未知からの呼び声

札幌の空にはUFOが飛んでいる。これは紛れもない事実である。少年の心中にはその命題だけが大魚に追われる鰯の如く一群をなして回遊していた。Unidentified Flying Object,略してUFOは読んで字のごとく、未確認飛行物体と訳される一種の都市伝説である。彼らはいつも至極平穏な日常が営まれる市井の遥か上空に前触れもなく現れては、夜空を怪しげな光の線を描き、終いには祭りの後にも似た静かな高揚感だけを残して颯爽と去っていくのだ。UFOなんてものを大真面目に信奉し、UFOを見たなどと吹聴しようものならば、巷の良識人の嘲笑を禁じ得ないのが常ではあるが、姿形からその立居振る舞いまで事細かにつづられる目撃談が鼻息を荒くして語られることもまた稀ではないのも事実だ。UFOは否定も肯定もしきれないもので、所謂オカルトの王道といえるだろう。存在不確性により担保された蠱惑的な魅力を有する、クラスの窓際最後部の座席で寡黙に推理小説に読みふけるなんとも憎めないアイツ的立ち位置をわがものとしているのだ。


さて、余談はさておき件の札幌上空のUFOの話に戻ろうではないか。困ったことに少年は確かにその両の目の網膜に、かの下手人のご尊顔をしかと焼き付けたというわけではなかった。少年が目にしたものは雲間に横切る光の軌跡、埃舞う屋根裏に懐中電灯を照らした時に現れるような朧げな光の幕のみであった。しかしながら、その心許ないUFOの痕跡は痕跡らしからぬ俊敏な所作で雲上を縦横無尽に飛び回り少年の目を翻弄するのであった。加えてそのUFOの残滓は一度札幌の夜空を壇上に見立て華麗に舞ったかと思うと、約五十秒後円形に切り取られた曇り空の視界の端から急速に帰還するのだった。始終眺め切ろうと試みようものなら、人体構想上最重要の一角である頸の骨が逆直角に曲がり切ってしまうほどに、かのUFOは夜空を切り裂く流星の如く、不敵な笑みを浮かべる惑星の如く、断続的かつ不規則的に夜通し狂喜乱舞するようなのである。先述のとおりUFOが人々をひきつけ続ける理由にその存在の覚束なさ、一瞬の閃光に見る美しさ、すなわち瞬間的芸術、即時的感動にあったはずなのだ。しかしどうだろう、こいつときたら一晩中はしたなくも生き永らえ続けているではないか。それどころかかのUFOの一連の動向は、当然の如く毎夜寝静まった札幌の町の上で繰り広げられていたのだ。これには少年も驚愕した。儚さも美しさもあったものではない。多様化の時代であるとはいえ随分と自己主張の激しいUFOもいたものだ。


UFO発見から一週間が経過したその夜もまた少年はUFOの光の軌跡を目で追いながら、買いだめた玉ねぎを筆頭とした食料品の数々の重みを腕で感じていた。我こそが北の都札幌の夜空を照らす灯台であるといわんばかりのその堂々とした面持ちを、少年はもはや驚くでもなく遠方より訪れた友人に必ず案内するような札幌の名物の一つだと解釈していた。言葉を換えれば、古い友人に紹介したくなる北の大地で巡り合った新たな友人である。彼にとってUFOは奇妙さの欠片もない日常の構成員だった。「今日も元気でやってるな」まだあどけない少年は友に語りかけた。そうだUFO、UFOと呼ぶのも味気ないから名前を付けてはどうだろう。友人をニンゲン、ニンゲンと呼ぶ者はいないだろう。これは必要な作業ではないか。少年はそんなことを考え始める始末であった。しかしながら、当然のことではあるがどんな愚行を演じようがUFOは依然として一介の乗り物に過ぎない。そしてこれまた当然のことながら、乗り物とは乗客がいなければ存在しえない、意味を持ちえない。たとえUFOが無人で操作しうる機体であろうとも、それを生み出す高度知的生命体の存在を示唆する事実は変わらない。少年のUFOの面影のみを表面的に追いかけ、その奥の核心に迫りえない未熟な好奇心は少年の純真の垣間見えるところであろう。結局、肝心の名前はUnlimited,Sparkling,Object,無際限閃光物体、通称USOに決定した。少年はこの稚拙な名称をひどく気に入っていた。USO、ローマ字読みをするならばウソ。UFOに真実味を議論するのもまた異様な話だが、これ以上ないほど明確に存在を主張するUFOにウソ(嘘)と名付けるのはなんとも複雑にこんがらがっていて素敵ではないか。少年はこの名前がUSOの常軌を逸した魅力に忠実に即していると感じたのだ。


