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母親が、青森県黒石市に殺されました。田舎で、老後は、地獄です。
母親が、施設で3週間、毎日のように、立ったまま後ろに垂直に転倒し、後頭部に、複数のコブを作り、全体が、紫色になって、帰ってきました。
その後、手足の麻痺、言語障害、意識障害、認知能力の劇的な低下が、現れたので、毎日のように救急車で運ばれ、複数の病院でも精密検査を繰り返し
回復を望んでいた時に、黒石市の包括支援センターは「病院に、連れまわっているから、衰弱している」という無知で勝手な素人意見で、私の母親を連れ去り、適切な治療すなわち脳のMRI検査を、阻止して、私の母親の病状を、悪化させ2週間後には「植物状態」にしました。
そして、その後、私に母親の居場所を教えず、私に会せず、施設に隔離し、一度も私に見舞いもさせず、母親が危篤になり、数日生存していたのに、(30キロのやせ細った、小さな体で、私を最後まで待っていました。母親は生前、私を最高の息子とケアマネなどに話していました)私に教えず、母親が死亡してから、わざわざ警察官3人を連れて(私が怒って、殴ると思ったのでしょう)母親が死亡したと、告げに来ました。
母親の遺体は、施設から勝手に運ばれ、隣の市の粗末な空き家に放置されていました。
本来、私が、3月14日に、弘前大学病院で、脳のMRI検査する予定でした(複数の医療機関の証拠あり)
それを阻止され、包括支援センターの輩どもが、母親の病状を悪化させた
彼らが取らなければ、簡単な手術であったため、手足の麻痺、認知能力、意識障害が改善して、現在も生存していました
黒石市が殺したのです
複数の医師に経過を見守るように言われ
3月で激変したので、早期治療が必要なのに
1週間も私に居場所を教えず、私の警告も無視ししたので
2週間目に、私は、机を叩いて、抗議しました
すると警察に通報し、私は警察に保護され、2カ月間違法に
監禁されました。
その後、市役所は、私の警告を無視して、勝手に後見人を付けて、私と母親を、引き離しました。仲が良い親子と、皆が認めているにも拘らず。
すでに、この時期以前から私は、PTSDと診断されました
母親が帰ってきた、2月9日の、母親の状態で、施設に送ったことを後悔してPTSDの症状が悪化しました
その前から、介護が大変で、何度も母親が救急車で運ばれたりしてPTSDでした
また何度も母親の命を救っていました
私が寝ている間にトイレに行っていたので、直ぐにトイレのドアの外に向かい、付いた途端に母親が後ろ向きに倒れこんできて、私が支えて救った時もあり、その時母は「お前が居て助かった」と言っていました。1月17日の出来事です
私が母親を半世紀、力で守ってきました。
それを黒石市が破壊して、家族を奪い殺しました。
許せるはずがありません
その後も何の連絡もくれず、私が電話しても担当者は何度も話している途中に、忙しいとか言って、電話を途中で切り、侮辱しました
後見人の時もそうです、私が付けるなと警告した時です。4月の出来事
後見人が、決定した時(5月)後見人は連絡もくれず、7月の初めに分かった時も、直ぐに辞めるように伝えたが「後見人の都合がある」「電話では話さない」「後見人が誰かは言えない」として、数週間、後見人に会えませんでした。そして後見人はサイコでした。
そして母親は、母の日も、私を待ち付け、何カ月も私を待ちましたが
誰も見舞いにも差し入れにもこないまま、危篤になり、小さい体で
何日も私を待ち続けて、力尽きました
これは、人権侵害、パワハラ、犯罪です
母は、黒石市が取らなかったら、現在も生きていました。
95歳の誕生日を二人で祝い、100まで生きていました。