『インターセプト1』
いける。心の中で呟く。あえて開けておいたパスコースに向けて相手選手が右足を振り、白と黒でデザインされた古めかしいその模様が見える感覚。
「ナイスインターセプト!」監督の宮田先生の声が響く。伸ばされた左の足先にはボールが収まっている。視線をあげると、パスした選手の表情と目の前の広大なスペースが差し出されいる。それを認知すると同時に快感が体を駆け巡り、これはある種、依存性があるな、と思う。
僕の動きを察していたのか、中学からの付き合いの東谷が走り出し、パスを要求する。
自分で運ぶのは苦手だ。要求通りにパスを出し、前へ走る。
「時間が…ない」ピッチ横の時計を見ると追加時間で、おそらくこれがラストプレー。東谷からトップ下の3年向島にパスが通り、向島は寄せてきた相手をワンタッチでかわす。その流麗な動きに思わず目を奪われ、しかし懸命に喘ぎながら足を走らせる。
向島からサイドに張った同学年の斎藤にパスが通る。本職のトップ下ではないサイドを深くまで走る。相手の懐に潜り込んだ斎藤はペナルティエリアに浮かせたクロスを上げる。
そこには後半途中からトップに入っている本職はCBの3年、三井が高身長を少し屈めて構えている。フリーだ。おそらく当てるだけでゴールに入る。
三井が飛ぶ。タイミングはドンピシャ。歓喜に叫ぶ気配をチームメイトから感じる。
次の瞬間、三井はゴールと真逆の方向にヘディングを飛ばした。
「ええーーーーっ!」三井を除くピッチの全員が叫ぶその裏で、審判の吹いた試合終了を告げる笛の音が静かに鳴った。
試合結果、0対5。もちろんゼロが自分たちのチームだ。最後のワンプレーで一矢報いたかったが、三井は「練習でいつもゴールと逆に弾いてるから、その癖で。焦っちゃって」と悪びれず言い、「ほら、俺の本職CBだら?」と笑って弁明した。
3年生の引退試合だというのに、どこにも涙の気配はなく、三井をいじって笑って、そのまま3年生は引退した。
相手チームはそのまま決勝まで進み、県大会を準優勝で終えた。
今になってあの試合に勝てたら全国までいける可能性もあったのか、とも考えたりもしたが、もちろんたらればでしかなかった。
ロンドの合間の休憩でほんの1ヶ月前の試合を思い出す。僕らの学校のサッカー部は強くはない。弱くもないのだが、県内では中堅校の立ち位置だろう。県大会のベスト8を目標にしてはいるが、3年生はベスト16で敗れた。僕らの代も良くて同じくらいだろうというのが誰かが言い出した訳でもない暗黙の共通見解である。
休憩を終え、腰を上げ手で砂をパンパンと払う。
「みっちゃん」と呼びかける声に僕は振り向くと、東谷が駆けていて、名前を呼ばれた僕、清水光は「どした」と返事する。
「次、紅白戦するみたいだからビブス準備してって」という東谷に「了解」とだけ言い、連れ立って部室の詰められた部室棟へ向かう。
部室に向かう途中でマネージャー2人とすれ違う。彼女らはドリンクボトルを運んでいて、かなりの数で重そうだなと他人事に思いながら手伝うでもなくすれ違う。会釈を交わしながら横目で見ると、彼女らの首筋に汗が伝っていて目を逸らす。夏も終わりに近づいているとはいえ、まだまだ残暑は厳しい。特に今日は快晴だ。
ガラガラと部室の引き戸を開けると「臭っさ」と東谷が顔を顰める。無言で同意し、これまた汗のすえた匂いの染み付いたビブスを手に取る。
急いで部室から出ると「ふぅ」と詰めていた息を吐き、グラウンドへ出る。
グラウンドでは何人かのチームメイトが腰を下ろし、二人のマネージャーがドリンクボトルを手渡している。
「見山さん、綺麗だよな」少し急いで歩くふりをしながら呟き、先ほどすれ違った横顔を思い出す。見山さんの両親は一度だけ、昨年度の文化祭の時に見たことがあったが、その時、遺伝子とはなんと理不尽かと思ったものだ。
「本当だよな。可愛いってより、綺麗。ああいうのがモデルとか女優になるんだろうなあ」と東谷は言い、「しかしまさかあいつと付き合うとはな。いや、良いやつなんだけどな」と悔しそうに嘯く。
その言葉に苦笑を返し、イケメンで恰好良いというよりお調子者の面白いやつ、という立ち位置の見山さんの彼氏の顔を思い出す。
「みんな悔しがってたもんな」という言い、東谷の表情を伺う。彼は「そうだなー」と関心がないように「でも逆に見山さんの評価上がるわ」と呟く。
