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#027 INTENSE FIG ―『供養』②―

く‐よう[‥ヤウ] 【供養】
〔名〕
({梵}pu ̄jana ̄の訳語。進供資養の義で、
仏・法・僧の三宝や父母、師長、亡者などに供給し、資養することをいう)
本来は香華(こうげ)、灯明、幡(はた)、
あるいは飲食、衣服、資材などの施物を行なうことを主とするが、
また、精神的なものをも含める。
その供える物の種類、供える方法、および対象によって種々に分類され、
敬供養、行供養、利供養などがある。

『日本国語大辞典 第二版』より一部引用

このエッセイは2024年7月下旬に書いたものです。
『供養』という表題があり、連作になっています。


「ねーねー、音ちゃんは母の日って何かプレゼントするー?」

何にしようか迷ってて…と相談してくる友達。

「そっかあ、もう母の日かあ」とか知らなかったフリをしてみたり、
「日曜日バイトだもんなあ」とか予定あってできないかもアピールをしてみたり。

ほかにも「えっと…」とか「うーん」とかでさんざん言い淀んで時間稼ぎをして、
「ごはん、何か作ろうかなあ」とかいう、なんとも言えない返しをした。

それだけだとなんだか物足りない気がしたし、その子が求めてるのはそれじゃない、と思ったので、昨日辺りにテレビの特集で見た「子どもと一緒にお出かけできるのがお母さんは嬉しいらしい」という情報をつけ加えた。

そうか。今年も来たかあ、この時期。
反応に困るんだよな。

別に、「言いたくない」「隠したい」というわけではないけれども。
「言えない」んだよなあ。

人によっては重く受け止めてしまったり、
変に気をつかったりしてしまうだろうから。
さらっと言えるものでもないのかなって。
そうなったらなんか気まずいし。

大学が女子校だからなのか、なのかは分からないけれど、例年この時期は多い。この話題。

…プレゼントねぇ。


小さい時から、色々な贈り物を渡していた。

父と買いに行ったカーネーション。
折り紙で作った花束。
母の似顔絵。
青い鳥と感謝の言葉の切り絵。

「母の日」がなくなった、なんて言いたくないけど。
でも、前より確実に薄くなっちゃったよなあ。

高校生の頃の、いつの日か。
家でバラエティ番組を見ていた。

美容特集みたいなのをやっていて、さっしーか誰だったか、確かそのあたりの、
そういうのに詳しい芸能人が、おすすめのコスメを紹介していた。

その一つが、Diorのマキシマイザー。
唇がふっくらぷるぷるになるらしい。

テレビに映る、つやっと輝く唇。
手におさまるサイズでありながら、高級感あるフォルム。
小さい頃に憧れていたような、ジュエリーボックスに入っていそうな、煌びやかさと上品さ、そして可愛さを兼ね備えた、そんな見た目。

でも、Dior。

当時、日焼け止めなんて塗ったって、どうせ焼けるし!そんなことより部活!課題!!
なんて言って、こんがり黒焦げになった芋状態の私は、美容にもコスメにも疎かった。

けれど、いわゆる「デパコス」と呼ばれるものが高価なことは知っていた。

高いねえ、、今は中々手が届かんなあ…。

横で母が呟く。

「昔は色んなの買ってたよ、ちっちゃい時とか化粧品のお店に連れてってたんだけどね、覚えてる?」

確かに。
なんか綺麗でピシッとしたおばちゃn……女の人に、熱くて苦い(当時の感覚でそう思っていた)お茶をもらって、座って待ってた記憶がぼんやりある。

「ま、今はお母さんが若い頃と違って、安くてもいい化粧品いっぱいあるもんね〜」

…確かにそうだけど。そうだけれどさ。

化粧品に関してもそうだが、身につける服のファッションセンスも高く、おしゃれだった母。
(よく同級生のママ友から、「○○ちゃんって、やっぱりおしゃれで素敵よね〜〜」とよく褒められていた。)

いつからか、プチプラコスメを使うようになっていた。
多分、私達子どもに、お金をかけるために。

…つけてほしいな。

「え、じゃあさ、私が大学生になったらプレゼントする!お金貯めて、誕生日か母の日かにさ!」

高校生になってから、私は特に、自分のことで精一杯になってしまっていた。
今思うと、自分のことに精一杯になれるように、母が支えてくれてたんだなあって、感じるけれど。

それもあって、それまでのように、ちゃんとしたプレゼントを渡すということも、無くなってしまっていたのだ。
「ありがとう」とは時々口にしても、個人的には物足りない気持ちでいた。

だからこそ、贈りたかったのだと思う。

「え〜、そんなのいいって、自分がつけたいでしょう?自分にお金使いなさいよ〜」

口ではそう話していたが、
その声は、どこかうきうきとしていて。
頬もほんのり赤くなっていたような、
そんな気がした。

そう、話していたのに。さ。

なんで。

目の前に横たわる母。
眠っているように、見える。

ただし、以前はあった、顔の、そして唇の、血色感を除いて。

生まれて初めて、息を引き取っている人を目の当たりにした。

それが、「お母さん」だなんて。
思いたくなかった。

…眠っていてほしかった。

通夜の前、棺に入る前に、母に死化粧をした。
家から持ってきた、母の化粧道具を使って。

パウダー、チーク、そして、リップ。
コーラル系に少し緋(あか)が入った感じ。

鮮やかだけど、深い。上品だけど、馴染みやすい。
可愛さも、美しさも兼ね備えている。
どんな人とも、すぐ打ち解けてしまう、そんな母みたいな色。

自分でも、ろくにメイクをしたことがなかったから、不器用だったかもしれないけれど。お母さんは、とても綺麗だった。
全体的に濃くなってしまって、後からパウダーを重ねたのは、ご愛嬌。

でも、本当に、綺麗だった。きれいだった…。

「…本当なら、何年か後に、いいリップ、プレゼントするねって、、そう、言ってたんだけどな……。」

化粧を手伝ってくれていた、いとこのお姉ちゃんを横に、口にしてしまった。
お姉ちゃん、「そうだったんやな…」って、泣いてくれた。

私は、泣けなかった。
いや、泣いちゃいけないって、思っていたのかもしれない。


別の日。お昼ご飯を食べたあと。

「わ!Diorじゃん!!めっちゃかわいい!!!」

「え〜嬉しい!かわいいよねこれ!この前ご褒美で買ったの〜」

お友達が持っていたのは、Diorのマキシマイザー。
実物をはじめて目にしたが、見ているだけで心が踊ってしまうくらいの感動。
自分のじゃないのに。
こりゃ、ご褒美だ。ほんとに。

そして、ふと、このことを思い出したのである。

その日の帰り、Diorのホームページを検索し、開いた。
カラーバリエーションが豊富だった。

え、こんなに色あるの?
迷いすぎて決められないんじゃ…。
と、思っていたが、そんなことはなかった。

これ、お母さんに合いそう。いい感じの色。それに…私もつけられそうな色。

今度のお母さんの誕生日、買いに行こうかな。私の誕生日プレゼントにもなるし。

私にとっても、母にとっても、ご褒美、ではないだろうか。
その時の、母の顔が見れないのが惜しいけれど。

3月末がすこし、待ち遠しくなった。


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