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季報:文房具と美術のこと

 先日といえるほど最近のことでもなくなってしまったのだけれど、このようなメッセージをいただきました。ありがとう。 

夜野さんこんばんは。いつも応援しております。
私は夜野さんがたまにアップされる机のお写真や通販で頂ける便箋がとても素敵で好きなのですが、お気に入りの文房具やこういうものに心惹かれるというものはありますか?
厚かましいのですが、ご負担で無ければそういったものをお写真で拝見したいです。

それともうひとつ。夜野さんの月報を拝見して、私も美術館の展覧会へ足を運びました。本来平坦な壁に囲まれた何も無い空間であるはずの場所が、仕切りや集められた芸術品によって姿を変えたその様が非常に心地よくて夢のような時間でした。芸術品をもっと深く楽しみたいのですが、芸術に関する本で愛読されているものはありますか?

最後に。ジュン茨アンソロに寄稿された小説を楽しみにしています。まだまだ冷え込む季節ですので、何卒お身体にはご自愛ください。

2023/12/6 16:43 odaibako.netより

■文房具のこと

 文章を書くことを愛しているから、どうしても筆記具に心が惹きつけられてしまう。私は万年筆で日記をつけて、手紙を認め、思考とタスクを書き留める。
 その際に愛用しているインクが、PILOTのiroshizuku【色彩雫】シリーズだ。万年筆用のインクとして販売されているシリーズであり、日本の美しい情景をモチーフにした20色以上が展開されている。ミニボトルも存在しているが、私は50mlの瓶のデザインを一等愛おしく思っている。

 日記やメモなどの私的な、しかも短い文章にばかり使っているものだから、そう簡単には瓶が空になることはない。今は冬将軍と名付けられたブルーグレイのインクを使っているが、おそらく4年ほどはこの色と暮らしているだろう。その前は夕焼けという明るい橙色のインクとともに生活していた。

PILOT iroshizuku【色彩雫】冬将軍 50ml

 語りたいという欲望と、丁寧に選んだ言葉こそが己を形づくるのだという思想が組み合わさると、消せないインクで書き綴ることへと帰着する。発話した言葉がそうであるように、インクで書いた言葉を完全に消し去ることはできない。不可逆性がもたらす緊張感は、語ることの緊張とどこか似ている。
 そして多くの場合、書くことは考えることよりもずっと遅い。美しい文字で書こうとすればするほど、考えたことを再現しきるまでにはいくらかの時間がある。
 書きつけている間に思考を再検討し、言葉を選び直すこともある。瞬きのあいだに脳裏で行われる推敲が、言葉選びの丁寧さを担保してくれるような気がする。

 私が愛用している冬将軍というインクは、乾ききったときにかすかに色が変わる。筆圧や描線の流れによってインクが溜まる場所ができると、わずかなグラデーションさえ生まれる。イメージとしては透明水彩の絵具に近いだろう。
 あ、乾いたな、と思ったときに言葉が確定して文章になる気がする。

太宰治『思案の敗北』より

 繰り返しにはなるが、私的な文章にしか万年筆を使わないものだから、どのような色を選んでもよい。自分のための言葉の連なりなのだから、自分の好きな色を選ぶに越したことはない。筆記具の色は黒、赤、青だけではないことを思い出すだけで、生活はぐっと鮮やかになる。

 次はどの色にしようか。考えているだけでもなんだかうれしい。色彩雫のラインナップでいえば、蛍火は夜のひかりそのものみたいで憧れるし、花筏は瓶の中でゆれる色そのものが美しい。冬将軍が去るそのときが寂しいのに待ち遠しくて、私は文章を書き続ける。

ほぼ日手帳 weeks/ミドリ ポケットダイアリー<ミニ>/ほぼ日5年手帳 2024-2028

 書く道具の話をしたので、書かれる方の道具の話もしよう。
 とにもかくにも書くことを愛しているので、手帳にも関心を寄せがちである。今年は3冊の手帳を使い分けている。

