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筋トレ1ヶ月でわかりかけたこと

継続すれど力はつけず。昔、友人のI氏がFacebookでつぶやいた言葉だ。その年の書き初めの言葉らしく、I氏の筆による書も一緒に写真投稿していた。見た瞬間に気に入り、すぐに連絡してこの言葉と写真もいただいた。以来、僕の座右の銘のひとつになっている。

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ここ。このnoteで文章筋トレなるものをはじめて、かれこれ1カ月とちょっとになる。すぐに飽きるかとおもっていたがしばらく続いている。それも毎日書いている。無理はない。書きたいから書けるから書いているというところ。この頃は朝方になると何を書こうかと思がめぐる。お題というよりもいろんな書き出しがめぐる。書き出しの言葉とか、あるいは書き出しの数行程度が思い浮かぶ。いくつも思い浮かぶ日もあれば、2つか3つの日もある。そのうちすぐに忘れてしまうものもあれば書く段になるまで覚えているものもある。覚えているもので書きはじめる日もあれば、覚えているもので書きはじめようとしたらその瞬間に気が変わってちがうことを書いている日もある。出るがままだ。とにかく書くことをしたいわけだからそれができれば何でもいい。このところはそんな感じだ。

つづけてやってみて、書き出せば書けるということがわかってきた。こんなことがわかってそれでどうするということでもないのだがわかってしまったから仕方がない。でもわかったと書いて待てよという自分がいまいる。わかったといった瞬間にわかったということはわからないということができてしまったということではないのかという。そんな不安というか死角というか。なにか。

わかりにくいな。

つまりわかったと言い切った瞬間に見逃してしまったことというか、わかったという気になったその瞬間に、それまでのわからないという構えであればもしかしたら見えたかもしれないものがもう見ることができなくなってしまったのではないかということだ。あぁ言い方が難しい。どれだけ伝わったかはわからないが、こういうふうに言うしかない。

書き出しのところに戻ろう。書き出せば書けるということがわかってきた、いやわかりかけてきたということだ、と書いた。そこからだ。

これは文章筋トレをやってきたからだろうとおもう。これが良いことなのか悪いことなのかはわからない。そんなこと、わからない方がよかったのかもしれない。(決してこれが「力」だ、「力」がついたなんて少しもおもわないけど)座右の銘とさっきいった継続すれど力はつけずとは相反するようなことでもあるわけで。

何を言っているのかわからなくなった。やめよ。

書き出しのところに戻ろう。戻るの2度目。書き出せば書けるということがわかってきた。そこまではいい。その次だ。

そうそう。書き出しのことを考えていたら、先日参加したまるネコ堂の文章筋トレでの体験を思い出した。今朝はこれを書きたかったんだ。ここまでは前置き。

長いね。長かったね。すみません。

先日参加した《 まるネコ堂の文章筋トレ 》では、筋トレを2回した。1回目は10分間、2回目は45分間だった。僕は10分間は何度もトライしたが45分間ははじめだった。

まず1回目は10分だ。実は筋トレに参加するにあたって、あらかじめいくつかの書き出しを用意していた。よーいスタート!のかけ声で、そのとき頭に浮かんだのは前日の飲み会のことだった。ならばそれで書くしかない。僕は書いた。書いた文章をお互いにプリントして感想を言いあった。

そして2回目。次は45分だという。筋トレ時間の長さはそのときわかった。いつもそうだ。そのときならないとわからない。45分ですというなり、いきなりスタート!のかけ声があがった。

僕は1回目10分の文章の、まだつづきが書けるかなとおもった。さてしかしどう書くか迷った。迷ったのは、そのままつづきを書くか、それとも最初から書くかだ。仕切り直すかどうするか。45分ある。まとまった時間だ。

