“地獄杜氏“盛川氏が語る、日本酒のリアル。杜氏は職人かアーティストか?【田中酒造店】
田中酒造店で「真鶴」「かっこいい生酛」「Limited 555」など個性的で多彩な日本酒を手がける盛川杜氏(お酒の醸造責任者)。
多くの蔵を渡り歩く「職人杜氏」でありながら、高い技術で注目をあつめ、自身のプライベートブランドを保持するなど、これまでにはない杜氏のスタイルを確立している存在です。(そしてお酒が個性的でおいしい!)
ここからは、日本酒業界の異端・盛川杜氏のインタビューを紹介します。
テーマは「杜氏とは、職人か、アーティストか」です。
14もの日本酒蔵を渡り歩いた流浪の杜氏
(引き続きオンライン取材、よろしくおねがいします)
ーーまず、盛川杜氏が杜氏になった経緯を教えてください。
私は岩手県出身で、高校卒業後に一度就職した後に酒造りの世界へ入りました。社会の厳しさも知り、また以前から「杜氏になりたい」という想いもあり、どうせなら「好きなことをやりたい」と考え、母の知り合いの杜氏の紹介で酒造りの世界に入りました。
23歳、それから、がっつり酒造りです。
これまで北は岩手、南は奈良と、いろいろな蔵でやってきました。14蔵ですかね。それからここ(田中酒造店)にやってきました。
ーー14!会社員の転職と考えるとすごく多いです。酒造りの世界では普通なのですか?
いや、多いと思いますよ。渡り歩いているといわれる人でも数蔵ですから。
私の場合はフットワーク軽いというのもあるのですが、単純に覚えたいことがたくさんあったということです。実際、蔵に入って2年もいると「この蔵で何を覚えられるか」いうのが見えてくるんですよ。あとは「ここの造りはつまんねぇなー」というのもあったり…まあぼやきは今日はいいませんが。
「生酛」が、自分の目指す日本酒
ーー「覚えたいこと」というのは何ですか?
「真っ当な純米酒造り」と、それに付随した「生酛※」や「麹蓋法」などなど、維新以前からある技能・技術です。
福島に「大七酒造」という生酛の蔵があるのですが、もう亡くなられた伊藤杜氏の造る生酛が、本当においしかった。
また、これは竹鶴酒造の石川杜氏(2020年からは月の井酒造に移籍)の言葉なのですが、生酛のお酒は「エロス」なんですね。
綺麗な吟醸造りは「タナトス」というか、自分にとっては死の匂いがする。生酛は、生き物が生きようとする、生命力としてのエロスを感じる。
大変なんですけどね。でも生酛には、単純にそれだけの魅力がある。
昔は生酛に取り組む蔵もそれほど多くなかったから、直談判したり、つてを辿っていったりして経験を積みました。それが自分の修業時代ですね。まあ、日本酒でいうと今も修業中っちゃあ、修業中です。
「田中酒造店」に移籍した理由
(現在、盛川杜氏が造っている田中酒造店の銘柄の一部)
27歳の時に杜氏の資格を取り、31歳の時に関東の蔵で製造責任者(杜氏)になりました。しかしその御蔵はどうも考えが甘く、拙いので色々と合わないことも多く「時間の無駄だな」と思い、たった一年で離職しました。家内の母に飽きられましたが笑
(ちょくちょくディスるところがとても魅力的でした)
いや、大事なんですよ、経営者の考えと姿勢は。トップがしっかりとした考えを持っていないと、ご先祖さまが有能でどれだけの銘醸蔵であっても、あっという間に落ちてしまう。もちろん、それに付き合う自分の時間も無駄になります。
日本酒って、伝統産業で夢や諸々を乗せやすいところもあり、もてはやされることもありますが、どのお仕事とも変わらず売り上げがあって利益があって、働く人間に相応のお金を払えないと事業としてなりたたない。
杜氏は生まれながら蔵元になる立場とは違い、雇われの身で「永遠の中間管理職」。そういう違いもこみで、相互理解がないと酒蔵に限らずグダグダになってしまいますよね。
今季でなんとか連続10年、杜氏職を務めさせていただいてます。ありがたいことです。
田中酒造店に来たのは2016の秋から。理由はやはり「生酛」です。この蔵は宮城県で戦後初めて生酛造りを復活させた蔵で、環境的にやりやすいかなと。
また、蔵にはオーナー会社が別にあるのですが、完全に実力主義です。
結果さえだせば、答えてくれるという姿勢。仕事をフラットに評価してくれるところがあり、それがいまここで続いている理由です。だから能力がないと判断されれば、2ヶ月後、私はいないかもしれません。
「地獄杜氏」が生まれた理由とは?
