人体侵襲式汎用通信演算装置ブレイン



20XX年、VRおよび、ロボティクスの進化により人類は身体的差異から解放された。あらゆる人間があらゆる肉体に『憑依』することで、元の肉体の如何にかかわらず生きることが可能になった。
そして21XX年、我々は脳力的差異からも解放されることになる。そう、汎用通信演算デバイス『ブレイン』の台頭である。
ブレインとは、私たちの首筋、丁度うなじあたりに埋め込まれた小さなチップの、通称であり総称である。その機能の幅は広く、通信・演算(注・演算はチップそのものではなく、チップが外部サーバーに演算を依頼し、その結果だけを受け取っているようだ)・人体の感覚の拡張・調整・代替がある。今回書くのは、それらの機能を統合した先にある『思考の代替』についてだ。


思考の代替とは何か。
通常、我々は自身の脳を使い、様々なことを考えている。今は何時か。ここはどこか。自分は誰か。今触れている物体は何か。危険なものか。食事か。など。思考の幅は多岐にわたるが、実際のところ我々の脳はそこまで性能が良いとは言い難い。特に記憶能力や演算能力において、我々の脳はコンピューターに敗北を喫して久しい。
そんな我々の脆弱な脳に頼るのをやめ、ブレインに色々考えてもらおう、というのがこの『思考の代替』の実態だ。
言葉だけで聞くと何か空恐ろしいもののように聞こえるかもしれないが、特に怖がることは無い。本書の読者であればブレインは当然に装着しているものかと思われるが、そうであればこの思考の代替は、諸君らの日常に既に行われている。
例えば、冷蔵庫で腐らせてしまった食べ物にそうとは知らず手を伸ばし、咄嗟に危ないと思った経験はないだろうか。
もしあったとすれば、それがブレインによる思考の代替である。
ブレインは常に我々の五感情報を読み取り、更に身体改造を行っていればその機器とも連携し、我々の知覚や思考をモニタリングしている。その情報をブレインは演算し、もし危険などがあれば我々の脳が認識しやすい形(思考パターン)に情報を変換し、我々の脳に届けているのだ。
簡単にいえば、脳の演算能力を飛躍的に上げられるようにする技術と言って差し支えないだろう。
さて、この技術が学術関係で強力な効果を発揮したのは言わずもがなではあるが、人々の大方の予想に反し、ブレインが真に力を発揮したのは芸術分野だった。一時期は人工知能などに取り替わられつつあったこの分野だが、ブレインの発展により人工知能の得意だった『収集』『解析』『再構築』という処理を人間が人工知能と同等か、発想力によってそれ以上に行えるようになり、人間は創作という分野において完全に覇権を取り戻したのだ。

(なお、読者諸氏においては戦争分野におけるブレインの活用はどうだったのかと、そこを語らずして何がブレインの歴史かと憤るだろうが、それについては本書では取り扱わない物としたい。というのも、かの戦争――公式には『衝突』か――でブレインがその巧妙化・激化に強く貢献したことはあえて語るまでもない事実であり、私がにわか知識でこれを語るよりは、関係者による述懐を読んでいただきたいからだ。特に『“脳”戦争(ソレ・ダーレ・著、非実在社・刊)』はその独白から分析の詳細さなど、非常に良い文献であったことを添えておく)

