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チェコについて
1. 地理的特徴
気候
チェコの気候は温帯性気候で、海洋性と大陸性の両要素が混在しています。西側のボヘミアでは偏西風の影響による海洋性気候が強く、東のモラヴィア・シレジア地方では大陸性の気候色が増します。夏は比較的温和で冬は適度に寒冷となり、降水量も年間を通じて中程度です。低地では7月の平均気温が約19~20℃、山間部では8~11℃、1月の平均気温は低地で-1~-2℃、山地で-5~-7℃程度です。地域により降水量には差があり、山地(シュマヴァやベスキディなど)は雨量が多く、逆に山陰となる西部ジャテツ周辺などは比較的乾燥しています。
2. 政治
政治体制と政府の構造
チェコは単一国家の議会制民主共和国です。国家元首である大統領と、行政の長である首相を中心とした権力分立制を採っています。大統領は国民から直接選出される任期5年のポストで、軍の最高司令官でもあり首相の任命や法律の署名拒否権(拒否権)など一定の権限を持ちます。現在、チェコ共和国の大統領はペトル・パベル(2023年就任)、首相はペトル・フィアラ(2021年就任)であり、政府は複数政党の連立によって構成されています。
主要政党と最近の動向
チェコの政党政治は複数政党制で、多様なイデオロギーの政党が活動しています。現在の主要政党には、中道・ポピュリスト系で2010年代に政権を担ったANO 2011(「ANO」はチェコ語で「はい」の意、アンドレイ・バビシュ氏率いる政党)、保守・中道右派の市民民主党(ODS、現首相フィアラ氏の所属政党)、革新的な中道リベラルの海賊党(Piráti)、地方自治体関係者が基盤のSTAN(スターン、長老と独立者)、キリスト教民主同盟=チェコスロバキア人民党(KDU-ČSL)、そして極右ポピュリストの**「自由と直接民主主義」**(SPD、トミオ・オカムラ氏率いる反移民・EU懐疑政党)などがあります。
外交政策と国際関係
チェコは1989年の民主化以降、西側諸国との関係を深めており、**北大西洋条約機構(NATO)**には1999年に、**欧州連合(EU)には2004年に加盟しました。EU加盟国としてシェンゲン協定にも参加し、人や物資の域内移動が自由化されています。一方、自国通貨コルナを維持し、現時点でユーロは導入していません(将来的な採用義務はあるものの、積極的な動きは限定的です)。周辺国との関係は概ね良好で、特にスロバキアとは1993年の平和的な分離以来、文化的・経済的に緊密な協力関係にあります。またドイツとの関係も戦後改善が進み、現在ではチェコ最大の貿易相手国として経済・安全保障面で強いパートナーシップを築いています。外交政策では欧州の一員としてEU内協調を重視する一方、隣国ポーランドやハンガリー、スロバキアと共にヴィシェグラード4か国(V4)の地域協力にも参加しています。
ロシアや中国との関係については、人権問題やスパイ事件などを背景に近年慎重姿勢が強まっており、特にロシアによるウクライナ侵攻以降はウクライナ支援の先頭に立っています。実際、チェコ政府と国民はウクライナへの軍事・人道支援を積極的に行い、2025年2月にはパベル大統領が「侵略は許されない」としてウクライナへの揺るぎない支援継続を表明しました。このようにチェコの外交は民主主義や国際法の擁護に重きを置き、EU・NATOの枠組みの中で安全保障と国際協調を図る路線をとっています。
3. 経済
経済規模と主要産業