 いちばん左のほぼ日手帳weeksは、勉強や原稿の進捗管理に用いている。weeksの名のとおり週ごとの見開きページで構成されており、予定を立てて実行する用途に向いていると感じる。デザインは久保田寛子さんの『今夜も線香花火の星降らし』。夜の海を描いているのだから、愛さずにはいられない。

 中央の手帳はミドリのポケットダイアリー<ミニ>であり、スケジュール帳として使っている。正直なところ予定の管理はデジタルで行なっているのだが、てらおかなつみさんの描くいぬたちがあまりにもかわいらしくて、どうしてもいぬたちと共に一年を過ごしたかった。中のデザインもたまらなくかわいい。

 右の手帳は5年連用日記としての役割を果たしている。たとえば1月1日のページには、2024年の欄と2025年の欄……というように、5年分の枠が設けられている。1年目はまっさらなページに日記を綴っていくだけだが、2年目からは「去年の今日」そして「これまでの今日」の記述が目に入るつくりになっている。変わり映えのないような暮らしにもたしかに変化はあって、確実になにかが堆積している。それでも何年経っても同じようなことを書いてしまう自分もいて、可笑しい。
 5年手帳は今年で2冊目になる。5年でリセットがかかるのもなんとなくいいなあ、と思う。これからの5年の生活の地層が、うつくしい縞模様を描くように努力しよう。

■美術に関する本のこと

 いただいたメッセージでは「芸術に関する愛読書」とのことだったけれど、芸術というとあまりにも多くの分野を包摂しているため、ここでは美術のみに絞ろうかな。

 まずは、メッセージをくださったあなたのすばらしい体験の一助となれたことがとてもうれしかった。本当にすてきな想い出になったのだということが言葉の端々から伝わり、私もわくわくしちゃったな。
 美術品を深く楽しむために真に必要なのは知識や教養などではなく、あなた自身の「心地良くて夢のようだった」「もっと深く楽しみたい」と感じた心そのものだと私は思う(ただ、楽しむために知識がほしいという気持ちには心から共感する。知ることは楽しいよね)。

 そのうえで、あえて2冊紹介したい。1冊目は川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』、そして2冊目は青柳正規監修『小学館の図鑑NEOアート 図解 はじめての絵画』である。いずれも美術のおもしろさ、敷居の低さを伝えてくれる良著だ。

川内有緒『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(2021年,集英社インターナショナル)
青柳正規監修『小学館の図鑑NEOアート 図解 はじめての絵画』(2023年,小学館)

 『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』は、旅行記・エッセイ作家である筆者が、彼女の友人である白鳥さんと行なった美術鑑賞にまつわるノンフィクション作品である。

 タイトルにもあるとおり、白鳥さんは全盲の美術鑑賞者である。全く見えないのにどうやって美術作品を見るの? どういうこと?……そう感じたひとにこそ読んでほしい。
 結論からいえば、白鳥さんは「耳で鑑賞する」。同行者に「この絵には何が描かれていますか」「どのくらいの大きさですか」「どんな印象を受けますか」と質問をして、その返答をもとに鑑賞をする。
 作中にも描かれているが、この対話が案外難しい。晴眼者であっても「きちんと見えていない」ことが多いのだと気づき、私は衝撃を受けた。

 たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』の絵をあなたはどう説明するだろうか。私の場合はこうかな。
 「長方形の肖像画で、人物は手を前で組んでいます。性別は女性のように見えます。体は少し傾いているけれど、瞳は私のほうを見ている気がします。全体的にぼんやりとした雰囲気で、背景には山や川のようなものが見えるけれど、具体的にどこなのかはわかりません。女性は笑っていて……いや、楽しくて笑っているのかわからない。微笑んでいると感じるのはたしかだけれど、その奥の感情はどうだろう。憐れみのようにも思えるし、じっと見ていると無表情かもしれないと思えてきた。……ずっと笑顔の女性の絵だと思っていたのに、よくわからなくなってしまいました」