その晩、少年は夢を見た。その夢はこんな夢だった。少年が床に臥せているところに、一人の青年が乳白色の液体の入ったグラスを片手に佇んでいるのであった。青年は少年が順当に五年も月日を経れば寸分の狂いもなく一致するような外見をしており、夢らしく非現実的な解釈をするならば、まるで未来の自分が過去の自分に会いに来たような状態であった。

「君UFOにであったんだってね」

青年が唐突に話しかけてきた。応答しようとしたが、なぜか声が出なかった。

「答えなくていいよ。君の言いたいことは全てわかっている。わかっていないのは君だけさ」

なるほど。いわゆるテレパシーというものか、さすが夢の中だ。話が早い。また同時に、少年は明晰夢を見ていることに気づくのだ。夢の中にいるのに、これが夢だとわかっている。

「自己紹介がまだだったね。僕は君のいう…そうUSOの乗組員。所謂宇宙人ということになるね」

未来の僕ではないのか。

「未来の君だって?そんなSFみたいな都合のいい話があるわけないだろ。いいかい。君のDNAをちょちょいと調べれば君の未来の姿だろうが過去の姿だろうがシミュレーションするなんて朝飯前さ。未来の自分やなんやと寝ぼけるのはたいがいにしてくれ。タイムマシンなんてものは存在しないんだ。絵空事さ」

夢の中の宇宙人がSFを否定するなんて自己矛盾にも限度があると少年は反駁したかったが、当然の如く何も言い返すことはできなかった。第一寝ているのだから寝言は言ってもいいだろう。

「あまり驚いた様子はないね。」

なにぶん夢のなかだからな。驚く必要もあるまい。しかし、宇宙人の夢をみるとは。ずっと気にかかっていることが夢に出てくるという話は本当だったのだな。

「さて、単刀直入に言おう。極めて優秀なる貴殿は選ばれたのだよ、われわれの希望の星に。」

そういうと青年はグラスを嘗め回すように眺めては意味ありげに傾けて見せるのであった。

「君は知らないだろうがね。ニンゲンの繁殖力とは本来凄まじいものがあるのだ、それはこの惑星の他のどの生命をも超越している。しかし、高すぎる繁殖能力は急激な個体数の増加を招く。これは必然的に惑星の重量制限を超え積載過多を引き起こす。こうした環境の容量を超えて一種が繁栄すると、決まって疫病が流行し、食糧不足にみまうといった制裁が加わるのが自然の掟というものだ。これを密度効果と呼ぶ。」

随分と饒舌な宇宙人だ。

「一般の生物ならば密度効果をうけて個体数はある一定の数量に落ち着くものだ。しかし狡猾で貪欲なる君たちニンゲンの祖たる遺伝子、『種の意思』とでも呼ぶべきであろうか、そいつはニンゲンの過剰な繁殖行為を社会という足かせを創造することによって抑制し、繁殖力を適度な強さに設定し、絶滅しない程度に種としての生存能力を保持したまま、世代交代及び個体増加を緩慢な状態に保存した。『種の意思』は長い年月をかけて疫病や食糧不足に耐えうる遺伝子を、密度効果に対する適応力をヒトゲノムに蓄積しようと目論んだわけだ」

矢雨のごとくまくし立てられる難解な単語の数々が少年の瞼を次第に重たくしていくのだった。ここは夢の中だというのに。そんな不思議な感覚に抗えない少年を顧みず、青年は続けた。