チェコはEU内では中規模ながら堅調な工業経済国で、2023年の名目国内総生産(GDP)は約2,950億ドル(約40兆円)規模、一人当たりでは約27,000ドルに達します。経済構造は製造業を中心とする工業(自動車、機械、電子機器など)と、貿易・観光・ITサービスなどのサービス業が主体で、農業の比重は小さいです。特に自動車産業は「チェコ経済の機関車」とも称され、シュコダ・オート社をはじめ国内に多数の自動車組立工場や部品メーカーが集積しています。自動車およびその部品は輸出全体の約3割を占める最大の輸出品目であり、また電気機器や機械設備も主要な輸出品となっています。高度教育水準の人材に支えられた情報通信技術(ICT)産業も近年成長を遂げており、首都プラハやブルノなどではソフトウェア開発や電子機器設計の企業が集積するハイテク拠点が形成されています。またチェコは世界有数のビール消費国・生産国としても知られ、ピルスナー・ウルケルなどのブランドで有名なビール醸造産業やガラス工芸などの伝統産業も経済と文化に根付いています。さらに観光業も重要なサービス産業であり、GDPに対する直接寄与は2%強ながら約22万5千人(就業者の約4.5%)を雇用しています。プラハを中心に年間延べ約8百万以上の外国人観光客が訪れるなど、観光収入も無視できない存在です。
貿易と主な貿易相手国・品目
チェコ経済は輸出志向が強く、輸出額はGDPの8割を超える水準に達しています。貿易相手は地理的・歴史的理由から周辺のEU諸国に大きく依存しており、特にドイツは群を抜く最大のパートナーです。2023年時点で、チェコの対EU輸出のうち約37.8%がドイツ向けで、次いでスロバキア(11.7%)、ポーランド(8.9%)が上位を占めています。他にもフランスやオーストリア、イタリアが伝統的な主要市場となっています。輸出品目は前述のとおり自動車(乗用車やトラック)やその部品が最大で、電気・電子機器、機械類がそれに続きます。実際、2023年における対ドイツ輸出では、自動車および部品が全体の29%を占め、次いで電気機器14.7%、機械13.7%となっており、自動車・機械工業への依存ぶりが窺えます。一方、輸入も原材料や資本財を中心に拡大しており、仕向け先はドイツ(シェア35.9%)が首位、次いでポーランド(14.3%)、スロバキア(8.5%)と続きます。チェコは工業生産のための部品・素材を海外に大きく頼っており、特に機械・輸送機器の輸入ではドイツと中国からの調達が全体の約半分を占めます(ドイツから高品質の工業部品、中国からは安価な電子機器や部品の輸入が多い)。エネルギー資源では、自国に原油や天然ガスが乏しいため、それらの燃料をロシアや他の国から輸入してきましたが、近年はエネルギー供給源の多角化も進めています。全体として、EU向けには大幅な貿易黒字を計上する一方、EU以外の国との取引では慢性的な赤字傾向にあります。
経済成長と最近の経済動向
1990年代以降のチェコ経済は市場経済への移行とEU加盟による恩恵で堅調に成長し、一人当たりGDPは中東欧でも高水準にあります。2014年以降は自動車輸出の好調や内需拡大に支えられ年3%前後の安定成長が続いていましたが、2019年後半からのコロナ禍で2020年にはGDPが約5.5%減少しました。その後ワクチン普及に伴う経済再開で持ち直したものの、2022年はウクライナ危機に伴うエネルギー価格高騰やインフレの急伸(消費者物価上昇率一時17%超)に見舞われ、景気は停滞しました。2023年には実質GDP成長率が-0.4%と若干のマイナス成長となったと推計されています。こうした状況に対し、チェコ国立銀行は政策金利を引き上げてインフレ抑制を図り、政府もエネルギー補助などの対策を講じました。失業率はコロナ禍でも比較的低く抑えられ、EUでも最も低い水準(2023年で3~4%台)を維持しています。2024年以降はエネルギー市況の安定化やEU復興基金の活用もあり、緩やかな成長回復が見込まれています。財政面では公的債務残高が対GDP比40%台後半と健全水準ですが、少子高齢化に伴う社会保障費増大への対策が課題となっています。総じてチェコ経済は製造業を核とした外需依存型である反面、安定したマクロ経済政策運営により中東欧では堅調さが際立つ存在となっています。
4. 主要都市
プラハ(Praha)
