持っていません (Co Czesi myślą o Polsce i Polakach? "Dla nas Polska to śmieszny kraj, w którym jest katolicyzm i papież" - Podróże)。しかし、そうした先入観もポーランドを訪れることで和らぐとされます (Co Czesi myślą o Polsce i Polakach? "Dla nas Polska to śmieszny kraj, w którym jest katolicyzm i papież" - Podróże)。一方、ルーマニア人から見るとポーランドは「共産主義後に目覚ましい復興を遂げた模範的な国」です。ルーマニアではポーランド人の勤勉さや創意工夫、共産体制からの立ち直りに対する尊敬の念が語られており、「ルーマニア人にとってポーランド人は手本となる存在」だという声もあります (Jak nas widzą Rumuni i za co nas Polaków podziwiają ?)。このように評価は国によって様々ですが、いずれもポーランドの国民性(宗教的・勤勉・愛国的といった側面)に注目している点が共通しています。
ポーランドから見た他国: ポーランド人は総じて周辺国への関心が高く、特にチェコとハンガリーには強い親近感を示す傾向があります。世論調査でも、チェコ人に好意を持つポーランド人は61%にのぼり(嫌いは7%のみ)、好感度ランキングでチェコが上位に入ります (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl)。スロバキア人への好意も同程度に高く、隣国スロバキアとは言語的・文化的類似から「兄弟国」として見ています (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl)。ハンガリー人に対しても伝統的友好意識があり、ことわざ通り「剣でも杯でも共に戦い飲み明かす仲間」と考える人が多いです。ただし近年ハンガリー政府の親ロシア的姿勢への懸念からか、ポーランド世論調査ではハンガリーへの好意度は46%とチェコ等よりやや低下しています (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl)。一方、チェコ人に対しては深い愛着と同時に「おかしな隣人」という固定観念も残っています。ポーランドではチェコについて「歴史が真剣でない(戦わず降伏した)」とか「いつも居酒屋でビールを飲んで陽気にしている」という軽視的なステレオタイプが根強く、チェコの文学者カレル・チャペックですら「チェコの作家の話なんて真面目すぎる」と記事掲載を渋られた逸話があるほどです (Surosz: W Polakach wciąż żyje stereotyp śmiesznego Czecha, siedzącego w gospodzie - Forsal.pl) (Surosz: W Polakach wciąż żyje stereotyp śmiesznego Czecha, siedzącego w gospodzie - Forsal.pl)。この「酒場で冗談ばかりのチェコ人」というイメージは、1938年のミュンヘン協定や1968年のプラハ侵攻の際にチェコ(当時のチェコスロバキア)が大規模な武力抵抗をしなかったことに由来し、ポーランド人の中には今なおチェコ人を「戦わない腰抜け」と見る向きがあります (Surosz: W Polakach wciąż żyje stereotyp śmiesznego Czecha, siedzącego w gospodzie - Forsal.pl)。またポーランド人はルーマニア人に対して、共産時代から「貧しく遅れた牧羊と吸血鬼とジプシーの国」という偏見を持ちがちでした。
チェコ(チェコ共和国)
歴史・文化・経済の概要
チェコは西スラブ系民族の国で、歴史的にボヘミア王国として神聖ローマ帝国の一翼を担いました。その後ハプスブルク帝国統治下に入り、第一次大戦後にスロバキアと合体してチェコスロバキア共和国を樹立。第二次大戦期はナチス占領下に置かれ、戦後は東側陣営の社会主義国となりました。1989年のビロード革命で民主化し、1993年にスロバキアと平和的に分離して現在のチェコ共和国が成立しました。産業革命期から工業が発達しており、現在も自動車(シュコダ)や機械、ガラス工芸などの産業が盛んです。首都プラハは「百塔の街」と称される美しい古都で、観光立国としての一面もあります。宗教的にはカトリックが伝統ですが、世俗化が進み欧州でも有数の無宗教国となっています。ビール消費量世界一として知られるビール文化や、人形劇など独自の文化も特徴的です。
周辺国との関係
チェコは地理的にドイツ、ポーランド、オーストリア、スロバキアに囲まれ、歴史的にもこれら隣国との関係が国運を左右してきました。ドイツ・オーストリアとの関係は「西側」としての繋がりが強く、EU加盟後は経済協力も密接です。一方で、同じ旧東側のポーランド・ハンガリーとはV4として連携しています。ただし近年、チェコはリベラル路線を取りハンガリーやポーランドの保守政権とは距離が生じる局面もあります。スロバキアとは民族・言語の近さから特別な友好関係を保っており、かつて同一国家だったことへの郷愁(「チェコスロバキア時代が懐かしい」という声)は今なお両国民に残っています (Stereotypy słowackich sąsiadów – zwrot.cz)。文化交流も盛んで、「ブラチスラバ(スロバキア首都)はウィーンよりプラハとの交流の方が多い」と言われるほどです (Stereotypy słowackich sąsiadów – zwrot.cz)。チェコにとってスロバキアは最も親しい隣国と言えます。ポーランドとは上述のように小競り合いの歴史もありましたが、現在はビジネス・観光とも相互往来が増え、関係は安定しています。
