【アニラジ】メールは書くに越したことはないが
私は無名のアニラジリスナーである。時々メールも送る。
さて、先日、2024年8月10日(土曜)にOAされた「A&G TRIBAL RADIO エジソン」の中のコーナー「TRIBAL MEETING」で「なぜラジオ番組にメールを送らないのか」がテーマになっており、メール職人界隈で話題(多くは否定的な意見)になっていた。
この文章で理想のメールは何かなどを講釈垂れることをするわけでもないが、こういう話題が出ることへの危機感は持ったほうがいいということで、自分の経験を絡めたうえでまとめてみたい。考え方は個人差が大きいので、あくまで一意見としてとらえてほしい。
そもそもメールは読まれるために送るものではない、というのが個人の意見である(こういうこと言うと批判が出そうだが)。感情的には読まれたいとは思うものは否定しないが。送られたメールをどう活用するのかは送った番組が決定するだけのことなので、違う活用方法をされても本来はいいわけである(もっと言うと、使用権はメールを送った時点で番組側に移るので、複数の番組に同じメールを送るマルチメールが著作権的にアウトというのはお分かりになるだろう)。例えば、メールをくしゃくしゃにして怒りを表すということが行われることがあるが、それがバラエティ的に面白い形になるのなら、そうなるよう差し向けてもいい。とはいえ、メールを見るのは人間なのだから、そこは配慮が必要だろうというのは注意したい。読みやすさや丁寧な口調は忘れてはいけない。メールなどを糧にして番組を盛り上げることが大事ということは忘れてはいけない。メールは番組にどういう形であれ貢献するものである。プラスになるようなメールを送りたい。
さて、私はそんな職人というほどメールを送る人間ではない。送りたいと思ったり、ワンチャン面白いと思ってくれるかなと期待して送る程度である。このぐらい気軽な気持ちで送ったほうがいいとは思う。いわゆる事務作業というかタスクではない。読まれたいという欲望が出ると、途端にラジオ番組が純粋に聞けなくなってしまうだろう。うまく番組が転んでくれと願うのは問題ないが。せっかくメールコーナー設けても、その前にトークが弾んで飛んじゃうこともあるわけだし。気楽にとらえよう。
さて、私がそういう「比較的行動する」リスナーになったのは、ニッポン放送のゴボウこと吉田尚記アナウンサーの影響が強い。この人が昔担当していた「着ラジ」の番組内のコーナー「着フジテレビ」という事実上の大喜利コーナー(名目上はクイズ)がきっかけではある。採用こそされてないが、大喜利は誰しもが通る面白い存在であろうと思う。こういう大喜利を気軽にやりたいなぁという思いが、Twitterの誕生により、Twitter上で大喜利を行うほどになり、それに参加して、ゆくゆくはそれがきっかけで「宇宙GメンEX」内の企画で大喜利の解答者として参加したりという体験ができた。なので、私のメール書きのきっかけはTwitter大喜利からの流れである。メールではないけど、番組をひとかけらでも作り上げる楽しさは、それを体験した人でなければ分からない。
なお、このTwitter大喜利の流れを汲んで生まれたのが「ミュ~コミ+プラス」という番組であり、Twitter実況がラジオ番組と連動する流れが生まれた。このあたりになると、Twitterで実況というのが文化として定着しつつあり、当時はキャパシティーの限界でクジラが出てきてつぶやけなかったり、バルスでTwitterがにぎやかになったり、つぶやきすぎて一時期規制されるなどがあったほどである(なので、サブ垢を作る文化があった)。なお、この文化は残念ながらイーロンマスクによる乗っ取りの影響もあり、UserStreamが使えなくなったり、サードパーティーアプリを排除したりした影響でだいぶ下火になってしまったように感じる。ただ、後述のように、それらの体験はニコニコ生放送で体験できるであろう。
この実況、単に言ったことをそのまま書くとか、言ったことに対する感想をいうだけではなく、大喜利感覚でやっている以上、仮に番組内で取り上げられたらOKではなく、できるなら面白い流れを生みたいと思うのが自然な意識の流れに感じる。余談だが、ニコニコ生放送に書いたコメントがきっかけで生放送のコーナーを飛ばすほど熱く語らせてしまったこともある(それ、どこの井口裕香さん)。
Twitterによる実況はしづらくなったものの、最近は特に生放送形式でラジオ番組をYoutubeやニコニコ動画などのプラットフォームを使い実況しながら見聞きすることができるようになった。なお、これを書き始めたころはニコニコ生放送が各自のチャンネルでできない状況であり、こうも欲求不満がたまるもんだなぁと改めて感じてしまった。復活したのは本当にありがたい。
この実況というのはメールほどの力はなくても、番組にプラスの作用をもたらすのは言うまでもない。メール書くのは難しいという人も、実況参加ならできるという場合もある。そこからメールを書くようになったっていいのである。だからと言って、実況で荒らす行為はやめよう。結構関係者がエゴサーチしたり、アーカイブ見て確認することがあるので。
