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「気遣い」ができない

相手にわかりやすく伝えようとするには、気遣いが必要だと思うし、そんなことは色々な人が言っていた。文章しかり、絵しかり。

私の文章や絵にはあまりそれがないと思う。
とにかく「かきたい」という衝動のほうが強い。伝えたい、ともどこか違う。とりあえず、排出したい、みたいな感じ。

しかし、それだけではやはり不親切というか、どうせ書くのなら伝わるほうがいい。ということで、気遣いって何だろうと私なりに考えてみた。

気遣い……
他人に気を使う、配慮する、慮る、空気を読む……
私はどれも苦手である。興味がないことには気が回らない。回し方がわからない、ともいう。または、気づくのに普通以上に時間がかかる。
ただ、私の場合は、まれに「気がついている」が行動が伴わないことも多い。
その行動で正解なのか、お節介と思われないか、どうすればいいのかわからないので行動できない。行動しようとしたが、時間切れ。行動したものの、不正解、逆効果。
例外として、わかっているがあえてやらないパターンも存在する。

つまり、「気遣いが出来る人」は「気がつく」能力と「正しい行動を実行に移す」能力があるということになる。
両輪が揃ってはじめて、気遣いができるので、どちらもダメな自分はかなり気遣いが出来ない人ということになる。

そもそも、気遣いをしようという意識が抜けている。
おそらく、息をするように気遣いができる人は意識などしなくてもいいのだろうが、私のような初心者はまずそこからである。
意識して、トライ&エラーして慣れていくしかないのだろう。
わかっちゃいるが、トライできないから悩んでいるのである。
「気遣いできない人」というのをネット検索したら、対人コミュニケーションが苦手で周りまで意識が回らない、自分が一番、言われたことしかできない、などなどろくなことがなかった。

うん、だいたいあってる。

いや、納得している場合ではない。クリエイターを目指している自分にはかなりの死活問題である。
コミュニケーションが苦手なのも痛い。話題がなくなると、内心めちゃくちゃ焦っているが、黙るしかなくなってしまう。沈黙が痛い。悪循環ループである。


とりあえずnoteでは文章についてトライ&エラーしていくことにします……

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