そして今なお、このブレイン技術は発展を続けている。
最近、筆者が面白いと思ったのは、業務マニュアルのブレインパッケージ化(ブレインパッケージ=指定の思考パターン・知覚パターンに基づき、ブレインが自動で特定の演算を実行する処理『アンコンシャス・コンピューティング・システム』の動作を定義するデータ)だ。
これの非常に秀逸なところは、業務における個人の資質の差異が完全に撤廃され、属人性を限りなく低くすることができる点だ。
では実際にどういった場面でこれは役立つのだろうか。
例えばコンビニだ。ブレインパッケージは、先ほど説明した通り「特定の思考パターン、もしくは知覚パターン」に対し「特定の処理」を紐づける。
コンビニであれば「荷物を持った客がレジ前にいる」という光景を知覚したとき「レジへ向かい会計業務をしなければならない」という思考パターンを返答する、という風にだ。
これくらいであればしらふでも問題ない、どころかバイト初日でも問題にならないかもしれない。しかし、「同時に二人の客が来たら」、「店内で万引きが発生したら」「会計中に配送機が動き出したら」などはどうだろう。コンビニで働くのであれば、様々な状況に対応する必要がある。
今までであればこれらは事前に教育期間を設け、研修や訓練を行うなどして店員が自身でこれらの状況に対する対応方法を覚えておく必要があったが、マニュアルをブレインパッケージ化しておけばその必要はない。
事前に店舗が用意したマニュアルを、業務を行う人のブレインにインストールするだけで、あとはブレインが状況に応じて自動で演算を行い、利用者に最適解を教えてくれる。
今までのデバイスでも似たようなことはできたが、ブレインを使う最大のメリットは、この演算結果を思考パターンとして返答させることで、利用者はあたかも自分の頭で判断したことかのように自然にその答えを得ることができる点だ。つまり、あらゆる人があらゆる職場で、その職に就いたその瞬間から、最高のパフォーマンスで業務にあたることができるのだ。
今はまだテスト的に一部の企業、一部の店舗で使われているのみだが、すぐに多くの現場で取り入れられることだろう。何せ、この手法を使えば、企業は新人教育という悪夢から遂に解放されることになり、また働き手も未経験の仕事であろうと即日、就業できるようになる。
実際、近頃、若者の間では『ジョブ・ワーカー』という概念が作られつつあるようだ。『ジョブ』は企業による仕事の募集を指し、『ワーカー』はそのまま自分たちを指すようだ。つまり企業の一度の募集に対し一度の労働力を提供する者、という意味だ。彼らは企業の募集に対し一度、すなわちたった一日のみ働きに行き、翌日以降はまた別の仕事を探す、という時代が来ることを確信しているのだ。筆者も、信じる気持ちは一緒である。

また話は変わるが、ブレインの『思考の代替』は、エンタメ分野にも新しい旋風を巻き起こしているようだ。
それが『転生』だ。
こちらはブレイン用OSの中でも特にエンタメ分野に特化した(本書の読者ならおなじみだろうか)ISEKAI OSによって現在実証実験的に実装されている機能で、思考の外部演算化により、本来なら本人には考えもつかないようなことを考え出したり、知らないことを知れたり、根本的な思考パターン自体を一時的に置き換えたり……といった、まさに異世界転生で新たな能力を得た勇者のように、生まれ変わったかのように、新たな自分になれるというもののようだ。
プレスリリースの文言は以下の通りだ。
『絶世の美女に、筋骨隆々な戦士に、君たちはもうなった! しかし勇者や賢者に、君は本当になれただろうか? どんなに姿かたちを変えても、勇敢さや知識や思考能力は一朝一夕に身につくものではない。
しかし、そんなふがいない自分になく日々ももう終わりだ。この『転生』システムを使えば誰でも真の「理想の自分」になれる!』


ブレインは以前の人間の思考から切り離されたデバイスと異なり、人間の思考と高度に連携することができる唯一のデバイスだ。世間では危険論も声高に語られ、勿論そのすべてを否定するものではないが、筆者としては、人間にさらなる可能性を与えてくれるものだと思っている。
ただ無暗に怖がるのではなく、勿論、矢鱈とブレイン頼りになるのでもなく、うまく適度な距離間で付き合っていきたいものである。

あとがき
折り畳み式携帯電話、スマートフォン、メガネ型端末、コンタクトレンズ型端末を経て、人体侵襲式のデバイスが実用化された時代。さらにその10~20年程度後。侵襲式デバイスが一般に広く普及し、そのうえで様々な利用法が確立しつつある時代、という想定です。
ARやVR、はてはその技術を応用したロボット操作やフルダイブ技術は殆ど「当たり前」となったその先に何があるだろか。私はそこに人間の力の根源である、思考力の強化があるはずだ、と考えました。
今回、XR創作大賞に向けてはいくつかの話を考えており、そのほとんどは今作で語っている「ブレイン」を中心にした構成となっています。今作自体は妄想を語りつくすことを目的としており、物語調にはなっていないので、いささか退屈(もしくは鼻につく)かもしれませんが、ご一読いただけますと幸いです。

あとがきのあとがき
書いてて思ったんですが、今回の「思考の代替」という技術が実際に普及し始めると、実務的な方面でのARというのはなくなるかもしれませんね。
何せ、全ての情報が思考として提供されるのであれば、わざわざ視覚情報や聴覚情報として表示させる意味が無いですから…。
感情を直接入力することが合法になるとは思えないので、エンタメ系でのAR/VRは生き残っていくかと思いますが、案外未来人の仕事風景って言うのは、我々の考えるような
『空中に浮かんだホロディスプレイに、手から何十本もの指が生えたサイボーグがホロキーボードで命令を入力』
とか、
『電脳世界でモノリス相手に喧々諤々の議論』
などではなくて、みんな見た目はのんびりとハンモックに揺られながら考え事してるだけ…みたいな感じかもしれませんね。

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