相互認識・ステレオタイプ
他国から見たチェコ: チェコ人は周辺から「穏健でユーモア好きな中欧人」という肯定的イメージと、「戦いを避ける臆病な国民」という否定的イメージの両方で見られます。ポーランドでは前述のように「愚かで滑稽なチェコ人」のステレオタイプ (Surosz: W Polakach wciąż żyje stereotyp śmiesznego Czecha, siedzącego w gospodzie - Forsal.pl)が残りますが、一方でドイツやオーストリアからは勤勉で職人肌の人々と評価されることも多いです。スロバキア人にとってチェコ人は「かつて自分たちを指導してくれた兄」であり、多少の優越感を感じさせる存在でもあります。実際、チェコとスロバキアの関係には兄と弟のような力関係の名残があり、年長世代のスロバキア人には「チェコ人は自分たちより進んだ文化を持つ」という尊敬混じりの感情があると指摘されています(対してチェコ人はスロバキア人を「素朴で田舎っぽいが可愛らしい弟分」と見る傾向があります)。またハンガリー人やポーランド人から見るチェコ人は「宗教に熱心でなく現実主義的」と映るようです。特にポーランド人はチェコ人の世俗性を羨む向きもあり、チェコ人の宗教観の薄さは「チェコの不思議」として語られることがあります。総じてチェコ人は「ビールとユーモアを愛し、政治的には妥協的」というイメージで捉えられています。
チェコから見た他国: チェコ人は自国を中欧の一角と捉えており、東欧的な「野蛮さ」から距離を置く意識があります。そのため、例えばロシアやウクライナといった東方スラブよりも、西隣のドイツ・オーストリアに親近感を示す傾向が強いです。ただし隣国ポーランドやスロバキアにも友好的で、特にスロバキア人に対しては強い兄弟愛があります。チェコ人から見るスロバキア人の典型像は「純朴で信心深い山の民」であり、チェコ人自身が世俗的・都会的であるのに対しスロバキア人は素朴だが心優しいというポジティブなステレオタイプです。一方、ポーランド人に対しては「真面目で敬虔だが少々独善的」という見方があります。チェコでは「ポーランドは東欧の中でも大国気取りで教会ばかり建てている」という冗談も語られ、実利的なチェコ人からするとポーランド人の愛国心や宗教熱はやや空回りに映るようです (Co Czesi myślą o Polsce i Polakach? "Dla nas Polska to śmieszny kraj, w którym jest katolicyzm i papież" - Podróże)。加えて、「ポーランドのビールは美味しくない」「ポーランド語はチェコ語に似ているが少し滑稽に聞こえる」といった文化的揶揄もあります。とはいえチェコ人全般として隣国を強く嫌悪する傾向は薄く、むしろ他国に無関心・皮肉屋な国民性が指摘されています。総じてチェコ人の隣人観は穏当で、身近なスロバキア以外には熱を上げず冷静に眺めていると言えるでしょう。
スロバキア
歴史・文化・経済の概要
スロバキアは西スラブ系民族の国で、かつてハンガリー王国(オーストリア=ハンガリー帝国)の一部として長く支配されてきました。第一次世界大戦後、チェコ人と連合してチェコスロバキアを建国しましたが、第二次大戦期には一時的に独立(親独政権のスロバキア共和国)した経緯があります。戦後再びチェコスロバキアに復帰し、ともに社会主義体制下に置かれました。ビロード革命後の1993年に平和裡に分離独立し、2004年にEU・NATO加盟を果たしました。地勢は山岳が多く、農業や林業、牧畜といった伝統産業の他、近年は自動車組立など製造業への外資誘致に成功しています。人口は約540万と小国ですが、一人当たりGDPは順調に伸びており中所得国となっています。文化的にはカトリックが多数派で、民俗音楽(フヤラという笛の演奏など)や木造教会群など素朴な伝統を残しています。同時にチェコとの共通文化も多く、スロバキア語はチェコ語と非常に近いため相互に意思疎通が可能です。
周辺国との関係
スロバキアは隣接するチェコ、ポーランド、ハンガリー、ウクライナと関係があります。中でもチェコとは特別な友好関係で、政治的にも経済的にも協力が進んでいます。両国はEU内でも立場が近く、またスロバキア人にとってチェコは留学・就職先として人気があります。ポーランドとも歴史的摩擦がほとんどなく、小国同士として連帯感があります。ハンガリーとの関係は複雑です。約1000年にわたりスロバキア(ハンガリー北部)はハンガリー人支配下にあったため、独立後もしばらくはハンガリーとの間に緊張が残りました。現在もスロバキア国内にハンガリー系少数民族が住むことから、二国間で民族問題が政治課題となることがあります。ただし双方ともEU加盟後は対立を緩和し、実務的には協調路線を取っています。ウクライナとは旧ソ連の影響下にあった隣国として交流がありますが、近年のロシア・ウクライナ紛争では対応の違い(スロバキアは難民受け入れ、ウクライナ支援に積極的)も見られます。総じて、スロバキアは隣国との平和的関係維持に努めています。
