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「スポーツと政治は別」という幻想 -ミャンマー戦を前に-

5月ももう終わりそうですが、今月まだ1記事も投稿していないことに気づき、最低月1本は出すという使命感から書きます。まあテーマがフッと湧いてきただけなんですけどね。今回は「スポーツと政治」について書きますが、「政治」の定義とか難しいことを書くつもりはありません。ただ、「スポーツと政治は分けて考えようよ!!」みたいな言葉を聞くたびに、それはちょっと違うだろとずっと思っていたので、そこにデブライネのエグいキラーパスをグサッと入れるような気持ちで書きたいと思います。

今日このテーマの記事を出す理由はただ一つ、今夜(5月28日)、サッカー日本代表がミャンマー代表とカタールW杯2次予選の試合を行うからです。ご存知のようにミャンマーは2月に起きた軍によるクーデターによって政情が不安定な状況にあります。多くの一般市民に銃が向けられたり、日本人ジャーナリストが拘束された事件もありましたし、未だにその不安定な情勢は続いています。今夜行われる試合も元々3月に行われる予定でしたが、そのような状況を鑑みて延期されたものです。

今回、試合を行えることになったのは幸いですが、すでに軍事政権への抵抗手段としてミャンマー代表を辞退した選手も複数人いるそうです。さらに試合前や試合後などに、出場したミャンマー代表の選手が何らかの形で軍事政権への抵抗の意思を表明することだって考えられます。ある意味、ミャンマー代表にとっては、国外に国際社会に自分たちの意思をアピールできる場でもあります。

サッカー関連で言えば、先日のカタールW杯ヨーロッパ予選でも複数のチームが開催国カタールの人権問題へ抗議の意を様々な形で表明しました。

(サッカードイツ代表チームインスタグラムより)

翻って日本では連日、スポーツの祭典と呼ばれるオリンピックどうすんのよていう議論が私たちが選んだ「政治家」たちが集まる国会で行われています。なんなら五輪担当相という閣僚ポストまであります。というよりも、そもそもこのパンデミックがなかったとしても、オリンピックは純粋無垢なスポーツの祭典であったのでしょうか。

各国は国家的威信をかけて五輪でのメダル量産のために公的資金を注入します。直近の五輪大会の国別メダル獲得ランキングの上位を占めるのはお金を持っている国いわゆる先進国がほとんどです。またその国内でも強化費配分はどのスポーツにも公平というわけではありません。メダル獲得が見込めそうな種目により多く注がれます。このような公的資金の配分の調整を政治的と呼ばずして、何と呼ぶのでしょう。

ここで強調したいのは、そのような姿勢や構造を批判したいのではなく、このようにスポーツと政治は切っても切り離せない関係であるよということです。スポーツも政治も人間が行う活動です。そこには人間の意図や営みが複雑に絡み合いできた構造があります。だから簡単に「スポーツと政治は分けて考えよう」という言葉には賛同しかねます。

そして何よりも、もし今夜ミャンマー代表選手がテレビ画面を通して、意を決して軍事政権への抵抗の意思を表明した場合でも、私たちは「スポーツと政治は別だから」という目で彼らの決死の訴えをスルーできるのでしょうか。

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