やっぱり書くからにはつづきではなく最初から書いていきたい。なんかそんな欲が出てきた。それではとまず一行目を書いた。同じになった。これは書き写したというより自然にそうなった。そして二行目だ。二行目も同じにするならもうそれはそれでその意識が働く。つまり、ここから、二行目にもなれば、あきらかに1回目の書き写しになる。ならざるをえない。いまは2回目で1回目10分のあのときとはもうすでにちがう自分になっている。1回目10分とまったく同じことを書こうとすれば、どこかに無理がくる。自然でない。1回目10分を書き写す覚悟で行くか、それとも、もうここは2回目という1回目でいくか、一瞬迷った末に、2回目という1回目をしようということになった。

2回目45分で出来上がった文章は、1回目10分のそれとは(僕にとっては)まったくちがうものになった。同じ書き出しだけど、ちがうものになった。ここまで長々と書いてきたけど。この同じ書き出しでも、1回目10分と2回目45分がまったくちがうものになったというのは、僕にとっては誠におもしろい体験だった。

なんか、わりと2行でいえてしまうことをここまで引っ張ったような気がせんでもないが。まぁええか。文章筋トレやし。しかしここまで読んでくれた人がもしいたとしたら少しすまない気もする。すみません。ごめん。許してね。

以下に、文章筋トレ1回目10分と2回目45分を掲載しておきます。

読みたないやろけど(笑)まぁえぇでしょ

カエル 文章筋トレ 1回目 10分

昨夜は学生時代の友人と二人で久しぶりに梅田で飲んだ。安いところへ行こうということで行き先は頼んでおいたが2000円で飲み食べ放題の店があるという。いくらなんでもそれはないやろと二人とも疑心暗鬼で、それでも2000円だからダメもとで行くかということになり待ち合わせのウメ地下の曾根崎警察の地下出入口前から泉の広場の方へ歩き出した。その店は東通り商店街の方にあるらしい。場所的には怪しい場所だ。友人はネットでよく調べたから大丈夫だといいながら歩く。予約をしようとしたができないともいう。そんなことを話しているうちに泉の広場を通り抜け地上へつづく階段を上がった。太融寺の方角へ歩くのだと友人はスマホの地図をみながら指さした。僕は黙って頷き彼が指さす方角へ歩いた。東急インホテルの手前を左に曲がるとその店はあった。店名は忘れたが場所はいまでも覚えている。間口の狭い店だった。餃子を売りにしている店のようだった。ふたりで恐る恐る店内をのぞく。夕方の6時過ぎだから当然といえば当然だが店内に客の影はない。

カエル 文章筋トレ 2回目 45分

昨夜は学生時代の友人と久しぶりに梅田で飲んだ。10年ぶりぐらいだ。昨年末に僕の落語会に突然来くれてびっくりした。そのときは挨拶程度でまた会おうと約束だけして別れた。その彼から先週連絡があり昨夜会ったというわけだ。待ち合わせ場所や店選びは彼に任せた。では安い店にするか?そこそこ高くても美味しい店がいいか?と聞くので安い店にしてくれと頼んでおいた。待ち合わせは午後6時だ。彼はウメ地下の曾根崎警察の地下一階出入口前と連絡してきた。そんな場所で待ち合わせするのは久しぶりだ。昭和な感じがするなと少しおかしかった。午後6時になる5分前に僕は着いた。彼のケータイに着いたとメッセージを入れた。学生時代ならこんなことはできなかった。もう40年も前のことだ。当時は僕も友人も若かった。そりゃそうだ学生だ。友人とは大学は違ったがバイト先で知り合った。3年から4年にかけてだった。男二人で旅行にも行った。たしか沖縄だっか。後にも先にも男二人で行ったのはあれだけだった。いや待てよ。彼とは他にも行ったかも知れない。けど忘れた。彼のケータイにメッセージを入れてスマホから顔をあげたら横に彼が立っていた。どこかから見てたんじゃないか。一瞬そうおもった。たぶんそうだろう。同じ年頃の人間と飲むのは久しぶりだ。変な言い方だけどそうだからそうなのだ。彼は当然のように初老の男になっていた。白髪まじりの頭は薄くなっていた。顔の皺も増えていた。当然といえば当然なのだがあまり見たくない顔だった。彼には失礼極まりないのだがそうおもった。だから書かざるをえない。書かずにおられない。こんな文章を見たら怒るだろうな。失礼な奴だ。すまないとおもいながら、おもったことを書きたいので書くことにした。彼が初老の男になっているということは、つまりは僕もそうなのだ。彼の初老の姿を見たくないということは、つまりは僕自身が初老になっていることを認めたくないということでもあるわけで。まぁそんな屁理屈をこねてみても、見たくなかったのだから仕方がない。それでも僕は彼と会う約束をした。せっかく連絡くれたのいだからというのが本音だった。再会にはあまり期待していなかった。またそんな失礼なことをいう。でもそうだから仕方がない。昔話はあまりしたくない。つまらないから。おもしろくないのだ。でもまぁ一度くらいなら近況報告も兼ねてということで会うことにした。会ったら会ったそんな昔話ばかりにもならず、いま現在の話で盛り上がりそれはそれでおもしろかった。ちょっとあまり会いたくないなと思ったことを反省というか悪いことをしたなといまは思っている。

