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2024.1006、日記🔴床屋へ行きました〰️〰️,床屋のご主人は,「王貞治さん」の1年後輩で甲子園に応援に行ってました,を紹介します🥭

10月5日(土)、おじいさん👴がやっている、地元の床屋に行きました。3ヶ月に1回の割合で行ってます。椅子に腰かけるとすぐ睡眠💤でしたが、この日は、床屋のご主人が、良く話しをしました!

1️⃣床屋のご主人の高校は、早稲田実業高校で、1年上の先輩に「王貞治さん」がいらっしゃいました。「王さん」は、2年生の時、春のセンバツ大会で優勝しました。

「王さん」は今年、84歳なので床屋のご主人は、83歳の計算になります。

床屋のご主人は、その頃の思い出を話しました。

🔴「王さん」は、実はセンバツ優勝“投手”だった…「世界のホームラン王」の高校時代 | BASEBALL KING、から引用

 1957年、春のセンバツ大会。早実(東京)のエースだった王貞治投手(2年)は、初戦の2回戦、寝屋川(大阪)戦に1-0、準々決勝の柳井(山口)に4-0、準決勝の久留米商(福岡)に6-0。3試合連続完封勝利で決勝へ進出した。初戦は1安打しか許さず、準々決勝は11奪三振無四球、準決勝も無四球と完ぺきな内容だった。

 決勝は高知商(高知)戦。この試合も7回まで5-0とリードし圧勝ペース。だが、王はアクシデントに見舞われていた。準決勝で左中指の爪を割り、出血。そのまま投げ続けていた。そして、8回に王が崩れた。連続タイムリーを浴び、3失点。35イニング目に、この大会で初失点を喫した。

 だが、ここで踏ん張り、5-3で勝ちきった。高知商の投手も指のマメを潰しながら力投したことから、「血染めのボール決戦」として、マスコミが大きく取り上げた。王の活躍で、大会旗が初めて箱根の山を越えたことも、大きな話題になった。

このお話を聞いた時 驚きました‼️。もっと オーバーに、感激した感情を表せば良かったのですが、冷静にお聞きしました。

甲子園まで行くのに時間がかかった事。宿泊所は旅館ではなく、小学校の体育館で、毛布をかけ、雑魚寝(ざこね)だったそうです。今との違いを感じました。

2️⃣その他、小さい頃読書が好きで、暗い所で本を読んでいたせいか近視になり、18歳でメガネをかけ始めた事。それが理由で年をとって老眼になっても、裸眼で近くものは、良く見える事を自慢されてました。

床屋さんは細かい手作業なので、近くが見える事は、長く続けられる点で重要な事ですよね…

床屋のご主人の腕は良く、とても いい感じで散髪が終わりました…


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♡床屋のご主人が早稲田実業高校の卒業生

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