「プシュ」と「ぶるるる」


母は仕事が嫌いだ。17時半になると笑顔で帰宅し、意気揚々と屋上への階段を登っていく。

「夕日を見んねん」

朝日を愛し、夕日を愛する母は何より仕事を嫌った。その反動に家での生活を愛した。

「プシュすんねん」

「プシュ」とは缶ビールのことである。夕暮れの住宅街にプシュとビールの栓の開く音が微かに漏れ出る。

左手には缶ビール、右手にはフランス語の洋書を抱え、膝の上にはフランス語の辞典が載せられている。椅子を深くリクライニングし、恍惚とした面持ちで夕方を仰ぐ。

母は勉強家だ。彼女のフランス語の辞典は大半の単語に下線が引かれ、ページは大きく湾曲しシミがついていた。

「大学のころからやから、もう38年になるんかな」

40年近く使われた辞書を見たことはないが、母の辞書は40年使った辞書にしては綺麗すぎるのだと思う。

母は仏文科を卒業してもフランス語の勉強をやめなかった。話せなくてもいい、フランス語の本が読みたい、とその一心で多くの洋書を辞書を片手に読破してきた。

「でもな、悲しいやろ、話さへんからな、全然覚えられへんねん」

何か一つのことを長く続けるには一般に情熱や熱意が必要といわれるが、母はおよそそういったものとは無縁な人だった。ただ、フランス語だけは手放してなるものか、という強迫的な執念のもと勉強を続けてきた。執念は計り知れないエネルギーを持つのだ。

母は変わった。
僕がまだ幼く手のかかる子供だったころ、母はいつも慌ただしかった。顔には常に緊張の色が走り、社会や家庭から大きな抑圧を受けていたと思う。今でこそ朝6時には起き11時には床に就く彼女だが、当時は夜中の2時まで煌々と書斎の明かりが灯っていたことをよく覚えている。

生活を楽しむ余裕という物を持ち合わせていなかった母が、悠然と日々を送れるようになったのは、やはり子育てから解放されたことが大きいのだろう。母は生活も性格もなんだか円くなった。そして、数年見ない間に母は生活を楽しむ術にも熟達していた。

母は社会とそりが合わない自分が、社会から抑圧されていると常々感じてきた。労働に従事し己を犠牲にする暗い日々を、何とか明るく生きられないかと模索していた。ある日、私に毎日を楽しく過ごす秘訣を教えてくれた。

「毎日よかったことを一つ探すねん」

彼女にとっての良かったこととは、「駐輪場で自転車の籠に桜の花弁をいっぱい詰めた人を見た」とか、「雀がふくふくとぴょんぴょんしていた」とかだったりする。大抵は季節の訪れを感じるような俳句的な世界観の事柄である。その一つ一つの喜びから母の自然への愛が伝わってくる。

「最近は家に帰ったら、何か新しいことがあるからうれしい」

僕が実家に帰省して園芸という新たな趣味に熱中し始めてから、我が家は緑に包まれるようになった。植物まみれなのだ。父は「もうジャングルやで」と半ば呆れて言うのだが、僕と姉と母はジャングル上等、どんどん増えろという心持なのだ。物の循環をこよなく愛する姉もこればかりは許してくれている。そもそも植物自身が代謝をする有機体だからだろうか。

50種を超える植物があると、毎日何かしらの変化が訪れる。根が出たり、芽が出たり、はたまた花が咲いたり。母はそんな日々の変化に胸を膨らませ今日も帰宅する。

母を煩わせた責任の一端は当然私にあるので、このような言い方は憚られるが、母がこのような生活を送れるようになって良かったと思っている。そして、毎日母に植物を通して喜びを与えられる存在であれることをうれしく思う。僕は植木鉢を抱えて母の帰りを出迎えるようになった。


そんな母が最近、若返っている気がする。


母が若返っている要因はどうやら「新しいことへの挑戦」にあるようなのだ。若返るという表現はふさわしくないかもしれない。性格には急激に老化が遅くなっている。新しいことに次々と挑戦する様は母の年相応の自然な老いすらも忘れさせる。もはや僕のほうが急ピッチで老いているので相対的に母が若返っているように見えるのだ。

挑戦は人を若くする。それは脳科学的にも人生観的にも真だ。

母の挑戦は目を見張るほど多岐にわたる。
ある日突然、中型二輪の免許を取ると宣言した。動機は不明である。3月ごろからコツコツと週末に自動車学校に通う生活を始め、四月の終わりには本当に免許を取得してしまった。平日にもしっかり仕事をしているのに、齢57とは思えない豪胆ぷりだ。あれよあれよという間に話が進み、ご自分のバイクまで購入してしまった。SUZUKIの青い125ccのバイクで、これがまたなかなかに立派だ。
母は「ペケちゃん」と、厳つい見た目とは不釣り合いな名前をつけて可愛がっている。

