【ネタバレ注意】瞳に映るそれが愛 ~ゲーム「AGAINST」の、なんかたぶん少なくとも感想じゃないなにか〜
ゲームの基本的な情報とかをきちんと書こうと思ったけど早く内容の話をしたいのでペラっとboothのDLページを貼るだけで許してほしい。というか基本的な情報はここに書いてあるからそれを重ねる必要はないね。
面白かった! 面白かった......人間と愛についてのお話が多かった、それでできていた。それで......本当は昨晩遊んでそのまま感想を書こうと思ったけれど「私、愛についてちゃんと考えたことがないから今のままでは何を書いてもよく分からないままになってしまう」と思って、それで、一晩寝てから、結局仕事に追われてあまりよく考えないまま書き始めている。
この、ええと、この感想文は、私が以下のことを知ったり、考えたりするためにあります。
・(AGAINSTの中で)愛とはなんであるか
・AGAINSTの登場人物である九十九林檎にとって、人間とはなんであるか
・私は、このお話のなにが楽しくて嬉しかったか
・なんかその他色々
でも思ったことを思った順番で書くから、この通りスッキリ(?)整理された形の話はしないかもしれない、たぶんしないだろう。感想文としてもゲームレビューとしてもよい文章であるとは言えない文字列が続くと思う。とにかく私が進んだり戻ったりぶつかったり転んだりしながら「このゲームは楽しかった!こんなふうに」をだらだら書く。楽しいから!
暇だったら足跡を辿ってもらえると嬉しい。私が。
とにかく私は愛についてよく考えたことがない。
このゲームには愛とか、それ以外にも罪とか罰とか林檎とか特定の宗教を連想させる単語がたくさん散らばっていたけれど、でもたぶんその宗教の「愛」はこのゲームの、ええと、少なくとも登場人物の一人である九十九林檎(すごい名前だ!)にとっての愛はそういう愛じゃなかった。と思う。
ゲームの中ではたくさん愛について語られていて、例えば
引用しておいてあれだけど、これはどちらかというと人間の話だったかもしれない。それはちょっと後回しにしたい。だからええと、「愛とはこのようなものである」という定義があったところは
人間についての話は後回しと言ったけれどちょっと寄り道する。九十九林檎はたぶん、タンパク質と水と脂の塊であるだけの人間の身体のことは人間とはみなさない。序盤で
と言っていたし(この考え方の善悪や正誤は今ここでは問題にしない)、「考え続けなさい、諦めるのはダメ」みたいなことも言っていた気がする。思考と意思(または意志)に人間を見出しているみたいだ。実際、こひなが恐怖で思考を放棄した(自ら進んでそうしたわけではなく、許容量を超えた感情が襲いかかってきた時に、その処理を止めて自分の心を守るための、動物として備わっている「凍りつき」の機能が正しくONになっただけ)時にはすぐに意識をこちらに戻させていた。
あれ......なんて言うんだっけ。着地みたいな意味の言葉があるんだけど思い出せないから着地と書く。何をどこに着地させるかって、凍りつきの反応によって投げ出されてしまった意識を現実に着地させる。そのためには目に見えているものや、地面に触れている足の重さや、手に持っている何かしらの触り心地みたいな、身体的な感覚に意識を向ける(向けさせる)ことが効果的で、それをすぐに実行した九十九林檎が、私はちょっと怖かった。安心させるための行動だったけれど、それはつまり自分を守るためにすら人間でいることを一瞬でも投げ出すことを許さない姿勢の現れであるように見えた。
いや、やっぱりとても正しくて優しいかもしれない。あの時のこひなをあの瞬間に置き去りにしてしまわないために現実に引き戻してあげたのだ。その原因を作ったのも九十九林檎ですけどまあそれでも。
愛の話に戻る。
でもやっぱり人間についても考えるかもしれない。私はずっと蛇行運転を続けている。
そんなふうにハンドルをグラグラ揺らしてくれるところが、このゲーム、このお話の楽しさだったのだ。私にとっては。
これは「こひなから見たあけぼし」の文脈で登場した文章だったけれど、同時に九十九林檎から見たこひなでもあったはず。
この文章が出てくるのはかなりはじめの方だけど、最後までこのゲームを遊んだ私は、結局これが愛なんだと思った。他者の瞳に自分が映ること、自分が自分以外の存在から必要とされること、いないものや人間としての思考や意思を求められない(むしろそれらがあることを否定される)ゴミとかぬいぐるみとかじゃなくて人間として在ることを期待されたり認められたりすることが。
それで、「いいなぁ」と思った。「でもめちゃくちゃ怖いなぁ、この愛は」とも思った。期待に応えられないこともあるし、自分の姿が相手の瞳に映らなくなる可能性がずっとあるし(だからといってその可能性を排すために相手を縛ったり感情を強制したりすればこの愛は失われる)。そうするとやっぱり
これは嘘とかでまかせとかじゃなくてちゃんと愛なのだ。
ここで私は少し前に読んだ漫画に出てきた(ちょっと今手元にないので正確な記述はできないけれど)「すべては頭蓋骨という暗い水槽に浮かんでいるタンパク質の塊が見ている夢みたいなもので他者なんか実は存在せず人間は皆孤独なのだ」みたいな文言を思い出す。たぶん九十九林檎はそれを分かった上で、それでも他者が存在すること、(九十九林檎の考える)人間があることを信じている(たぶん)。二人の行く先がどれだけ破滅的で最悪で苦しくてゴミ溜めの方がよっぽどマシな所であっても、それを信じられるだけでいいのだ。地団駄踏むほど羨ましいくらいのハッピーだ。誰もこんな幸せには勝てない。どんな不幸も歯が立たないほどの幸せだ。
撫でる手はいつだって撫でられる髪よりあたたかい
最後「もうこの二人にはプレイヤーの目なんかいらないよ」と言われたのが嬉しかった! こひなの絵はいつもこちらを見ていたけれど九十九林檎の目は絶対にこちらを向かなかった。あのぐるぐるの赤い目は最初から最後までこひなのものだった。それがよかった。しみじみとよかった。それで、そう! だからこのゲームはめちゃんこいいゲームだった。一回でTRUE ENDに辿り着い(てしまっ)たので他のルートの話も見たいけれどここ以外の場所に行き着く(おそらくバラバラの)二人を見たくない気持ちもある。
と書いて私は昨日の晩から悩まされていた「私は愛について考えたことがないからあのゲームの何がよかったかを十分に知ることができていない気がする」という消化不良から解放されました。ようやく「おしまい」という文字を見て動かせずにいた指を引いて、表紙を閉じて、裏表紙に手を置いて、深い溜息をついて「よかったなあ」と思えたかんじ。そのためにこれを書き始めたっぽい(今分かった)。
この感想文はこれでおしまいです。私が満足するために書き始めて、満足したので!
最高に好きなゲームだった。またこんな気持ちになりたいね。
おまけ
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