プラハはチェコの首都で最大の都市です。ボヘミア中央部、ヴルタヴァ川沿いに位置し、人口約130万人を擁します。9世紀頃にボヘミア公国の拠点として成立して以来、神聖ローマ帝国時代のカール4世統治下(14世紀)には欧州屈指の大都市として繁栄し、「百塔の都」と称えられる壮麗な都市景観が形成されました。市内には世界最大級の古城複合体であるプラハ城をはじめ、聖ヴィート大聖堂、カレル橋、旧市街広場と天文時計など数多くの歴史的建造物が残り、その美しい歴史地区はユネスコ世界遺産に登録されています。こうした豊かな文化遺産と中世の面影を残す街並みは「ヨーロッパで最も美しい都市の一つ」と謳われ、毎年数百万人の観光客を魅了しています。プラハはまた政治・経済の中枢でもあり、大統領府や国会議事堂を擁する一方、銀行や企業の本社が集積する金融センターでもあります。サービス業が経済の主力で、特にIT・ソフトウェア産業や観光業が盛んです。歴史とモダンが融合したプラハは、チェコの文化・学術の中心地としても機能し、カレル大学(1348年創立の中欧最古の大学)をはじめ多くの高等教育機関や研究機関が所在しています。
ブルノ(Brno)
ブルノはチェコ第2の都市で、モラヴィア地方の中心都市です。人口は約38万人で、南モラヴィア州の州都を務めます。10世紀頃に城塞都市として発展し、現在も旧市街にシュピルベルク城やペトロフの聖ピーター・パウル大聖堂といった歴史的建築が残ります。19世紀には繊維産業や機械工業の中心地となり、「モラヴィアのマンチェスター」と呼ばれる工業都市として繁栄しました。遺伝学の祖グレゴール・メンデルが19世紀に実験を行った修道院があることでも知られています。現代のブルノは工業都市からハイテク・サービス都市へと転換を遂げつつあり、IT産業や技術系スタートアップが集まるテクノロジーパークが形成されています。また複数の大学(マサリク大学、ブルノ工科大学など)を擁する学術都市・学生都市としての顔も持ち、若い活気にあふれています。さらにチェコの司法の中心でもあり、憲法裁判所や最高裁判所が置かれています。文化面では、ユネスコ世界遺産に登録された近代建築トゥーゲントハート邸や、国際的な機能をもつブルノ見本市会場での産業見本市、モラヴィア伝統のワイン文化など、多様な魅力がある都市です。
オストラヴァ(Ostrava)
オストラヴァはチェコ第3の都市で、モラヴィア・シレジア州の州都です。ポーランド国境に近い北東部に位置し、人口約28万人を擁します。18~19世紀以降に豊富な石炭資源が発見されてから急速に工業化が進み、製鉄・石炭採掘の一大中心地として発展しました。かつては「共和国の鋼鉄の心臓」と呼ばれ、ヴィトコヴィツェ製鉄所などの巨大コンビナートが稼働し、地域経済を支えていました。社会主義時代には重工業の拠点都市でしたが、1990年代以降の産業構造転換に伴い、炭坑は閉山し環境改善と経済多角化が図られています。現在では製造業の他、自動車部品などの工場誘致やビジネスサービス分野の育成が進められ、かつての工場跡地は博物館や文化施設に転用され観光資源となっています。オストラヴァはチェコ有数の音楽フェスティバル「カラーズ・オブ・オストラヴァ」の開催地でもあり、産業遺産と現代文化が融合するユニークな都市です。都市圏はポーランドやスロバキア国境にも近いため、近隣諸国との経済的結び付きも強く、カトヴィツェ(ポーランド)など周辺工業都市と跨国的な地域連携がみられます。
プルゼニ(Plzeň)
プルゼニ(ピルゼン)はチェコ第4の都市で、西ボヘミア地方の中心都市です。人口は約18万6千人で、プルゼニ州の州都です。1295年にボヘミア王ヴァーツラフ2世によって計画都市として建設され、中世には交易拠点として栄えました。市の名を世界に知らしめたのがビールで、1842年にこの地でピルスナータイプの下面発酵ビール(ピルスナー・ウルケル)が誕生し、以後「ピルゼンのビール」は世界的に普及しました。現在も市内のピルスナー・ウルケル醸造所はビール愛好者の聖地として観光客に人気です。