 世界をどのように知覚し、認識しているかは個々人によって異なる。全盲だから、晴眼者だからといったことは実質的には関係がない(ただ、この社会はマジョリティに合わせて運営されており、それによる歪みが多々生じていることは別の論点として存在する)。

 個々人が知覚する世界をコミュニケーションによって共有し、相互に理解することで世界の感じ方が変わる。ひとつの美術作品についての様々な見方が生まれて、作品と向き合うことがぐっと楽しくなる。
 鑑賞に正解はなく、とても自由であり、ただ自分自身が感じた情動や印象こそが大切なのだと私は思う。ひとの感性というフィルタを通すことで、作品はさまざまなきらめきを発する。その輝きを言葉にして伝えて、他者と分かちあう。本書はその営みの豊かさと贅沢さを教えてくれる。

 鑑賞に正解はないとはいえ、大多数のひとがどう考えるのか、どのような解釈が通説となっているのか気になることもあるよね。
 そこで勧めたいのが『小学館の図鑑NEOアート 図解 はじめての絵画』である。子ども向けの図鑑シリーズのひとつに位置付けられているけれど、誰が読んでもおもしろいのではないかと私は思う。
 この図鑑には、美術史に残る古今東西の名作が約360点掲載されている。美術館にまだ足を踏み入れたことのないひとであっても、ひとつやふたつは必ず目にしたことがあるはずだ。

 本書の好きなところは、時代や作者、国にこだわらず、具体的なテーマに沿って編集されているところだ。たとえば「大人の夜の過ごし方」というテーマのページでは、ゴッホ《夜のカフェ・テラス》と鈴木春信《風流四季哥仙》が同じ見開きのなかに同居している。同じようなモチーフでも捉え方によって印象は異なるし、表現技法によって雰囲気も全く異なる。それが果てしなくおもしろいし、美術とはなんて魅力的なんだろう。

 有名な作品ばかり集められていることもあり、入門書としても最適だと考える。ぱらぱらと捲ってみて、気になる絵があれば同じ作者の絵を探してみる。あるいは、同じ時代の作品を眺めてみてもいい。その作品の影響を受けた作品について調べることもおもしろい。その作品が生まれた地域について調べてみるのもいいんじゃないかな。

 興味を広げ、知識を得るための道は無数に用意されている。本書には作品の紹介だけではなく、技法や美術館という空間に関する説明も記載されている。なんとなく、この一冊があれば大丈夫だなという気持ちになれる。

 ここからは余談だけれど、私は数年間ほどギャラリーで働いていたことがある。白い壁と透きとおったガラスが美しい建物だった。私はそこで展示の補助をしたり、ときどき監視員のような仕事をしていた。
 オーナーの意向もあり、そのギャラリーで扱っていたのは存命の作家の作品ばかりだった。もちろん、先ほど挙げた本たちには載っていない。
 しかし、有名でないから価値がないということにはならない。美術館やギャラリーに所蔵・展示されている作品に価値があるのではなく、時代や社会がある考え方に基づいてこれを残したい、見せたいと考えたからそこに所蔵・展示されているだけだ。つまり、本質的には美術館やギャラリーは価値観を展示しているのだといえる。

 あなたが作品を目にしたとき、それを美しいと感じたならばその作品は美しい。
 その感情は知識や教養に基づいている必要はなく、なんとなくきれいだなと思った、よくわからないけれど雰囲気が好きだなと思った、その程度でいい。その積み重ねがやがて教養と呼ばれるものになる。
 世の中の大多数のひとがいいなと思っている作品でも、それにまつわるあなたの感情はあなただけのものだ。ありふれた感情なんてこの世には存在しない。

 あなたはあなたの感情について、美術作品を通してふれることができるだろう。好き、嫌い、きれい、いやだ、かわいい、おぞましい、不思議、不安。作品は鏡のようにあなたの知らない感情を映し出すかもしれない。それはとてもおもしろくて、刺激的で、なにものにも代えがたい体験だと思いませんか。

 美術館やギャラリーはいつでもあなたのために開かれている。未知も、既知も、あなたをつくる美しい地層のひとつになるはずだよ。

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