「しかし、ニンゲンの『種の意思』にも誤算があった。それは立派な社会を形成させるためにニンゲンの脳を大きく設計してしまったことだ。すこしばかり大きすぎたのだ。ニンゲンはその巨大な脳に担保された高度な知能を礎に異常なほどに急速な文明の発展を成し遂げた。これにより、ニンゲンの衣食住をはじめとする生活水準は飛躍的に上昇し、伴うようにして個体数も指数関数的に上昇した。これにより、密度効果に対抗する遺伝子が蓄積する以前のあまりに早熟な段階でニンゲンの人口は臨界点まで到達してしまったのだ。それが今の君たちというわけだ。既にニンゲンに対する密度効果は始まっているんだ、『種の意思』の敗北だよ」

この難解極まる話が自分が選ばれたことと一体どう関係するのかわからなかった。

「実をいうと、我が宇宙船内でも急激な人口爆発による食糧不足に悩まされているのだ。特にタンパク質資源には苦労していてね。私たちの所有する家畜は非常に繁殖力が低いのだ。そこで新たな食糧を確保すべく、近隣の惑星であるこの地球を探索した結果、異様なほどに高い繁殖力を持つニンゲンという生物が最もふさわしいだろうということになった。しかしだ、ニンゲンをそのまま採取し、家畜化するというのが手っ取り早いのだが自由意志生物愛護団体がそれを許してはくれないのだよ。ジンケンがどうのとか毎日のように食糧生物課に抗議しに押しかけてくるのだ。結局、ニンゲンの中でも特に繁殖能力の優秀なオスとメスからそれぞれ精子と卵子を抽出し、それらの繁殖能力を制御する遺伝子を我々の有する家畜に移植するということで決定した。」

青年はグラスの中身の乳白色の液体を試験用の薬品瓶に注ぎ込んだ。瓶に張られたラベルの文字は判読できなかった。知らない言語で書かれていたからなのか、はたまた少年の目が捉える世界が次第に鮮明さを失っていったからなのか。

「こういうのを君たちの言葉ではアブダクションっていうんだっけ。なんにせよ、ご協力感謝するよ」

そういうと青年の姿は、例えば夜道で懐中電灯の光を調節した時のように徐々に薄く大きく膜状になっていった。追うように、少年の意識もまた希薄になり彼の横たわる寝具と混ざり合うかのごとくその輪郭を曖昧にするのだった。ツンと鼻に刺す魚介類特有のにおいを残して。


林立するビルを照らす煌々とした西日が、カーテンのない窓を通して少年を駆り立てるので、少年は仕方なく瞼をゆっくりと持ち上げた。身に覚えのない倦怠感が彼を引き戻そうとするのになんとか抗い壁掛けの時計へと首を向ける。長針は5を短針は4と5の間を取り持ち、その姿は少年に「怠惰」という二文字の現実を突き付けていた。少年は再び脳天を枕に預け、天井越しに夕焼けの空を眺めるのだった。奇体な夢を見た気がする。枕元に立った自分?いや、宇宙人が何か難解な呪文を唱える夢。明晰夢だったはずなのによく覚えていない、妙なところで夢らしく記憶が不明瞭だった。あれは本当に夢だったのだろうか。彼は夢を思い出す意味も兼ねて古い友人の辻村に電話することにした。辻村は夢コレクターを自称する一風変わった人間で、古今東西津々浦々の特異な夢を集めては小説のネタにしているような奴だった。辻村は電話に出るや否や息を切らして尋ねるのだった。

「面白い夢でも見たか」

少年は辻村に毎夜の如く現れるUSOのこと、昨晩の夢の宇宙人のことを話した。印象に強烈なUSOの話を詳細に、夢の話はうろ覚えであったため、宇宙人が枕元で意味不明な話をしていったと伝えた。

「なるほどなあ、UFOをみたとねえ。なるほどねえ」

少年は辻村の少々小ばかにしたような言い草が鼻についた。

「そうだなあ。もしかして君がそのUSOとやらを見たのは曇りの日ばかりではなかったかな?」

言われてみればそうだ。USOの朧な光は常に雲間を切り裂くようにして闊歩していたではないか。

「やはりな。君の見たものはおそらくチンダル現象というものだよ。コロイド溶液に光を通すと光がコロイド粒子に乱反射して光が膜状の光線になるという現象だ。そう、牛乳にライトを照らした時のアレだ。理科の授業で習っただろう?雲とはいわば大気中に浮かぶ微小な水滴の巨大な集合体。チンダルと同様の現象が起こっても不思議ではない。」