「どういうこと?」という疑問に東谷は「いや相川には悪いけどさ」と前置きし「ただイケメンなだけの男と付き合うよりは、ちゃんと中身とか見て選んでるのかなーとか思って。むしろ好評価。俺にもチャンスあるかもって思える」と笑う。
僕は「なるほど」とその言葉に相槌を返し、そういう考え方の人もいるんだな、と中学からの付き合いの東谷に知らなかった一面を見る。
「でも見山も森も、サッカー部のマネージャーなのにサッカー部員に興味なさすぎだろ」と彼は言う。見山さんの彼氏、つまり相川は水泳部の主将で、森さんは確か今はバスケ部のシューティングガードと付き合い出したはずで、しかし彼女は男を取っ替え引っ替えしていることもあって、情報更新は忙しい。そして彼女らは一度もサッカー部員と付き合ったことはない。そういえば、森さんも容姿は整っている方だが、両親の姿を見たことはない。学校の行事やイベントに来たことは一度もないのではないか。でも見山さんと同じようにきっと美形の家族なのだとひねたことを考える。
「東谷はどうなの、その坂爪さんとは」
「進捗なしかな。席は近いけど話しかけるタイミングがね」
そういう東谷の言葉に「タイミングって」と少し呆れながら「同じクラスでしかも席が前後だら?そんなの毎日毎分毎秒がタイミングみたいなもんだろ?インターセプトと同じで自分から動かないと成果なんて得られないぞ」という。2年連続で同じクラスだからといって来年も同じクラスになれるとは限らないのに、と嘆息する。早く付き合えば良いのに。と心の中だけで呟いた。
実は両想いということは坂爪さんから相談されていて知っているのだが、双方から口止めされているのもあって、どうせなら僕の手出しなしで付き合ってほしいと口をすぼめてはいるが。
「いい加減、長い」遅々として進まない東谷を睨め付け、呟く。いつもは同じチームで真横にいるが、今は向かいのチームにいて、声は届かないだろう。
顧問の宮田の笛に合わせてボールが動き始める。今、東谷の代わりに隣にいるのは一年の林で、パスを受けた彼はこちらを見ることなくパスを後ろへ出す。インターセプト職人、そう呼ばれるだけあって、それ以外はからっきし、部内でも平均以下のみっちゃんスペックを林は承知しているようで少し安心する。
いつも通りの4ー2ー3ー1。その二枚の中盤に求められる役割は多い。4ー3ー3の役割分担が可能な三人の中盤と比べて、パスにドリブル、ディフェンスの強度、攻守の多くを求められる。
僕らのチームには全てを兼ね備えた、そんな完璧な選手なんていないから、二人で弱点を補い合ってなんとか一人前、いやせいぜい0・8人前といったところだ。
今、僕の横にいる林は足元の技術が優れていて、僕の苦手なそれを補ってくれている。いつものペアの東谷は尋常ならざるスタミナで、ピッチを縦横無尽に走り回り、攻守に貢献している。彼も僕よりは上手い。
「本当にインターセプトしか取り柄がないな」と思わず自嘲するが、まだそれができるだけマシかと気を持ち直す。
ひたすら虎視淡々とインターセプトを狙い、成功したら誰か近くにいる味方にパスを出す。そのことに集中する。
「ッ、待て!」と東谷が静止を叫ぶ声に心の中で「もう遅い」とにやける。相手チームの選手は僕がわざと空けておいたパスコースに向かってボールをすでに蹴り出していて、そこへ右足を大きく伸ばす。黒の模様が剥がれ、白と灰色のモノトーンになった色が混ざってより薄い灰色になっている。そのボールを爪先に当て、足元に収める。元に戻った時間の中で周囲を見渡すが林は少し離れたところにいて、パスコースを見出せない。仕方なしに前方のスペースへ視線を向けるが、動きを察知していた東谷がスプリントをかけて詰めてきていて、焦りから少し大きくなったボールタッチに呆気なくボールを奪われる。そのまま東谷はディフェンスの裏に抜ける新10番の斎藤にスルーパスを出す。奪い奪われの中でガタガタになっていたディフェンスラインはなす術もなく突破され、キーパーとの一対一を冷静に決められ、ホイッスルがなった。
「脚、きついわ…」すっかり暗い帰り道を自転車を自らの体重のみによる立ち漕ぎで、ゆっくりと進みながら横をスイスイ漕ぐ東谷にぼやく。彼はこちらの様子とは相反するように笑顔だ。
「俺は楽だったよ。誰かさんのギャンブルの後始末しなくて済んだから」
「やっぱ林だと相性が悪いよな」と自らの失敗を東谷に押し付けていることを棚に上げる僕に東谷は「良さは消えてたね」と苦笑する。
