誰でも、どこにでも

まえがき
人体侵襲式汎用通信演算装置ブレイン(https://note.com/00a3af_asagi/n/n0f36a7d7731e) を先に読んでいただけると、話がスッと入ると思います

------以下本編


ピピピピピピピ。
――もう、少し。
ピピピピピピピ。
――あと、5分。
ピピピピピピピ。
――。
ピピピピピピピ。
――。
ピピピ――。

*****

『ユウジ様。おはようございます。もう朝の7時半です。そろそろ起きられませんと、ジョブが品切れしてしまいますよ』
「……はあ。」

*****

斎藤佑士。24歳。男。趣味はバトルの鑑賞。誰かと一緒に見たりはしない。自分で戦う気もない。というか体を動かすのは苦手だ。いわゆるところの人生やり過ごし系。あと、言うまでもないかな。職業――ジョブ・ドリフターズ。

——さて、今日は何をしようかな。
起床。身支度。食事。欠伸。一通りの準備を終えた朝八時。デスクの椅子に座り、ボーっと、ブレインでニュースを見る。
古い人から言わせれば、仕事をいくらでも選べるというのはぜいたくな事らしいが、これはこれで悩みばかりが増えるようで困りものだ。特にぼくのようなジョブ・ドリフターズからしてみれば、どういった系統の仕事をするか、それを考えるだけで日が暮れかねない。
——とは言え、本当にこのためだけに丸一日使うわけにもいくまい。……そうだな、最近は喫茶店とか本屋とかそんなのばかりだったし、たまには外の仕事でもしたいな。
大まかな方向性だけを決め、うなじのスイッチを入れる。ゆっくりと背筋が伸び、姿勢が作られていく。最も長時間維持できる姿勢らしいが、毎度筋肉痛になるのはぼくだけだろうか。
姿勢を確定すると、外界の音と映像が遮断され、OSの起動音と、コンシェルジュの声が脳内にやさしく響き渡る。
『おはようございます、ユウジ様。ただいま、ISEKAI OSを起動中です。少々お待ちください……。OSが正常に起動しました。ホームワールドへ接続いたします』
徐々に視界が開け、ホームワールドが表示される。
——気疲れするかと思って自宅に近い内装にしていたけどこれも飽きてきたな。そろそろ模様替えするか。……温泉旅館風とか良いかな。
「ま、今はいいか。フライデー、ジョブを探しているんだ。何か良いのはないかな」
『はい。先日お受けになられていた喫茶店、ザ・カフェー・オオムラ様が本日も募集を出しておられます』
フライデーというのはぼくがコンシェルジュに設定した名前だ。最初は何かのキャラクターの名前でも付けようかと思ったけど、ちょっとオタクっぽかったのでやめた。まあ、フライデーもキャラクターと言えばキャラクターだが……。
「いや、今日は外で働きたいな。できれば雄大な景色を拝める……。そうだな、どこかファンタジー系のワールドでの観光案内なんかはないかな」
『お探しいたします』
そう言ってフライデーは手元のバインダーを開いてパラパラとめくり始める。しかしそれもつかの間。時間にしておよそ5秒後、フライデーは手を止め、バインダーを開いてこちらへ向ける。
『お待たせいたしました。残念ながら、ファンタジー世界での観光案内はすべて既に定員に達しているようです。類似のジョブとしてはこちらのようなものがございます』
バインダーに表示されていたのは、世界地図と募集要項のリスト。どうやら、現実世界の観光地の案内人の募集らしい。
「リアルか……ファンタジーじゃなくて良いから、他のワールドのは無い?」
『承知いたしました。再検索いたします。——申し訳ありません、ユウジ様。屋外で観光案内を行うジョブは他にはございません。すべて、既に定員に達してしまったようです』
「え、嘘だろ!? そんなに人気なのか……」
知らなかった。普段、自分が屋内のジョブばかり探しているせいだ。そうか、世の中にはそんなにも外に出たい人が多いのか……。勿論、ぼくだって誘われれば遊びに行ったりはするが、仕事をするのにわざわざ外は選ばない。誰でもそうだと思っていたのだが……どうやらぼくの勝手な思い込みだったみたいだ。
「分かった、じゃあこれをやろうか」
『承知いたしました。では地域をお選びください』
「うーん、じゃあここにしようかな。何か名前聞いたことあるし」
フライデーのバインダーに指を立てる。あまり気乗りはしないが、仕方ない。今から室内のジョブを探しても、同じような結果になるのは明白だった。