さて、以上の話をいったん忘れて、改めて「なぜ番組にメールを送るのか」「番組はなぜメールを欲しがるのか」を考えてみたい。番組制作側としては、たくさんの人にたくさん聞いてほしいと思うのが番組制作の第一義であろう(民間放送の基本)。再生数を見れば聞かれた回数はわかるが、それだけでは流し聞きしてBGM代わりにした人と、しっかり耳を傾けて聞いた人の差異がわからない。だから、ちゃんと聞いて面白かったという反応が欲しいのである。生放送であれば、実況で事足りるが、アーカイブやタイムフリーで聞いた場合にはメールが確実であろう。また、いくら喋りがうまいパーソナリティだからと言って、本人が思うまましゃべるだけでは話題が枯渇したり、以前にも話した内容の繰り返しで内容が固定化されてしまいがちなので、それを変化させる役割がメールにあるのだろう。何回も続く番組であれば、次回も聞いてもらえるようにしないといけないわけで、それを実現するためには回ごとに変化を与え、聞く側に刺激を与える必要がある。それがメールによる外圧なのである。
一方、送る側の意識としては、1つは読まれたいから、言ってしまえば、認知されたいからという自己満足というか欲求なのだろう。正直、職人はそういう意識を持つ人が多いように感じる。でも、それを望む人はリスナー全体から見ればそこまで多くはないはずである。読まれたいという欲望だけではメールを書こうとはならないのである。ちなみに、私も、読まれてうれしいと思う時もあれば、読まれて恥ずかしいと思う時もある。なので、認知欲のためではないことは明らかであろう。送るもう1つの理由は番組への情だろうか。番組を盛り上げたい、という変な下心ではなく純粋な愛情をもって送るのであろうか。
それでも、メールを書くのが面倒だったり、ネタがかぶったら嫌とか、送ることにためらいを抱くリスナーは多い。改めて言うが、読まれるためにメールの書くのはやめたほうがいい。聞くというのが一番大事なわけだから。
では、送られるメールが減るとどうなるだろうか。メールを送る人が減ると、結果的に常連といういつもメールを送る人のものばかりが採用される「固定化」が起きてしまう。メールを送る人が固定化すると何が起こるのかというと、番組が固定化されるというリスクがある。特に生放送番組なら、回ごとに浮き沈みがあって当然なわけだが、そういった変化がなくなってしまえば、いつ聞いてもいつも同じことやってるという刺激のない番組なってしまう。それは最終的に聞き飽きる人を増やすことになり、聴取数の減少につながる。聴取数は番組の生命線である。昨今、番組への提供のないラジオ番組が増えてきているので、ただでさえ身を削っているのに、それが無駄ということになってしまう。だから番組制作側は固定化しないようにしたいと思ってあらゆる手を使うのである。それがゲストだったりするのだが。
さて、アニラジのメールにはいわゆる定型文があるといわれる。有名なのは「質問で締めるとよい」というやつ。でも、その通りに書いてしまえば、横並びのメールがたくさん届くことになり、結果的に固定化することになってしまう。こういうお作法云々は作家の癖、特に読むときは手を入れる作家もいれば、何もしない作家もいたり、作家の琴線にかかるか否かもかかわる話になるので、そのようなディープな話は考えないでおきたい。
番組に送るメールはたいてい「ふつおた」という普通のとりとめもない話をつづったメール(イベント参加報告や宣伝も含む)と「ネタメール」というコーナーに照準を当てたメールの2つに分けられるだろうか。意識したいのは、読まれる読まれない以前に「メールが集まる状況を作る」のに加担することである。まずは読まれなくてもいいから、「○○回のこの部分がこう面白かったです」というメールを送ることは番組やパーソナリティが好きなのであればぜひともやってほしいことと感じる(番組制作側はどう思うのかはわからないが)。メールであれば確実にスタッフの目に入るので、渾身の企画でいい反応が多ければ、自分の好みと類似の企画が随時誕生し、結果的に番組を面白い方向に動かすことができるはずである(度が過ぎたら私物化だといわれかねないので注意はしたいが)。ファンレターほどハードルが高いものじゃないのだから、気軽に送ってみよう。おいしいものを食べたときに「おいしかったです。ごちそうさまでした。」というのと同じ感覚である。
ネタメールに関しては、やはり自分のこれまでの経験がものをいう。見たものややったことを文章化する癖をつけていけば、ネタメールも気軽に作りやすくなり、送りやすいだろう。あとはたくさん書かないといいメールなんか生まれやしないのである。数打てば当たるではなく、自分の癖が掴める点で、積極的に書いて送ろう。
メールは採用がゴールなのではない。メールが番組に消化吸収されることが重要なのだ。昨今、推し活って単語が独り歩きしているが、自分が好きで聞いているラジオ番組に感謝の気持ちを伝えるべく、簡単なものでもいいからメールを送りませんか?
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