19世紀後半には工業化が進み、機関車や機械で知られるシュコダ工場(エンジニアリング企業シュコダ社の発祥地)が設立され、プルゼニは重工業都市としての地位を築きました。第二次世界大戦末期には連合国軍(アメリカ軍)により解放された歴史も持ち、戦後は工業生産とともに西ボヘミアの行政・教育の拠点として発展しています。中心部にはゴシック様式の聖バルトロメイ大聖堂(尖塔の高さが国内最高)、ヨーロッパで3番目に大きいグレートシナゴーグ(大シナゴーグ)など見どころも多く、2015年には欧州文化首都に選ばれました。プルゼニはビールと機械工業の町という伝統に加え、現代では大学都市・ハイテク産業の育成も進む活力ある地方都市です。
5. 観光地
有名な城郭と歴史的建造物
チェコには中世の面影を残す城郭や古都が数多く存在し、欧州有数の観光資源となっています。首都プラハのプラハ城は世界最大級の城で、大統領府が置かれる現役の城郭でもあります。9世紀以来ボヘミア君主の居城として増改築を重ねた複合建築で、内部にはゴシック様式の聖ヴィート大聖堂や旧王宮、黄金小路など見どころが集中しています。プラハ城からカレル橋を望む景観はプラハ観光のハイライトであり、中世からバロックに至る歴史建築の宝庫として旧市街と併せて世界遺産に登録されています。南ボヘミアにはチェスキー・クルムロフ城があり、13世紀築城のルネサンス様式の美しい城館と小都市の景観が中世そのままに保存されています。ヴルタヴァ川が蛇行する小高い丘に築かれた城と町並みは「中世の薔薇」と称され、チェコ有数の観光名所となっています。またプラハ近郊には神聖ローマ皇帝カール4世が14世紀に築いたカルルシュテイン城(カールシュテイン城)があり、ボヘミア王国の王冠と聖遺物を守る要塞として建設されました。切り立った丘に立つ荘厳なゴシック城は現在も当時の趣を留め、多くの観光客が訪れています。この他にも、ボヘミア北部のコクジーン城やモラヴィアのペルンシュテイン城など、中世の城郭群が国内各地で保存・公開されており、城好きの旅行者には見逃せない国と言えるでしょう。
ユネスコ世界遺産の町並み
チェコ国内には合計16件(2023年現在)のユネスコ世界遺産(主に文化遺産)があり、その中には中世の面影を色濃く残す歴史都市が多数含まれます。代表的なものとして、前述のプラハ歴史地区(1992年登録)、チェスキー・クルムロフ歴史地区(1992年登録)のほか、テルチ歴史地区(1992年登録)があります。テルチはモラヴィア南西部に位置する小都市で、美しいルネサンス様式の街並みで知られます。中央広場を取り囲むカラフルな切妻屋根の貴族の館や商家群、その周囲を取り巻く池と城壁など、中世からの都市景観が良好に保持されており「建築と自然が調和した傑出した都市景観」と評価されています。また、クトナー・ホラの歴史地区(1995年登録)も必見です。クトナー・ホラは中世に銀山で栄えたボヘミア第二の都市で、その富により壮麗な建築群が築かれました。特に後期ゴシック様式の傑作聖バルボラ大聖堂(聖バルバラ聖堂)と、バロック様式で再建されたセドレツの聖母被昇天教会が有名で、中央ヨーロッパの建築発展に大きな影響を与えました。他にも、16~17世紀に造営された庭園都市クロムニェジーシュの大司教宮殿と庭園(1998年登録)、バロック様式の巡礼教会ゼレナー・ホラのネポムーク聖ヤン巡礼教会(1994年登録)、18世紀のオロモウツの聖三位一体柱(2000年登録)、南ボヘミアのホラショヴィツェ歴史的集落(1998年登録)など、多彩な時代・様式の遺産が点在します。近代ではブルノのトゥーゲントハート邸(機能主義建築の傑作、2001年登録)も世界遺産です。いずれの遺産もチェコの豊かな歴史文化を物語るものであり、街歩きを通じて中世から近代へのタイムトラベルを体験できます。
自然景勝地と保養地