相互認識・ステレオタイプ
他国から見たスロバキア: スロバキア人は周辺から「穏和で控えめな小国民」というイメージで見られることが多いです。チェコ人にとってスロバキア人は先述の通り「素朴で誠実な弟分」であり、文化的にも親近感の対象です。ポーランド人からも好感を持たれており、「自分たちと似たスラブの仲間」という認識です (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl)。一方、ハンガリー人からは歴史的に見下されてきた面もあります。オーストリア=ハンガリー帝国時代、ハンガリー側の支配層はスロバキア人(当時の呼称ではハンガリー内の「トハニー=スロバキア人」)を「田舎の羊飼い」にたとえ、能力的にも劣るとみなす風潮がありました (Všetci Slováci sú pastieri z hôr, všetci Maďari sú barbari z Ázie. Stereotypy?! To nie my, to iba oni! (slovensko-maďarská anketa) — Denník N)。例えば「スロバキア人は何をやってもハンガリー人に劣る」という偏見が昔から存在し、知識人階層には今も残っているとの指摘があります (Všetci Slováci sú pastieri z hôr, všetci Maďari sú barbari z Ázie. Stereotypy?! To nie my, to iba oni! (slovensko-maďarská anketa) — Denník N)。これに対しスロバキア人側にもハンガリー人への根深い不信があります。典型的には「ハンガリー人は今でも周辺国を自分の領土だと思っており、毎朝『大ハンガリー復活』を夢見ている」といった揶揄で、過剰なハンガリーの覇権欲を警戒する声です (Všetci Slováci sú pastieri z hôr, všetci Maďari sú barbari z Ázie. Stereotypy?! To nie my, to iba oni! (slovensko-maďarská anketa) — Denník N)。こうした相互不信は1920年のトリアノン条約(ハンガリー領土縮小)に端を発するもので、スロバキア人の間には「ハンガリーは常に我々を取り戻そうと狙っている」との疑念が根強いのです (Všetci Slováci sú pastieri z hôr, všetci Maďari sú barbari z Ázie. Stereotypy?! To nie my, to iba oni! (slovensko-maďarská anketa) — Denník N)。しかし若い世代ではチェコ人やポーランド人同様にハンガリー人に対して偏見のない人も増えており、全体としてスロバキア人は周囲から大きく嫌悪されることは少なくなっています。
スロバキアから見た他国: スロバキア人は自国が小さいこともあり、周辺大国への意識が敏感です。チェコに対しては複雑な感情があり、一方で敬愛しつつ他方で独立心も持っています。しばしば「チェコ人は物知り顔だが頼りになる兄」「ポーランド人は頼もしい隣人」と捉え、実際チェコ・ポーランド両国との協調に積極的です。ハンガリーに対しては上記の歴史的経緯から「政治的には要注意の相手」と見なしがちですが、日常レベルでは音楽や食文化(スロバキア料理はハンガリー料理の影響が強い)を共有する部分もあり、文化面では親しみもあります。ルーマニアやブルガリアといった遠方の東欧諸国には特段強いイメージは無いものの、「同じ共産圏を経た仲間」という意識があります。総じてスロバキア人は身近なチェコ・ポーランドを信頼し、ハンガリーを微妙に警戒するといったスタンスで隣国を見ています。
ハンガリー
歴史・文化・経済の概要
ハンガリーは中央ヨーロッパ平原部に位置するマジャル人(ハンガリー人)の国家です。マジャル人はアジア系起源の民族で、9世紀末にカルパチア盆地に定住してハンガリー王国を建てました。中世以降キリスト教化され、西欧と同様の封建国家として発展しましたが、16~17世紀にはオスマン帝国に領土の一部を支配されました。18~19世紀はハプスブルク帝国の統治下にあり、1867年の妥協により「オーストリア=ハンガリー二重帝国」の一翼を担いました。第一次大戦後、帝国解体に伴い領土の大半(現在のスロバキア、トランシルバニア地方など)を失い、民族統一主義の課題を抱えることになります。第二次大戦では枢軸側につきましたが敗戦し、戦後は共産主義政権下に置かれました。1956年にはソ連支配への反乱(ハンガリー動乱)も起きましたが武力鎮圧され、以降は1989年まで社会主義体制が続きました。民主化後はEU・NATOに加盟。現在のハンガリーは人口約970万、言語は周辺と系統の異なるフィン・ウゴル語系のハンガリー語を話します。独自の言語・文化(例えばハンガリー料理のグヤーシュやパプリカ料理、ツィンガーリ音楽など)に誇りを持ち、民族意識が非常に高い国民性です。政治的には近年「非自由主義(illiberal)」を掲げるオルバン政権の下で強権的傾向が指摘されていますが、国民の政府支持は高く保たれています。経済は中所得国で、自動車産業やICTなどが成長分野です。