(盛川杜氏は平成仮面ライダーの大ファンです)
ーー盛川杜氏は、自身のことを「地獄杜氏」と名乗り、蔵を移籍しても造り続けるプライベートブランド(シャムロック)を持つなど、稀有な存在だと思えます。
これは、雇われ杜氏としての「生存戦略」です。
年間雇用や社員杜氏と違い、私たちのような雇われ杜氏は不安定な雇用契約なので、使い続けてもらうためには技能・技術もこみで自分自身をブランディングする必要がある。「田中酒造店の盛川」じゃなくって「盛川のいる田中酒造店」ってならなければいけない。
いつか、マイクロブリュワリーの文化が広がって、日本酒でも小さな場所で誰でも酒造りができるようになるかもしれません。そういうときに、杜氏としての「個」を持っていることはとても大事で、必要だと思う。
(「地獄杜氏のキモト」という商品。盛川杜氏の考えが前面に出たお酒です)
ーーちなみに「地獄」というのは?
『仮面ライダーカブト』にですね、『地獄兄弟』というライダーが登場するのですが、それをパクったといいますか、インスパイアされました笑
これ、詳しく話し始めるとすごく長くなりまして…
(悩ましい)
簡単にいうと、エリート街道にいた人が闇堕ちするみたいな設定なんですよ。
私は以前は出身地にある杜氏協会に所属して、そこの杜氏資格選考試験に最短・最年少で合格した、エリートというものではないのですが、少しは未来を嘱望されていた、ようなところもありました。
でも、自分の「好きな味」を優先していったら協会から「わがまますぎる」ってなって、だからいまは所属していないのですが、キャラクターにシンパシーを感じるんですよ。地獄兄弟も、実は光を求めているという設定もあって…
ーーでは地獄杜氏も、いつか光の世界に…?
いや、それはないでしょう笑 地獄兄弟の何が「光」なのかっていうところもありますが、地獄兄弟は光を求め続けますが手には掴まないので笑
杜氏とは、アーティストか、職人か?
(ご本人の顔ラベルと2ショット)
ーー「個」をもつ杜氏。非常に作家性を感じますが、杜氏という存在をどのようにお考えですか?
お酒を自分から「作品」とかはいいたくないですね。あくまでプロダクト。しかし、工業製品ではない…
…自分にとって「杜氏」とは、商売です。
「日銭」を得るための手段です。
杜氏になることが「夢」って少し…。杜氏はあくまで世にあるたくさんの仕事のひとつで、生活の糧を得るための手段。技術を売って対価を得て、生活の糧にしている。そのためには、常に市場に通用する技能・技術を日々更新し続けなければいけません。
昔、所属していた蔵の話になりますが、山田錦(いいお米)を使って50%精米(いいランク)なのに、まあ不味かったんです(笑)。お酒って、いい原料米だからいい酒ができるっていうようなものではありません。
よく、「このお米でこの精米だから安い・高い」なんて聞きますが、そうじゃない。スペックだけで決まるなら、造り手として存在する意味はないので。
だから自分は、酒を「造る」というんですよ。
「醸す」ではなく、明確な着地点を決めて、そこに持っていく。何をどう造るかがはっきりしないと、経営者への設備投資や人事の話だってできません。
目指す酒を造る環境を築くのも杜氏の仕事です。たとえば、うちの生酛は、久保本家酒造の「生酛のどぶ」にはまだまだ敵わない点がある。私は一時期「久保本家酒造」にお世話になり「生酛のどぶ」がうまれた瞬間にも立ち会いました。
久保本家酒造の加藤杜氏は本当に酒造りが上手い、そして巧いです。それをうちで実現するには環境も足りないし、麹に費やす時間ももっとかけなければいけない。それには、蔵人の労務の課題もでてくる。そういったさまざまなことを含めて、酒を「造る」仕事なんです。
酒造りって、与えられた環境、枠の中でしかできない。
5・7・5という定型の中でどう形にするかみたいで、俳句に近いところがあるかもなと思う。その中で作業と仕事の違いというか、立場としては作業員ではなく職人。そしてその職人を越える何かはあると思うんですよね。
クリエイティブとも創造性とも違う、表現、というもの少し違う。条件の中で酒造りができること。それが面白いところです。
ーーそれでは最後に、盛川杜氏がいま造りたいお酒はどんなお酒ですか?
「普通のお酒」です。
自分が毎日「美味しいなぁ」と呑めて、晩酌で味わえる、普通のお酒。
純米にしろ、生酛にしろ××××できちゃうんですよ笑
だからこそ、自分はどんなに厳しくても、きつくても、正直で真っ当な純米酒、そして生酛を造る。
それが呑み手から造り手、杜氏になった自分の考えです。