少年の言葉が喉を震わそうとするのを辻村がすかさず遮った。

「君は大都会札幌に住んでいるのだ。夜中に高層ビルやら高級ホテルやらを照らすサーチライトのような強い光が雲を貫き君にUFOを映し出しても不思議ではなかろう?」

少年は夜空を端から端まで照らしまわるサーチライトが存在するのか疑問だったが、辻村の言うこともまたもっともだった。何より科学的だったし、空を暴れまわるUFOより強力なライトのほうがずっと現実的だった。理にかなっていたのだ。

「なあに、気を落とすことはない、UFOを否定しようというわけではないのだ。そもそも逆なのだよ。妖怪やオカルトの類がはじめから存在するのではない。人がそれらを生み出すのだ」

水彩画をぼかして描くがごとく、わざと論理を曖昧にして不敵な小説家を気取るかのような辻村の振る舞いがわずかではあるが少年の神経を逆なでた。

「太古の昔、人々は雷鳴を雷神の太古の音とし、稲妻を天翔ける竜に見立てた。人々はこういった人智を超えた存在を時には妖怪に、時には神として崇め奉り、畏怖の対象とした。しかし現在はどうだ、科学が発達し雷の仕組みは完全に解明され、雷が生まれ地に落ちるまでの所作に逐一、名前が与えられた。もはや人々が雷を怪異と見まごうことはない。つまり、伝説とは昔の人々の想像力の化身であり、同時にただの自然現象といえるわけだ」


「全ては解釈の問題なのだ。巨大すぎる自然の力を解釈する手段が科学であったか怪異であったかの違いなのだよ。だから君のみたUSOもチンダル現象ともいえるし、UFOとも言える。良かったじゃないか、『Unidentified』というUFOの定義が体を表す瞬間だ。もっとも、そう考えるのはこの大きな札幌でも君くらいなものだろうけどね」

少年は自身の愛したUSOという友人の存在が彼の心中で次第に影を弱めていくのをただ傍観することしかできなかった。皮肉で陰鬱な辻村に対する反骨心と宇宙人などという夢見を愚かにも辻村に話してしまった自分自身への落胆との葛藤が、USOをかけた代理戦争の如く展開されていた。それは少年に絶大な影響を与えていたUSOがせめぎあう両者のうちの一陣営に成り下がってしまったことを物語っていた。

「私もオカルトは好きでね。そういうネタはよく小説にするのだが、しかし君の話は…そう、求心力に欠けるね。僕ら想像世界の旅人を魅入らせる「未知」という魔物が君の怪異譚には介在していないのだよ。そもそもUFOとは…」

彼は断りもなく忌まわしき辻村との会話を絶った。言葉にならない友人としてのUSOという絶対的存在は、ただの一つの解釈として相対化された。USOは言葉通り近くて遠い存在になってしまった。


それからも札幌の空にUSOは飛び続けた。しかし、少年が奮起してそれをUSOとして観測しようと試みるが、無慈悲にも少年にはライトの光が愚直に回転するだけの現象であり、無情にも肩を落とさせるだけだった。光の幕は町の喧騒を尻目に、これでもかとはしゃぎまわるのだが、少年はその視界に再びUSOを見ることはなかった。少年の空からUSOは立ち去ったのだ。辻村によって突き動かされた少年の純朴極まりない心の揺らぎの振幅はそれほどまでに大きかった。その少年の変容が、彼の部屋の隅に打ち捨てられた底の白く乾いたグラスを見失わせた。ただの飲み残しのグラスと思い込ませたのも無理はないだろう。件の宇宙人は確かな実体を以て、現実に少年の眼前に現れ、故意か不本意か空のガラスコップという不動の存在証明を少年に贈与していたのだ。読者諸君も驚いているだろうからもう一度言おうではないか。札幌の空にはUFOが飛んでいる。これは紛れもない事実である。


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