周辺国との関係
ハンガリーは歴史的領土を大幅に失った経緯から、周辺国に多数のハンガリー系少数民族が住んでいます(ルーマニアのトランシルバニア、スロバキア南部、セルビアのヴォイヴォディナなど)。このため隣国との関係はデリケートです。ルーマニアとはトランシルバニア帰属を巡り何度も対立し、現代もハンガリー政府が同地のハンガリー人を支援する政策をとるため、ルーマニア側の警戒を招いています。ただし双方EU加盟国として表立った対立は避け、協調にも努めています。スロバキアとも言語法や二重国籍問題で緊張が生じましたが、こちらも現在は比較的安定した関係です。セルビアについては、ハンガリーがNATO空爆に協力した1999年前後は険悪でしたが、最近ではオルバン首相とセルビアのヴチッチ大統領が互いに友好を打ち出し、エネルギー協力など関係改善が進んでいます。ポーランドとは歴史的盟友で、EU内でも保守政権同士として連携することが多く、両国民も親近感を抱いています (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl) (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl)。ウクライナとは少数民族問題(ウクライナ領内のハンガリー人地域)で軋轢がありますが、地政学的にはロシアへの対応も含め協調を模索しています。ハンガリーは自国の民族的利益を重視しつつ、周辺国との実利的な関係構築に努めています。
相互認識・ステレオタイプ
他国から見たハンガリー: ハンガリー人(マジャル人)は周囲のスラブ系・ラテン系民族から「独特で誇り高い民族」と見られがちです。言語が全く異なることもあり、「何を考えているかわからないが自尊心が強い人々」と評価されることがあります (Mândri, neîncrezători, disprețuitori: așa îi vedeau românii pe maghiari în trecut - DailyNewsHungary)。例えばルーマニア人の19世紀以来の典型的ハンガリー人観は「尊大で猜疑心が強く、すぐカッとなり極端な愛国者」というものです (Mândri, neîncrezători, disprețuitori: așa îi vedeau românii pe maghiari în trecut - DailyNewsHungary)。実際、ルーマニアでは当時から「ハンガリー人は病的にプライドが高い」と言われており、そのイメージが長く残っています (Mândri, neîncrezători, disprețuitori: așa îi vedeau românii pe maghiari în trecut - DailyNewsHungary)。スロバキア人からも「ハンガリー人は隣人を見下し、常に領土のことばかり考えている」と揶揄されることがあり (Všetci Slováci sú pastieri z hôr, všetci Maďari sú barbari z Ázie. Stereotypy?! To nie my, to iba oni! (slovensko-maďarská anketa) — Denník N)、この点は前述のようにスロバキア側ステレオタイプの典型です。一方、ポーランド人にとってハンガリー人は「情熱的で義侠心に厚い友人」という肯定的イメージです。「ハンガリー人はイタリア人のように情熱的」との表現もあり ("Maďar je ohnivý ako Talian... Slovák je, tak ako Poliak, oddaný ...)、同じカトリック圏として親しみを持たれています。周辺のスラブ系諸国からするとハンガリー人は異質な存在ではありますが、その勇敢さや独自性に対する敬意も一定程度あります。逆に、冷戦後にハンガリーが民族主義色を強めると、EU内では「排他的で扱いにくい国」という評判も生まれました。総じて、ハンガリーは**「誇り高く愛国的だが協調しにくい」**国民性と見られる傾向があります。
ハンガリーから見た他国: ハンガリー人は歴史的経緯から周辺国、とりわけ自国領だった地域の国々に特別な感情を抱きます。トリアノン条約で領土の2/3を失った記憶から、ハンガリー人には今なお「周辺国に同胞を取られている」という被害者意識が残ります。そのため、ルーマニア人やスロバキア人に対しては無意識に優越感を示すことがあります (Všetci Slováci sú pastieri z hôr, všetci Maďari sú barbari z Ázie. Stereotypy?! To nie my, to iba oni! (slovensko-maďarská anketa) — Denník N)。ハンガリーの教科書や歴史観では、しばしば周辺民族を「ハンガリー王国に寄生した未開の民」と見る記述も指摘されてきました。ただ現代のハンガリーでは公に他国を見下すことはなく、外交的にはむしろ周辺国との和解・協力を強調しています。