*****

「いやー、助かるよ。君みたいに若い子が来てくれると。と言ってもお客さんも50代以上の方ばかりだけどね。ほら、僕なんかはブレインって言うの? ブレイン・ヴァーチャル・リアリティだっけ。ハハハ、それくらい知ってるよ。でもあんまり使えないからさ。そうそう、君この辺は来たことある? ないかー。ま、大仏様もブレインで見れちゃう時代だからね。ともかく今日はよろしくね。マニュアルはインストール出来てる? うん、良かった。何かあったら電話してくれれば対応するから。じゃあね」
「はあ……」
やたらと早口な職員さんに圧倒されつつも何とか研修を終え、市役所を出る。
「来てしまった。古都鎌倉」
今回ぼくが選んだのは、『雄大な歴史を語る重要なお仕事です。古都・鎌倉で観光案内!』というジョブだった。調べたところ、どうやらあれだけ人気だった屋外ジョブの中では例外的ではあるが、現実世界の観光案内は人気が無いらしい。『面白みがない』と。
ぼくもそう思う。
現実の町なんて見ていても何も面白くないし、まして鎌倉なんて名所と呼ばれるような場所は大体VR化されていて、ブレインを付けていれば家から一歩も出ずとも現実さながらの体験ができてしまう。他にいくらでも仕事がある中で、こういった仕事を好き好んで選ぶ人は少ないだろう。
——でも、それはそれとしてこれはすごいな。
そんな中、ぼくがひとつだけ感動したのはこのAR案内システムだ。こういったものがあることそれ自体は知っていたが、利用したこともしようと思ったこともないし、仕組みのことなんてまったく気にしたことがなかった。
——ぼくはこのマイクロドローンを通して現地を見る。観光客はマイクロドローンの位置に投影されたARのぼくを見る。ブレインを付けてさえいればお互いにお互いが実在している感覚を得られるってわけか。
新しい体験というのはどんなものでも楽しい。
「まあ、面白い仕組み触らせてもらった分くらいは頑張るか」

*****

「……全然客来ないな」
時刻は正午を回り、再び市役所。ぼくは、暇を持て余していた。
「ごめんねー。マニュアルには書いてなかったね、そういえば。ウチはね、観光案内は予約と飛び込みで分けて回しててね。君たちジョブ・ワーカーさんには飛び込みのお客さんをお願いしてるんだけど、基本ほとんどのお客さんは事前予約をしていただけていてね。ある時はあるんだけど、ない時はないんだよね。君たちのお仕事! あ、でも安心してね。お給料は時給分ちゃんとお支払いするから」
「そ、それはどうも……」
相変わらずの早口だが、詰まるところ今日は『ない時』と、そういう事なのだろう。
——どうりでこの人気のなさで回るわけだ。この仕事。ちょっと試したかったんだけどな。このシステム。
そうは言っても、仕事が無いのでは仕方が無い。
「ちょっと外歩いてきても良いですか? お客さんいるかもですし」
「大丈夫だよ! 困っている人がいたら声かけてあげて。何かあれば電話してね!」
「了解です」
はて、市役所とはこんなにも緩い職場であったか。

*****

――しかし、来る前は全然興味なかったけど、来てみたら意外と面白い街だな。
市役所から駅前までの短い距離を歩いただけだが、見えてくるのは思いのほか新しい――といっても100年以上前の雰囲気ではあるが――街並み。同じく古都と呼ばれるような京都なんかと比べると、異なった趣を感じる。マニュアルによれば鎌倉三大洋館なるものもあるようで、もし今日お客が来なければ今度時間をとって自分で見に行こうかと思うほどだ。
――いつでも来れることも分かったしな。
さて、駅前まで来てみると、思いの外と言うべきか、あるいは予想通りというべきか、あ、まり混みあっているという様子はない。人がいないではないが、どうやらほとんどは地元の人らしい。駅に駆けこむ人、コンビニに入る人、手を振りつつ車に駆けよる人。様々な人がいるが、どうにも観光客という様子ではない。
――時間も時間だし、実際そこまで期待していたわけじゃないが、いざ目の当たりにしてみるとちょっと寂しいものがあるな。とりあえず反対側も見に行ってみるか。
そう思い歩き出したちょうどその時。
「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが」
背後から声をかけられた。
「え、あ、はい!」
とっさに振り返ると、そこには人のよさそうな老紳士と、奥方と思しき女性がにこやかに立っていた。
仕立ての良いスーツに身を包んだ男性は、同じく質のよさそうな帽子を手に持ち、言葉を続ける。
「妻と二人で旅行に来ていましてね。間違っていたら申し訳ないのですが、あなたは市の観光案内の方でしょう。良ければ案内お願いできませんか」

*****

「はい、はい。マニュアル……はい、大丈夫です。はい。了解です。――すみません、お待たせしました」
古都鎌倉。さわやかな風の吹く昼下がり。例の早口上司との通話を終え、老婦人へと向き直る。
「まずは銭洗弁財天へ行きましょう。ここから歩いて15分ほどの場所ですよ」