歴史都市だけでなく、チェコには個性的な自然景勝地や伝統的な保養地も数多くあります。北ボヘミアのボヘミアン・スイス(チェスケー・シュヴァルツコ)国立公園では、川食によって生まれた奇岩群やヨーロッパ最大級の天然石橋「プラフチツカー・ブラーナ(ブランナ門)」を見ることができ、ハイキング客に人気です。東北ボヘミアのアドシュパフ=テプリーツェ岩市(岩の迷宮)も、巨大な砂岩柱が林立する不思議な景観で知られます。モラヴィア地方ではモラヴィアカルストと呼ばれる石灰岩台地が広がり、全長1,000mを超えるプンクヴァ洞窟や深さ138mのマコチャ渓谷(マコチャ峡谷)は自然愛好家の定番スポットです。温泉療養の伝統もチェコ観光の特色で、西ボヘミアにはカルロヴィ・ヴァリ(カルルスバード)、マリアンスケー・ラーズニェ(マリーエンバード)、フランチシコヴィ・ラーズニェという歴史ある温泉保養地が点在します。これら三都市は18~19世紀に欧州の貴族や著名人が集った社交場として発展し、優雅な柱廊(コロネード)や療養施設が立ち並ぶ街並み自体が観光名所です。2021年には「欧州の大温泉保養都市群」の一部として世界遺産にも登録されました。特にカルロヴィ・ヴァリは14世紀に開湯された由緒ある温泉都市で、現在も毎年国際映画祭が開催されるなど文化都市としても知られます。さらにチェコ各地にはスキーやハイキングのリゾート地(クリコノシェ山地のシュピンドレルフ・ムリンなど)も整備され、四季を通じて自然と触れ合える環境が整っています。歴史探訪から自然保養まで、多様な観光資源に富むチェコは、訪れる旅行者に幅広い魅力を提供しています。
6. 歴史
ボヘミア王国と神聖ローマ帝国時代
現在のチェコに相当する「チェコの地(チェスケー・ゼムェ)」には、6世紀頃にスラブ系民族が定住し始めました。7世紀にはサモ族の盟主国家が出現し(623~659年)、9世紀にはモラヴィアを中心に大モラヴィア王国が成立して西方キリスト教文化を受容します。その後ボヘミア(ベーメン)ではプシェミスル朝が興り、10世紀にボヘミア公国として東フランク・神聖ローマ帝国との関係を深めました。ボヘミア公国はその地位向上に努め、1198年に王国に昇格して以降「ボヘミア王国」として神聖ローマ帝国内で重要な立場を占めます。
ハプスブルク統治とオーストリア=ハンガリー帝国
ハプスブルク家の支配下で、ボヘミアは広大なオーストリア帝国の一部となりました(1526年以降)。ボヘミア貴族は当初一定の自治権を維持していましたが、1618年の新教徒による反乱(プラハ窓外投擲事件)を契機に三十年戦争が勃発し、ハプスブルク軍が1620年白山の戦いでボヘミア反乱軍を破ると、ボヘミアの自治と新教徒の権利は大幅に制限されました。以後、チェコの地は強制的なカトリック化とドイツ化政策が進められ、チェコ語は公用語の地位を失います。18~19世紀にはハプスブルク帝国内で徐々に産業革命が進展し、ボヘミア・モラヴィア地方でも繊維工業や重工業が発達しました。同時に抑圧されていたチェコ民族の言語・文化復興運動(チェコ民族復興)が19世紀前半より高まり、チェコ語新聞の創刊や文学の発展を通じて民族意識が醸成されました。1867年、ハプスブルク帝国がオーストリア=ハンガリー二重帝国となると、チェコ人はハンガリー人同様の自治権を要求しましたが容れられず、帝国内での不満が蓄積します。20世紀初頭までにチェコは帝国有数の工業地域となり経済的な存在感を増す一方、政治的にはスロバキア人など他民族とも連携しながら自治拡大や独立を模索するようになりました。
第一次・第二次世界大戦期
第一次世界大戦(1914–1918年)が勃発すると、チェコ人指導者たちは連合国側に働きかけて独立の機会を伺いました。そして1918年10月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊に伴い、チェコ人とスロバキア人から成る新国家**「チェコスロバキア共和国」**の独立が宣言されました。初代大統領にはトマーシュ・G・マサリクが就任し、チェコスロバキアは中欧随一の工業国かつ民主共和国として安定した歩みを始めます。ところが1930年代後半になると、ドイツのナチ政権が周辺領土への野心を強め、チェコスロバキアはその圧力に晒されました。ズデーテン地方と呼ばれるチェコ西部のドイツ系住民地域を巡って緊張が高まり、1938年のミュンヘン協定で英仏がズデーテン地方割譲を容認した結果、チェコスロバキアは領土の要衝を失いました。翌1939年3月、ヒトラー率いるナチス・ドイツは残るボヘミア・モラヴィアを軍事占領し、チェコ人地域はドイツの保護領「ベーメン・メーレン保護領」とされます(スロバキアは親独の傀儡スロバキア共和国として分離)。第二次世界大戦中、チェコではナチスによる厳しい占領統治が敷かれ、ユダヤ人やレジスタンスへの弾圧・虐殺が行われました。1942年には反ナチ抵抗の象徴であった村リディツェが報復として壊滅させられる惨事も起きています。一方、亡命先のロンドンでベネシュ元大統領らがチェコスロバキア亡命政府を組織し、連合国側で戦いました。1945年5月にプラハ蜂起とソ連軍の攻勢でドイツ軍が降伏すると、チェコスロバキアは主権を回復し戦争が終結しました。