オルバン政権は**「周辺国のハンガリー系少数民族の権利擁護」**を掲げており、それが近隣から干渉と受け取られることもありますが、同時に「歴史的に自国と縁の深い国々(ポーランドやセルビアなど)との特別な友好」を打ち出しています。実際、ハンガリー国民もポーランドに対しては強い好意と尊敬を抱いており、両国の友情は相互的です (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl) (Polak, Węgier, dwa bratanki? Te narody darzymy największą sympatią - Bankier.pl)。総じてハンガリー人は「自民族第一」の視点が強く、他国への評価もその延長線上で語る傾向があります。つまり「同胞に好意的な国(ポーランドや最近のセルビア)は良い国」「同胞の扱いが不満な国(ルーマニアやスロバキア)は信用できない」といった具合で、隣国観は民族問題と切り離せないのが特徴です。
ルーマニア
歴史・文化・経済の概要
ルーマニアはバルカン半島北部に位置し、東欧では異色のラテン系言語(ルーマニア語)を話す国です。古代ダキア人の地にローマ帝国が入植して以来のラテン系文化を誇りにしており、自らを「東欧のラテン」と称します。中世はハンガリー王国やオスマン帝国の影響を受けつつ、ワラキア公国とモルドバ公国、トランシルバニア公国という3つの公国が存在しました。19世紀にワラキアとモルドバが統合してルーマニア王国となり、第一次大戦後にトランシルバニアも併合して現在の領土が確定しました。第二次大戦では枢軸側につきましたが後に連合国側に転じ、戦後は社会主義人民共和国となりました。1989年の革命でチャウシェスク独裁政権が倒れ民主化。2007年にEU加盟しました。住民の多数は東方正教会を信仰し、教会や修道院が各地にありますが、トランシルバニア地方にはカトリックやプロテスタント(主にハンガリー系住民)もいます。経済は農業国から工業国へ転換中で、IT産業なども成長していますが、EU内ではまだ経済水準が低めです。近年は安価な労働力を背景に製造業の進出が進み、中産階級も育ちつつあります。文化面ではドラキュラ伝説に代表されるような豊かな民間伝承や、マリオラやブランクーシといった芸術、そしてバルカン・中欧・トルコなど多様な影響を受けた料理(サルマーレやミティティなど)が特徴です。
周辺国との関係
ルーマニアはハンガリー、セルビア、ブルガリア、ウクライナ、モルドバと国境を接します。モルドバは同じルーマニア人の国(かつてのベッサラビア)であり、言語も共通するため特別な関係です。ルーマニアはモルドバとの将来的統一の声も一部にありつつ、現状は別個の国家として協力関係を築いています。ハンガリーとはトランシルバニア帰属問題が常に潜在し、ハンガリー系住民の待遇を巡って外交摩擦も起こります。ただしNATO・EUの枠組みでは共に西側陣営として協調し、近年は表面的には安定した関係です。セルビアとは直接大きな対立はありません。旧ユーゴ紛争時、ルーマニアはセルビアに批判的でしたが(コソボ独立を認めていない点ではセルビアに配慮もしています)、現在は少数民族問題などで協議しつつ穏健な関係です。ブルガリアとは黒海を挟む隣国で、共に2007年EU加盟を果たした仲間ですが、互いに国民感情としては距離がありました。両国民は相手国についての知識が乏しく、無関心や誤解が多いと指摘されています (Relațiile româno-bulgare între vânt de schimbare și inerție - Politică )。しかし近年、ドナウ川に架かる橋の新設計画やNATO黒海安全保障協力などで二国間の交流も増え、緩やかながら接近が進んでいます (Relațiile româno-bulgare între vânt de schimbare și inerție - Politică ) (Relațiile româno-bulgare între vânt de schimbare și inerție - Politică )。総じてルーマニアは自国と同様に共産期を経た東欧諸国との連帯感を持ちつつ、EUの一員として地域協力に努めています。
相互認識・ステレオタイプ
他国から見たルーマニア: ルーマニア人に対するイメージは「ラテン系で明るいが発展途上」といったものが多いです。ポーランドでは前述のように社会主義時代から「ルーマニア=貧しく遅れた田舎国」という偏見が広まっており、羊飼いとドラキュラとロマ(ジプシー)の国だと揶揄されてきました。
ルーマニアから見た他国: ルーマニア人は自民族がラテン系であることに誇りを持ち、周囲のスラブ系諸国とは異なるという意識があります。そのため、例えばスラブ系のブルガリアやロシアに対しては一定の距離を置き、「我々は西欧文明に近い」と考える傾向があります。それでも地理的・歴史的繋がりから隣国への関心は高く、ハンガリーやスラブ系諸国についても多くのルーマニア人が知識を持っています。ポーランドに対しては強い憧れがあり、先述の通り「ポーランドは手本」と見なす論調があります。
ブルガリア
歴史・文化・経済の概要