*****

銭洗弁天にはじまり、老夫婦とは鎌倉の名所を余すことなく歩き回った。お二人は名前を伊能さんと言って、実に優しい人たちだった。ぼく自身、初めて見るもの、以前の自分の知識にはなかったものが多く、一々バカみたいに驚いたりするのを責めるでもなく、一緒に感動してくれる人と旅をするのは楽しいと、そう言ってくれた。
「さあお二人とも、今日はここが最後ですよ!」
そんな二人と最後に訪れたのは、鎌倉駅から五駅離れた稲村ケ崎という町にある公園だった。海に向かって真っすぐに切り立った、小さな崖の上にある、小さな休憩所があるばかりの素朴な公園だ。
「あれこそが、季節によっては多くのカメラマンや風景画家がこぞってその絵に、写真に収めにやってくると名高い景色です。稲村ケ崎まで来て、これを拝めずには帰れませんよ」
すらすらと言葉が浮かぶ。ブレインが生み出してくれた、素敵な紹介文を読み上げるのもこれで最後だと思うと、どこか寂しい。
「どうですか、稲村ケ崎の夕日、は」
二人の顔が見たくて、ぼくは振り返った。今日一日色々見てきたが、まさか本当に『感動』するとは思わなかった。関心はするし、驚きもあったが、心を動かされることがあるとは思わなかった。
視界いっぱいに、朱い光があった。海も、町も、何もかもが朱く染まり、富士山だけが黒く悠然とそびえ立っていた。
「これは本当に」
「本当に……。斎藤さん良いものを見せていただいて、本当にありがとうございます」
伊能さん夫婦が深々と頭を下げる。
「いえそんな、ぼくは本当に、ただブレインに、マニュアルの通りに……」
こういう時何を言ったら良いのだろう。ブレインに対人会話マニュアルでもインストールしておくんだった。
「いいえ、私たちをここへ導いてくれたのは誰でもない、あなたです。実は、私は癌でね、医者にももう先はあまり長くないと言われています。最後に妻と思い出の場所を巡ろうと思って、ブレインを使ってここへ来たのですが――この夕日の事は知らなかった。何より、あなたと一緒に歩けたからこそ、今日一日は楽しい一日にできたのです」
「そんな、いえ……」
ぼくが言葉に詰まっていると、伊能さんは優しく笑い、静かに続けた。
「本当にありがとう。斎藤さん。また是非、多くの人にこの町の素晴らしさを伝えてあげてください」
そう言うと、伊能さんの姿がふっと、光の粒になって消えて行ってしまう。
「えっ、伊能さん!?」
慌てて辺りを見渡すが、二人の姿は無い。
「え、あ、そうか……」
そこでやっと気づく。
伊能さんは癌を患っていると言っていた。ぼくもまったく気にしていなかったが、年齢もある。そんな人が、鎌倉から稲村ケ崎まで起伏の激しい道を歩いてこれるわけがない。
――そうか二人とも、ARだったんだ。
多分、ぼくが今家からドローン経由で二人を案内していたように、二人も病院や家から、ドローンを通じて観光をしていたんだ。
――そうか、二人は、この景色を見に来たんだ。
伊能さんのいた場所からは、本当に夕日が美しく見えた。ぼくはただ、夕日が山の影に落ちていくのを、その姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。

*****

「おはようございまーす!」
朝6 時。僕からしてみればアホみたいな早朝。僕は鎌倉の地に、生身で来
ていた。

「おはよう齊藤くん。今日はAR じゃないんだっけ」
「ええ、たまには良いと思って。何より今日は夕日が綺麗に見えそうじゃな
いですか」 
あとがき

人々が『ブレイン』という皮下侵襲式の情報端末を体に埋め込むのが当たり前になり、VRやARが現実と高度に連動するようになった時代のお話でした。
ブレインは、ARやVRといった現実性拡張だけではなく、脳と連携することにより脳の機能も大幅に拡張することができます。今作では、その機能をアルバイトの補助(マニュアルを脳にインストールすることで、誰でも初日から熟練の仕事人のような仕事ができるようになる)として使っています。
これにより人はいつでも、誰でも、どんな仕事でもできるようになります。このように定職を定めずに、色々な仕事を転々とする人を『ジョブ・ドリフターズ』と呼ばれています。
話のはじめ、主人公も自信をジョブ・ドリフターズと名乗っていますが、『人生やり過ごし系』などとグルーピングされる程度には彼と同じような青年が多そうです。あまりに多すぎる選択肢は、逆に人から選択能力を削ぐのかもしれません。(この辺は語りだすと長そうなので別の機会に)

今回の話で書きたかったのは、ARやVRの発展によって人は様々な可能性を見つめなおすことができるのではないか――というところです。
現代を生きる我々は、まだ多くを知るには時間が足りません。私自身の経験に立ってみても、バイトの仕事1つ覚えるのに、数か月。ある程度習熟しようと思えば数年単位での訓練(実務経験)が必要になります。ひどい場合は、近所にその仕事の体験場・募集が無いというだけで訓練すら受けれません。これでは、とても『自分にある可能性をすべて試す』なんてことはできません。
しかし、もっと技術が進み、人が場所や訓練期間という制約から解放されれば、人は自分に合った仕事(未来)をいくらでも試し、吟味することができるようになります。
勿論、可能性があればあるだけ良いというわけでもないとは作中でも書いた通りですが、私個人としては大きなリスクを伴わずに様々な職種を体験できるというのは、非常に魅力的に思います。

いつか将来、そういう未来があるとしたら、面白そうじゃありませんか。


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