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警告の悪夢 ―『供養』①―

く‐よう[‥ヤウ] 【供養】
〔名〕
({梵}pu ̄jana ̄の訳語。進供資養の義で、
仏・法・僧の三宝や父母、師長、亡者などに供給し、資養することをいう)
本来は香華(こうげ)、灯明、幡(はた)、
あるいは飲食、衣服、資材などの施物を行なうことを主とするが、
また、精神的なものをも含める。
その供える物の種類、供える方法、および対象によって種々に分類され、
敬供養、行供養、利供養などがある。

『日本国語大辞典 第二版』より一部引用

このエッセイは2024年7月下旬に書いたものです。
『供養』という表題があり、連作になっています。


「梅雨前線の影響で、今日は太平洋側を中心に、夕方から夜にかけて大雨の予報です。帰宅の際は…」

「えーっ、今日雨じゃん」
「傘忘れんなよー」
「よっしゃ〜!体育プールない〜〜」
「やだぁ、もう湿気で髪の毛が広がるっ!!」

天気予報で、朝からわいわいがやがや。
忘れっぽく抜けている我ら子どもを気にかける父と、
妹と弟が一喜一憂しているのを横目に、

「あまり酷くならないといいけど…」
そう呟く。そして、ぼんやりと考える。

…どうだったっけな。覚えていない。

寝落ちして、お母さんに声かけられた気がするけど、多分寝ぼけていて。
しばらくして起きて、上の部屋に行って、布団で寝て…。

……

あの日の夜中は、酷い大雨だった。

2021年 8月18日、未明。

嫌な感じで耳に残る警報アラート。
鳴る。何度も。

その度に目が覚める。
寝ぼけ眼でスマホを見て、止める。夢と現実の狭間を行き来する。

隣の県の地域の避難指示を伝える、機械的な声が、聞こえるような、聞こえないような。

妙に不気味で、胸騒ぎがした…気がする。が、そんな深いところまでは、気づけなかった。

その時、起きていることなど露知らず、ただただあのアラートという悪夢に、ずっと、魘されていた。

翌朝。午前8時。

高校の課外や自学があった私。
いつもより遅い時間に目を覚ました。

やばい、、寝坊した。

当時、特に朝の体調が優れず、中々起きられなかった私を、お母さんはいつも、私の名前を呼んで起こしていた。

しかし、今日はそれがない。

お母さんも寝坊したのかな。
それか、私が気づかずに寝たままで、
お母さんはもう仕事に行ったのかな。

そんなことを思いながら、リビングのある1階へと、階段を降りる。

すると、母は…
いや、母も、
そして、その日休みのはずの父もいなかった。

しばらくして、父から電話がかかってきた。


「お母さんが夜中に倒れた。一旦迎えに帰ってくる」

「…そっか、わかった」

声が、電話を持つ手が、震えていた。
自分の脈が強く、早くなっていくのが分かった。

学校にかけた欠席の電話は、自分でもびっくりするほど早口だった。
電話に出た先生が聞き取れないくらい。

大事ではないはずだ、と心の中で何度も唱える。
その反面、もしかしたら…という不安がよぎる。

後から起きてきた妹や弟に状況を説明する。

心配するふたりに、「大丈夫だからさ、ね!」と、何度も伝える。
同時に、自分にも言い聞かせる。

「帰ってきたらびっくりさせようよ!」
とか言って、
普段やっていなかったような、皿洗いとか、リビングの掃除とかなんか、やり始める。

空元気、だったな、と思う。

父が帰ってきて、車に乗り、病院に向かう。

暫くして。


「倒れてから、意識がない。そして、もう目を覚ます、可能性は、ほとんどない。…もってあと4日。」


聞きたくなかった。

私が大雨警戒アラートで唸っていた深夜、
父は母に、頭が痛いから、病院に連れて行ってほしい、と起こされたそうだ。

ザーザー降りの雨の中、車に乗せようとした瞬間―――

…父は、どんな気持ちで、母を車へ連れていこうとして、
意識を失った母を病院へ運んで、私に何度も電話をかけて、母が倒れたことを伝え、
…車で、自分の愛する人に、自分らに待ち受ける現実を、話していたんだろう。

今、考えても、胸が締め付けられる。

隣でわんわん泣く妹と弟を横にして、

まだ分からないんだから、
お母さんも頑張っているんだから、
「お姉ちゃん」なんだから、

しっかりしなきゃ駄目でしょう、
と強がる気持ちが半分。

一方で、
今のこの現実を受け入れたくない、
信じたくない気持ちが半分。

いや、ほとんどそれかもしれない。
耳にした出来事を、拒否している。

表面上だけ、まだ残されている微かな希望を、家族を、そして自分を、
守るために、取り繕っていた。


…ああ

夜中になり続けていた
あのアラートは
お母さんのSOSだったのかな

気づけなかった


片手を隣に座る2人の背中に回し、さする。ただただ静かに、涙を流すことしかできなかった。


ここにあるのは、現実。
夢ではない。
狭間を行き来しているわけでもない。

これが、夢ならいいのに。

そう思いながら、窓からぼんやり眺めていた空は、
夜中の荒れた天気とは180度変わっていて
皮肉なくらい、空は澄んでいて、太陽が照らしていた。


「…時刻は、6時58分です。最新のニュースを………」
しまった。もうすぐ7時じゃん。
ぼーっとしている場合じゃないや。

コップに入った水を、慌てて流し入れる。

幸いその日は、スカートの裾を濡らして帰ってくるくらいで済んだ。

じめっとした布が足に纏わりつくのは気持ち悪くて嫌だけれど、
あの日に比べたら全然まし。

警告の役割を持ち、緊急事態を知らせる、アラート。
本来ならば、生命や身体の安全を確保するため、自分や周りを守るためのもののはず。

しかし私は、それを耳にすると、
大切な誰かを失うような気がして、仕方がないのだ。

もう、あの悪い夢を見ませんように。


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