ブルガリアはバルカン半島東部に位置する南スラブ系民族の国家です。中世に第一次・第二次ブルガリア帝国を築き、当時は東ローマ帝国と並ぶ強国でした。9世紀にはスラブ正教圏最初の文字であるキリル文字がブルガリアで制定され、今日までスラブ正教国の標準文字として使われています。14~19世紀にかけてオスマン帝国の統治下に置かれましたが、1878年に独立(露土戦争の結果、ブルガリア公国成立)。その後、領土拡大を図ってバルカン戦争(1912-13年)や両次大戦に参戦しましたが、いずれも思うような成果を得られず、一時は「バルカンの敗戦国」と呼ばれました。第二次大戦後は社会主義人民共和国となり、1990年に民主化。2007年にEUに加盟しました。現在のブルガリアは人口約700万人で、経済規模はEU内で最も小さい部類ですが、近年はITアウトソーシングなど新産業も育ちつつあります。文化的には東方正教が主流で、教会音楽やイコン、美しい声楽のフォークソング(ブルガリアンボイス)が知られます。ヨーグルトの発祥地としても有名で、乳製品やバラの精油など特産品も豊富です。長いオスマン支配の影響で、トルコや中東に由来する文化要素(例えば食のケバブやバーニッツァといったパイ料理)も取り入れています。
周辺国との関係
ブルガリアはギリシャ、北マケドニア、セルビア、ルーマニア、トルコと接します。ギリシャ・トルコとは文化圏の違いもあり外交上は穏健ながら競合もありますが(例:黒海・エネルギー問題など)、EU/NATOを通じた協力関係です。北マケドニアとは言語・民族の近さから密接ですが、自国の歴史的英雄のルーツなどを巡り近年論争もあります(北マケドニアのEU加盟交渉にブルガリアが歴史認識問題で異議を唱えるなど)。セルビアとは第一次大戦以前から領土・影響圏を争った間柄です。20世紀初頭のバルカン戦争や第二次大戦中の対立で、セルビア人(ユーゴスラビア)とブルガリア人は戦場で相まみえました。しかし冷戦期はブルガリアもユーゴも共産主義圏であったため直接の敵対は薄れ、現在ではおおむね友好的です。セルビア側から見ると、ブルガリアは第一次大戦で背後からセルビアを攻撃した「裏切り者」のイメージが歴史的にありましたが、現代では風化しています。むしろ両国民の間では「言語も文化も近い兄弟民族」との認識が強まっています。実際、ブルガリア語とセルビア語は比較的近縁で意思疎通も容易なため、交流も盛んです。ブルガリア人の中にはセルビア人に対し「私たちは兄弟のようなものだ」と感じる人も多く、セルビア訪問者が「ブルガリア人は我らの仲間だ」と歓迎されたエピソードも報告されています (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people) (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people)。ルーマニアとの関係については前述の通り長年お互い無関心気味でしたが、EU加盟後は共同インフラ整備など徐々に接近しています (Relațiile româno-bulgare între vânt de schimbare și inerție - Politică )。トルコとは歴史的支配者と被支配の関係でしたが、現在は経済関係が緊密で、ブルガリア国内のトルコ系少数民族の存在もあり安定的な友好関係を維持しています。
相互認識・ステレオタイプ
他国から見たブルガリア: ブルガリア人はバルカン半島の他民族から「勤勉で控えめ」と評されることが多い一方、「かつて裏切りを繰り返した民族」と敵意を持たれた歴史もありました。例えばセルビアでは19世紀末~20世紀前半にブルガリアへの不信感が強く、「ブルガリア人は好戦的で信用できない」という宣伝もなされました。当時のセルビア人のステレオタイプとして「ブルガリア人は血に飢えた残忍な民族」という極端なレッテル貼りすら見られ、ブルガリア人全体が暴力的であるかのように報じられたこともあります (Media stereotypes and the image of “the other”: insights from the Bulgarian mainstream press in the 1990s)。これは第一次大戦やバルカン戦争期のプロパガンダでしたが、1990年代のユーゴ内戦時にも一部ブルガリアメディアでセルビア人を「残虐」と報じ返す例があり、相互不信を煽る言説が存在しました (Media stereotypes and the image of “the other”: insights from the Bulgarian mainstream press in the 1990s)。しかし一般のセルビア人・ブルガリア人はこうした偏見を共有しておらず、むしろ互いを近しい存在と感じています。現代ではセルビア人からブルガリア人への典型的イメージは「真面目で物静かな隣人」といったもので、ネガティブな固定観念はあまり聞かれません。ルーマニア人から見るブルガリア人も「同じバルカンの一員」という程度で、強い印象は少ないようです (Relațiile româno-bulgare între vânt de schimbare și inerție - Politică )。トルコ人から見るとブルガリアはかつての領土でしたが、今では「ヨーロッパの一角を占める小国」といった程度の認識でしょう。総じて、ブルガリアは西欧からは東欧の貧しい国と見られがちですが、東欧内では目立った悪評はなく穏当な評価が一般的です。