プロテクター、ヘルメット、専用の荷物ケース、スマホホルダーとバイクアイテムを次々と揃え、週末になるとそそくさとどこかへ出かけていく。最初は近所を、少し足を延ばして5kmほど先の公園、4車線の大通りと少しずつステップアップして公道を走る経験を積んでいるようだ。今日も、木更津の方に行くとかで早朝に家を出た。少し気になって窓から出発前の様子を観察してみることにした。ヘルメットや手袋をつけ終え、徐にバイクにまたがる。またがったはいいがなかなか発進しない。手や足のあたりを一つ一つ順繰りに確認しているようだ。数分後に母はゆっくりと、本当にゆっくりと地面を蹴りながら走り出した。

「ぶるるるる」

遠慮がちで情けないエンジン音が響く。まだ操作に慣れていないのだろうか、それとも年相応の慎重さというものだろうか。心配と安心が入り混じった複雑な気持ちで母の背中を見送った。

中型二輪に飽き足らず、ゴールデンウィークには船舶免許を取りに講習を受けに行った。母がいきなり免許を取ると言い出して
「もし何かあった時にもう一人運転出来たほうがいい」
と理屈をこねた父も付き添って免許を取った。
あまりに唐突に言い出したので僕も姉も随分と仰天した。これに関しても動機は不明だ。前々から海が好きな人だったが、マリンスポーツやレジャーにはあまり興味がなく、どちらかと言うと、海をぼーっと眺めたり、波の音を聞きながら読書をしたりするのが好きなのだ。

なぜボートなのか、なぜこのタイミングなのか詳しい背景は全く見えてこない。船舶免許といっても一級船舶免許だそうで20トン未満のボートなら操れるらしい。20トンって、おい、そんな大きな船どうするつもりだ。
また何かしでかさないが息子としては不安で仕方がないが、今のところ目立った問題はなく、せいぜい雲について詳しくなった程度の影響なのでよしとしよう。
最近では空を指さして
「あれ巻積雲とちゃう?」
と教えてくれたりして、夕焼け空にまた一つ彩りが増している。


母の挑戦はまだまだ続く。
健康のために水泳を始めた。これは我が家全員が姉の一声で本意、不本意かかわらず始めさせられた。姉はとにかく健康にうるさい。健康の大事さは僕も大いに共感できるのだが、それにしても姉は過剰だ。帰省しても姉はいつも僕に健康の話を持ち掛けてくる。栄養バランスがどうとか、水分補給がどうとか、運動習慣がどうとか。それでいて姉の食習慣は餃子10割の不摂生っぷりだからよくわからない。

何やらボランティアも始めたようだった。僕が家族の洗濯物を干していると見慣れない水色と白の市松模様のユニフォームを発見したことがあった。どうやら、東京都の観光ボランティアで、街角に立って困っている外国人観光客に観光案内をするらしい。インバウンド需要が拡大する昨今、なかなかに繁盛を極めているそうだ。今浅草は人の海だ。よくそんな所に自ら飛び込んでいけるなと感心する。もともとはフランス語の勉強のために、会話を実践するためにボランティアに応募したそうだが、枠の問題で英語を使わなけらばならないそうだ。
「英語なんてもうわからへんよ」
と泣き言を言いながらも、読書灯の下で真剣に英語の教科書と格闘していた。

僕は僕で
(フランス語喋れるんだから英語くらい喋れ)
と心の中で暴論を振りかざしていた。
「読めはするけど書けはしない」と謙遜する母だが、実際は意のままに操るレベルに到達していないだけで軽い通訳程度なら可能だ。オンラインでチュニジア人とフランス語の会話練習をしたり、フランス人と数人で直接フランス語で談話するコミュニティに入ったりと、スピーキング練習に関しても余念がない。とことん熱心な勉強家である。その堅実さも行動力も、なぜ僕に遺伝してくれなかったのかと嘆くばかりだ。


母は結局不思議な人なのだ。
日々目まぐるしく挑戦と成長を繰り返すアバンギャルドさを持ちながら、変わらない平凡な日常に喜びを見出し、暮れゆく夕日をしみじみと眺めるような安穏とした一面もあわせ持つ。この二つは本来一つの人格には同居しがたいように思えるのだが、彼女においては両者が無理なく調和し内在しているからすごい。彼女は稀有な二重性をもつ人物だ。

今日もまた、木更津へのツーリングから帰ったかと思うと、フランス語の会話に出かけて行った。

最近の母の口癖はめっきり

「仕事なんかしてる暇ないねん」

になってしまった。

毎日週末になると忙しなく、あっちに行ったりこっちに行ったり。忙しい週末を送ったかと思うと、平日は嘘みたいに平穏なルーティンワークを繰り返す。忙しくしたいのかゆっくりしたいのか、この人はよくわからない。でも、平日、休日に関わらずその日その日だからこそ生まれる喜びや楽しみを享受することは素晴らしいと思うし、少なくとも僕は「プシュ」と「ぶるるる」が交互に聞こえてくる日常をなかなかに気に入っているのだ。










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