ぼくらの、そして僕の
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鬼頭莫宏『ぼくらの』を読んだ。『ぼくらの』の世界は、善も悪も幸も不幸も地続きに置かれていてるから安心して読むことができた。『ぼくらの』のストーリーは15人の登場人物を中心とした群像劇として展開されていくが、その中ではキリエ(切江洋介)という人物に一番惹かれた。
現実のある局面だけを切り取った作品にあまり興味が持てない。それはリアルじゃないから。書くということで何かを切り取って浮かび上げる必要があるのなら、その切り取られた外のことも忘れ捨てないでほしいと思ってしまう。また何かを浮かび上がらせる必要があるのなら、その行動の責任を取ってほしい。例えばヒロインの死。観客に感動を誘発させるために、無責任に人を殺さないでほしい。例えばその他大勢の死。事態の悲惨さを知らしめるために、無責任に人を殺さないでほしい。作者(=創造者)は神に最も近い存在として世界を創造するが、その責任はすべて自分に返ってくるということを決して忘れないでほしい。その責任を放棄して超越的なものとして劇を進行させるような作品が信用できない。
『ぼくらの』を知ったのは多分小学生のころで、そのころの僕はインターネットに触れたてで、インターネットの中のニコニコ動画というサイトで「アンインストール」という曲を知ったことがきっかけだった。「アンインストール」は良い曲だと思った。それでも漫画を見ることはなかったし、アニメも見ることはなかった、僕は、
現実がそこまで好きじゃなかったから、インターネットに触れていたけど、インターネットもそこまで好きじゃなかった。現実のノリが好きじゃなかったけど、インターネットのノリも内輪的で閉塞的で好きになれなかったし、どっちにも同じようにムカつくような人はいて、心の底から安心ができる場所なんてどこにもないんだなと思うことで自分なりの孤独の正当性を保とうとして、現実にもインターネットにも冷笑の態度を取りつつどちらにも中途半端に関わって、いずれ優しい言葉を掛けてもらえることを期待して人に優しくしていた。中途半端に優しい言葉だけ書かれた作品を見ても、現実はそんなに甘くないと思って好きになれなかったし、悪だけを中心に描いた作品を見ても、そうじゃない世界は存在すると思って受け入れることができなかった。
当時の僕は誰よりも寂しいと思っていた。いや、本当はそう思いたかったけれど、そう思うことを拒んでいた。僕よりも寂しい思いをしている人は現実にもインターネットにもいっぱいいたから、自分の寂しさに自信が持てなくて、自分の寂しさはただの甘えなんだって、自分の招いた態度に問題があるんだって、すべて自分に原因があるんだって、自分がどの環境にも振り切ることができなくてすべてに中途半端な態度を取っていたことが問題なんだって、しかも思春期の鬱憤とした感情は誰にでも起こり得ることだって、教科書に書いてあったから、僕は自分の寂しさと向き合ってこなかった。僕は自分のことに関しては何一つ責任を取ろうとしてこなかった。
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僕は誰のために言葉を書いているかと聞かれたら、昔の自分のために書いていると今は答えたいと思っている。昔の自分の寂しさや悲しさ、怒りに向けて、その感情を昇華するためでも、埋めるためでもなく、ただその感情に向けて書いている。昔の自分が読んでかっこいいと思う言葉を、昔の自分が読んで救われる言葉を、昔の自分が読んで強くなれる言葉を書きたい。そうした態度がどれだけダサくて情けないものだとしてもそうする必要があると思っている。
僕の言葉はあなたの言葉じゃない。僕はあなたの話を聞いても、悲しいと思うことしかできない。あなたがどんなひどいことをされてきたか、あなたがどんな悲しい思いをしてきたか、僕はそれを聞いてもただ悲しいとしか思えない。ああ悲しい。心の底からそう思う。いや、悲しいと思うことすら失礼なことなので、僕は沈黙をするべきだろうか、それでも僕はただ沈黙する勇気もなく、その場しのぎで、関係性を保つ程度の優しい言葉をきっとかける。僕はあなたの悲しみによる言葉を、あなたの悲しみのための言葉を吐くことができない。その勇気がないから、その責任が持てないから。その覚悟がないから。そうすることで、世界の形が変わってしまうということを知っているから。
僕は、
僕は本当はあなたのために言葉を吐きたくて、昔の自分の寂しさなんかじゃなくて、今苦しんでいるあなたのための力になりたくて、あなたの苦しさを少しでも紛らわせてあげたくて、あなたの苦しみを一緒に背負ってあげたくて、あなただけじゃなくて、昔の自分もあなた以外のあなたも、だれも寂しさや苦しさを感じることのない世界を作りたくて、寂しさや苦しさをそのまま形として受け止めることができる世界を作りたくて、だれに優しい言葉を掛ける必要のない世界を作りたくて、そこだと心の底から安心することができる世界を作りたいから、言葉を書いている。僕は書いたもののすべての責任を負う。