ブルガリアから見た他国: ブルガリア人は自国と同じスラブ系のセルビア人やロシア人に伝統的な親近感を持っています。特に「ロシアはオスマン帝国から我々を解放してくれた恩人」という歴史観が根強く、現在でも親露感情が強めです。セルビア人に対しても、「ユーゴ時代に経済的に成功した兄貴分」として尊敬する声がある一方、前述のように文化的・言語的類似から兄弟のように感じています (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people)。実際、ブルガリア人旅行者がセルビアで「我らの仲間だ」と暖かく迎えられた経験は、双方の国民に「やはり我々は兄弟」との思いを強くしています (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people)。一方で、北マケドニアに対しては複雑な感情があります。ブルガリアは自国と北マケドニアの言語・民族の共通性を主張し、「彼らは実質的にブルガリア人の一派」と捉える人もいますが、北マケドニア側は独自の民族意識を強調するため対立が生じています。この問題で北マケドニアに批判的なブルガリア人も一定数います。ルーマニアやギリシャに対しては大きな関心はなく、「隣の大きな国」という程度ですが、ギリシャには観光で訪れる人も多く親しみを感じる場合もあります。トルコについては過去の支配の記憶から高齢層に警戒心もありますが、若年層にはあまり偏見はありません。総じて、ブルガリア人の隣国観は歴史的記憶とスラブ連帯感によって形作られており、ロシア・セルビアへの親和、トルコへの複雑な感情、そしてその他の国へは比較的ニュートラルな姿勢となっています。
セルビア
歴史・文化・経済の概要
セルビアはバルカン半島中央部の南スラブ系民族国家です。中世にセルビア王国・帝国が栄えましたが、その後オスマン帝国に征服され長期間支配下に置かれました。19世紀初頭の蜂起でオスマンから半独立し、1878年に正式独立国となりました。第一次大戦ではオーストリア皇太子暗殺事件の舞台となり、戦後はスロベニアやクロアチア等と南スラブ人国家ユーゴスラビアを結成しました。第二次大戦後は社会主義連邦共和国ユーゴスラビアの中心共和国として、ティトー政権の下で比較的独自路線の共産主義体制を敷きました。冷戦終結後の1990年代、ユーゴ連邦の解体過程でスロベニア・クロアチアなどが離脱すると、セルビアは「ユーゴスラビア連邦共和国」(後に国家共同体セルビア・モンテネグロ)として他民族地域の統合維持を図りました。しかしボスニア・コソボで紛争が起き、1999年にはNATO軍による空爆も受けました。2006年にモンテネグロも独立し、以後は現在の単独国家セルビアとなっています。人口およそ690万人で、首都ベオグラードは旧ユーゴ最大の都市です。宗教はセルビア正教会が主流で、教会は国家意識と深く結びついています。文化的には民族音楽(ガッサやブラスバンド)やエスニック料理(プロシュートやラキヤといった蒸留酒)がよく知られ、スラブ神話に根差した詩や叙事歌も豊かです。経済はユーゴ崩壊後に大きく停滞しましたが、現在は徐々に回復傾向です。EU非加盟ながら欧州との貿易も多く、また中国やロシアからの投資・支援も受けています。
周辺国との関係
セルビアはかつてユーゴスラビア連邦の中心だったこともあり、多数の周辺国と民族的・歴史的関係を持ちます。隣国はハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、北マケドニア、コソボ(セルビアは独立承認せず自国の一地域と主張)、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアです。クロアチアやボスニアとは1990年代に激しい紛争を経験し、現在も和解途上にあります。モンテネグロとは民族的に近く(正教・言語もほぼ共通)、独立後も交流は盛んですが、NATO加盟問題などで政治的にぎくしゃくすることもあります。今回取り上げる東欧諸国の中では、ハンガリー・ルーマニア・ブルガリアがセルビアにとって重要です。ハンガリーとは北部ヴォイヴォディナ地方に約25万人のハンガリー系住民を抱えます。ユーゴ時代からハンガリー系少数民族の自治が認められてきたため比較的安定していましたが、先述の通り1990年代に関係が悪化しました。しかし近年はハンガリー政府がセルビアのEU加盟を支持し、セルビア政府もヴォイヴォディナの少数民族保護に努めているため、良好な隣国関係に転じています。ルーマニアとは国境をドナウ川で接し、セルビア側にルーマニア系少数民族もいますが大きな対立はありません。むしろセルビアは、ルーマニアがコソボ独立を認めず自国立場に理解を示している点に感謝しており、水面下での協力もあると言われます。ブルガリアとは前述のように歴史的緊張もありましたが、現在は友好的です。文化や言語が近いこともあり、セルビア人とブルガリア人は民間交流でも親密さを見せています (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people)。こうした周辺国との関係構築に加え、セルビアはロシア・中国といった大国とも関係が深く、EU非加盟ながらバランス外交を展開しています。
相互認識・ステレオタイプ