共産主義時代(冷戦下のチェコスロバキア)
第二次大戦後、チェコスロバキアはソ連の勢力圏に入りました。1945年の解放直後はベネシュ大統領の下で戦前の民主政が復活しましたが、国内ではソ連の後押しを受けたチェコスロバキア共産党が台頭し、1948年2月にクーデターにより政権を掌握します。これによりチェコスロバキアは一党独裁の社会主義国家となり、以降約40年間にわたり共産党政権下に置かれました。スターリン時代には政治的弾圧が強化され、多くの反体制派が投獄・処刑されました。経済は計画経済体制に移行し、重工業偏重の開発が進められました。1960年代に入ると、経済停滞や言論統制への不満から徐々に改革機運が高まり、1968年にアレクサンデル・ドゥブチェク第一書記のもとで**「プラハの春」**と呼ばれる自由化・改革路線が試みられました。しかし同年8月、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻し、この民主化実験は武力で挫かれてしまいます。以降、体制は強硬な「正常化」政策に転じ、民主化運動の関係者は徹底的に排除され、国内は再び厳しい言論統制下に置かれました。1970~80年代には反体制知識人らが人権を求める「憲章77」運動を展開しましたが、政権は強権で抑え込み、社会の閉塞状況が続きました。しかし1980年代後半になると、ペレストロイカなど東側諸国の変化や経済停滞の深刻化により、チェコスロバキアでも政権への批判が高まっていきました。
ビロード革命と現代のチェコ共和国
1989年11月、東欧革命の波がチェコスロバキアにも及び、学生デモをきっかけに市民が平和的に体制転換を求める大規模デモへ発展しました。共産党政権はもはや弾圧に踏み切れず、11月下旬から12月にかけて共産党の一党支配放棄と民主化が急速に進みます。この非暴力による政変は**「ビロード革命」と呼ばれました。民主化後、かつての反体制派指導者で劇作家でもあったヴァーツラフ・ハヴェル氏が大統領に就任し、自由選挙による議会制民主主義が復活します。ところが、チェコ人とスロバキア人の間で経済政策などを巡る意見の相違が表面化し、連邦制国家の将来が論議されるようになりました。最終的に話し合いの末、1992年にチェコスロバキア連邦の円満解消が決定し、1993年1月1日付でチェコとスロバキアの二つの独立国家へ分離しました。これを「ビロード離婚」と称します。こうして誕生したチェコ共和国**は、ハヴェル大統領の指導の下で西側諸国との関係強化を図り、政治・経済の改革を進めました。1999年にNATOに加盟し、2004年にはEUに加盟するなど、国際社会への統合を果たしています。その後も民主主義体制は定着し、2013年には国民の直接選挙による大統領選出制度が導入されました(現在の大統領はペトル・パベル氏)。近年ではポピュリズム政党の台頭や汚職問題などの課題も見られましたが、2021年の総選挙で中道右派連合が勝利し、親EU路線のフィアラ政権が発足しています。また2022年には欧州理事会議長国(EU議長国)を務め、ロシアのウクライナ侵攻へのEU対応において積極的な役割を果たしました。現在のチェコは、自由と民主主義の価値観の下、欧州の一員として国際社会で存在感を示しつつ、内政面では経済の持続的発展と政治改革に取り組む成熟した中欧の共和国となっています。
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