僕のインターセプトはリスクが高い。マークをあえて大きく外すこともあるし、外した上で伸ばした足が届かなければ、一転して大ピンチになる。普段はそれを東谷の有り余るスタミナでカバーしてもらっているのだが、今日のように林が相方の時はそうはいかない。顧問の宮田は試験的に林とのペアを試したのだろうが、林も僕の後始末に奔走し、その疲れからか足元のミスも目立った。僕もそれを気にしてインターセプトの出足が遅れたり、読みが当たっていても一歩届かず成功に至らないことが多かった。
「そういえばさ、覚えてる?」誰々先生と東谷が一人の名前を言い、東谷の方を見るとその薄暗くなった空間の奥に少し前まで通っていた中学校が見える。中学生はすっかり帰ってしまっていて、校庭の側からは誰一人の声も聞こえない。その中で職員室の明かりだけが、残り火のように光っている。
「覚えてるよ」その明かりの方を見ながら、まだそこにいるのかと中学時代のサッカー部顧問の顔を思い出そうとする。取り立てて特徴のない顔で、記憶の中で再現できたのは朧げな輪郭くらいなものだ。
「まだサッカー部やってるのかな」と呟く東谷といつもの分かれ道で別々の帰路についた。
中学生の頃、東谷と自分ともう一人、三人で中盤を組んでいた時がある。内田という一年下の子で三人の中で一番上手かった。プレーが目立つわけではなかったが、さながらかつてバルセロナでプレーしたチャビのような印象を受けた。いるといないとでは天地の差を感じた。
内田にとって不運だったのは学年が一つだけ下だったことと、顧問が旧態依然として封建的であったことだ。年功序列を地でいく彼は僕らの代の最後の夏の大会で2年の内田を先発から外した。その代わりは部活にほとんど出てこない3年が出場した。
中学生の頃の自分やおそらくは多くの子にとって、教師や顧問の言葉、判断はある種絶対的で、内田を出してほしいとは思っていても頭の中で主張するだけで実際に口から出ることはなかった。しかし内田は違った。
「勝って少しでも長く三年生とプレーしたいです。だから自分を出してください」微塵も、少なくとも傍目には、臆することなく内田は顧問に真正面から異議を訴えた。そしてその申し立ては正しいように思えた。内田と代役の差は歴然で、しかし顧問には目立つわけではない彼の良さが分からなかったのだろう。もしくは単に歯向かわれたと、楯突かれたと感じたのかもしれない。
結果、内田はベンチからも外された。
自分達より格下の(直近の練習試合でも勝てていた)相手に、終始攻撃は空回りし、焦りからミスを連発。守備に奔走した末に呆気なく中学最後の試合は終わった。
どこか悔しさとも悲しみとも違う、ナノつけられなかった感情を胸に抱いたまま、後輩たちに何かを言うこともなく、流れるままいつの間にか引退し、気づいたら中学校を卒業していた。
唯一、ベンチ入りすら許されなかった内田の「すいませんでした」が頭に残った。
その試合から一年後、中学生の夏の大会を見に行ったが、内田は出場していなかった。一緒に行った東谷は「怪我かな」などとゴニョゴニョ理由を考えていたが、二人ともわざわざ後輩を捕まえて尋ねることはしなかった。
「なあ、聞いたか」横からかけられた声にそちらを見ると、キャプテンでCBの小松がボールにの上に片足を乗せてこちらを見ていて、なに?と言うような顔を向ける。東谷からのパスをインサイドで止める。
「一年の転入生がうちに入部するってよ。この時期の転入って珍しいけど、上手いやつかな」
「へえ、一つ下か。上手かったらいいけど、ポジション被ったら僕の立場がなぁ」と笑い、少し離れたところにいる東谷に左足を振りボールを蹴り出す。筋力不足もあるのだろうが、距離の長いパスは苦手だ。今回も大きく右に逸れて、東谷が「おーい!」と声を上げながら追いかけていく。
「東谷もそうだけど、闘争心ってやつがないよな。それでもレギュラーは死守してやるってくらいの気概はないもんか」と東谷の行方を見ながら嘆息する小松に「闘争心はあるよ、東谷にはないけど」と言い、「闘争心があるからインターセプトに果敢にチャレンジできるのさ」と付け加える。
「そういうもんでもないだろ。俺は逆だと思ってるよ」と言い、小松は足元に目を落とし、右足を振る。彼のパスは受け手のところへ綺麗に届き、僕は東谷からのパスをトラップミスした。自分の心の内を小松に覗かれたような居心地の悪さを感じ、そう感じたことを見抜かれてしまったようで、気分は良くなかった。