ウメ地下で待ち合わせた僕らは軽く挨拶を済ませ僕は彼に今日これから行く店をたずねた。彼は安い店がいいということだったので2000円で飲み食い放題の店を見つけておいたこれでどうやと自慢げにスマホの画面を見せた。僕は彼が差し出したスマホの画面は見ずにえぇと驚き。飲み食い放題2000円!と叫んだ。彼は僕の叫び声に返すようにそうや!飲み食い放題2000円や!といった。ウメ地下の曾根崎警察の地下1階の出入口前で初老の男がふたりで飲み食い放題2000円!と交互に叫んだ図はちょっとおもしろい。僕と彼はどちらともなく歩き出した。まだ行き先が決まったわけでもないのに、2000円!2000円!とうなされたように交互に繰り返しながら足はその店に向かっていた。どうやら泉の広場を通って行くらしい。ウメ地下にそんな店はなかろ。頭の片隅でそんなことを考えながら口ではほんまに大丈夫なんかと僕は彼に歩きながらたずねた。知らんぞ。俺も行ったことのない店や。ネットで“梅田の安い店”で出てきただけやから。とそんなことを言った。正直なやっちゃ。まぁそう言うしかないわな。そんなことを言いあいながら足は店の方に向かっている。歩いている。まぁ2000円やからダメ元でええんちゃうの。どちらが先に言ったのかは覚えていないがどちらも同じ内容のことを1回ずつ口にしたように思う。それで決まりだった。古い付き合いが甦った瞬間だ。そうと決まればあとは行くだけだ。ふたりの歩く速度はあきらかに早くなった。友人はスマホの画面を見ながら太融寺の方やねんと言った。泉の広場を通り抜けて地上へ出て直進だ。2000円で飲み放題食べ放題や。餃子もあるし日本酒もあるで。歩きながら次々と店の情報が飛んでくる。めっちゃええ店やん。行ってもいないのに店の印象が徐々に変わってくる。しかし大丈夫か。店の印象が良くなったり悪くなったりしながら泉の広場が近づいてきた。いよいよ地上だ。友人は太融寺さんの方だと言った。どんなとこやねん。場所にもよるがな。もっと詳しい説明ができんのんか。そんなことを少しだけ思ったが口にはできなかった。安い店を探せと言って、その通りのめっちゃ安い店を探してきてくれた初老の友人には、まず感謝しなければならない。そこがどんな店であろうとも。僕らは泉の広場を通り抜け地上にあがる階段を目の前にしていた。階段は2方向ある。彼は太融寺につながる方とはちがう阪急東通り商店街につながる方の階段を指出した。こっちや。

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