他国から見たセルビア: セルビア人はバルカン諸国や東欧から様々なイメージで見られています。1990年代の紛争の影響で、西欧では「セルビア人=好戦的・民族主義的」という負のステレオタイプが広がりましたが、東欧諸国ではそこまで単純な見方はされていません。例えばブルガリアでは90年代当時こそセルビア人を「血に飢えた民族」と報じるメディアもありましたが (Media stereotypes and the image of “the other”: insights from the Bulgarian mainstream press in the 1990s)、一般にはセルビア人個々については否定的感情は薄く、むしろ親しみが残っています (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people)。ルーマニアでもセルビアに対し大きな偏見はなく、同じ正教徒の隣国として一定の親近感があります。ハンガリーでは歴史的にセルビアはオスマンと戦う前線の同盟者でしたが、オーストリア帝国時代には対立もありました。ただ現代のハンガリー人はセルビア人に特定の悪感情は持っていません。むしろオルバン政権下のハンガリーはセルビアと政治的に接近しているため、メディアもセルビアを友好国と伝え、国民感情も改善傾向です。ギリシャなど南欧では伝統的にセルビア人は「頼れる正教の仲間」と見なされ、ユーゴ内戦時もギリシャ世論はセルビア寄りでした。総じて東欧・バルカンにおけるセルビア人のイメージは**「誇り高く胆力のある民族」**というものです。例えば「セルビア人は背が高く頑丈で、喧嘩をすると怖い」という俗説もありますが (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people)、それは逆に言えば勇敢で強いというイメージの裏返しです。また「セルビア人はよく飲みよく歌う情熱的な人々」といった陽気な印象も持たれています。ネガティブな面では、セルビア人は政治的に民族意識が強く妥協しないため「扱いづらい」と思われることがありますが、一般国民の対人イメージとしては概ね好意的または中立的と言えます。
セルビアから見た他国: セルビア人は自らをバルカンでの正教・スラブ文化の砦と考える傾向があり、周辺の正教国(ギリシャ、ブルガリア、ロシアなど)に強い親近感を抱きます。特にロシアは汎スラブ主義の盟主として歴史的に尊敬され(第一次大戦ではロシア帝国がセルビアを支援)、現代でも世論調査で多くのセルビア人が「最も信頼できる国」にロシアを挙げます。ブルガリアにも前述のように親しみがあり、セルビアのある作家は「ブルガリアとセルビアは二人の兄弟のようなものだ」と語っています (Wrong beliefs we have about Serbia and Serbian people)。一方、クロアチアやボスニアのムスリム(ボシュニャク人)に対しては紛争の記憶から複雑な感情が残ります。セルビア国内ではこれら旧敵対民族への偏見(「クロアチア人は裏切り者」「ボシュニャク人は自分たちを捨てた同胞」といった見方)は根強く、一部過激な民族主義者は公然と差別的発言をします。ただ政府レベルでは関係改善が進み、若い世代には過去を乗り越えようとする動きもあります。東欧の他国に目を転じると、ハンガリーに対しては歴史的に微妙でしたが、現在は政治的友好関係のおかげでセルビア人の対ハンガリー感情は良好です。ルーマニアに対しては特別な意識は薄いものの、コソボ問題で支持を得ていることから「理解ある隣国」と捉えています。総じてセルビア人の隣人観は、近年は政治的利害よりも文化・宗教の共通点を重視する方向にあり、正教スラブの絆を基軸に親疎を判断する傾向が見られます。
まとめと考察
東欧の各国は、それぞれ固有の歴史的歩みと文化アイデンティティを持ち、経済発展の度合いや政治体制も異なっています。そのため、互いの国民が抱くイメージや関係性も一様ではなく、多面的です。ポーランド・チェコ・ハンガリーのような中欧寄りの国々は「自分たちは東欧というより中央欧州である」という意識が強く、東欧という分類自体に抵抗を示すこともあります (Eastern Europe - Wikipedia)。一方、バルカン半島の国々(ブルガリアやセルビアなど)は共産圏時代の繋がり以上に、民族・宗教の違いによる紛争の記憶が相互認識に影を落としています。しかしながら近年は欧州統合やグローバル化により、若い世代を中心に古いステレオタイプは薄れつつあります。例えばポーランド人のチェコ人観やルーマニア人観は徐々に改善し
もっとも、完全にステレオタイプが消え去ったわけではありません。とりわけ政治的な文脈で互いを非難する際には、古い偏見が顔を出すことがあります。ハンガリーとルーマニアのように民族問題を抱える組み合わせや、ポーランドとチェコのように価値観(宗教観)の差がある組み合わせでは、なお相手を揶揄する固定観念が根強く残存しています。
以上のように、東欧諸国はそれぞれ文化・歴史・経済の個性を持ちつつ、長い共存の中で愛憎入り混じった相互認識を形成してきました。しかし21世紀現在、その相互認識は固定的なものではなく、大きく変化しつつあります。冷戦時代の「東側陣営」という一括りを超えて、今や各国がお互いを等身大の隣人として理解し直す段階に来ていると言えるでしょう。それぞれの国民が過去のステレオタイプに縛られず、相互の文化と歴史を正しく評価し合うことで、真の意味での地域の安定と連帯が築かれていくことが期待されます。
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