あなたも突然拉致される「青森県警と知事の違法行為」

審査請求及び意見書

現在、私は「妄想癖」があるとして、強制的に措置入院されています。
検察の捜査もなく、弁護士の擁護もなく、裁判するという権利もなく、裁判官による尋問もなく、反論する権利もなく、判決もないまま突然保護室に警察によって数時間隔離され、法で定められている診察時の家族や弁護士の立ち会いもなく、二人の精神科医の判断だけで、自傷他害の恐れがあるとして、そのまま精神病院に運ばれ鉄格子がある独房に強制的に隔離されました。また本来診察時間は、15分から30分程度のようですが、私の場合は、始めの若い医師は、2分程度、二人目も3分程度でした。さらに、前日と当日酒気帯びして酔っていた事実を検査せずに、素面と思われ連行されました。酒気帯びをしていた事実は、現在も冷蔵庫に、ラム酒や日本酒が入っており、確認できます。また輸送中、警察官などに、いろいろ職業に付いて質問され、私は発明家なので、現在存在しない考案中の技術を語ったのですが、その事を医者に話すように、誘導され、結果、妄想と診断されたようです。この事実は、立ち会った保健所職員二人が証人です。また発明に関しては、特許庁が管理しているサイトで確認できます。また特許査定された時の賞状も自宅にあり、さらに、契約している特許ファンドのインテレクチュアルベンチャーズの契約書も自宅にあります。これまで、犯罪の被害に遭いましたが、私は、逮捕されたこともなく前科前歴は有りません。またスーパーなどで、足の悪い見知らぬ老人に、カートを「使いますか?」と訪ねて、渡すなど、私は他人に対して優しい人間です。現在措置入院されている施設でも問題行動はしていません。
幸い牢屋のような独房に関しては、3人目の担当医が優秀で、私の本性を理解して、翌朝直ぐに独房から出してくれました。
また今回の判断は警察の作成した書類に誤った記載があったからです。当日私は、母親の座っていた車椅子のパイプを掴んでいたのですが、書類には「母親の手を離さなかった」と記載されていたようです。事実は、車椅子のパイプを掴んでいたであり、多くの市役所職員などが証人です。
昨日まで普通に、暮らしていたのに、現在は、隔離されています。
仕事もできず家族にも会えず、今回の判断に不服があります。
国連では、このような措置入院を、辞めるように指導しています。

今回このようになった経過を、お話いたします。
私は、母1人子1人の母子家庭で育ち、55年間母と暮らして来ました。
母は、現在94歳で、16年前から認知症が始まり、その間、私が1人で介護してきました。
徐々に悪化して、数年前は、ワインを1人で飲みすぎて急性アルコール中毒で、搬送されたり、割れたコップの破片全てを、食器乾燥機の中に入れたり、料理教室を経営していたのですが、味付けができなくなるなどの症状が出始めました。
近年は、悪化して、トイレを汚したり、衣服を洗濯するのを拒否したり、足腰が弱くなる症状が、ありました。
最近は、私が寝ている間に、水風呂に入って低体温症で搬送されたり、前日まで、1人で風呂やトイレに行き雪掻きまでしていたのですが、翌日になると、台所の床に座っていて立てなくなったと訴え、私に助けられて、ソファーまで運びました。そのあとトイレに行くと言ったので、トイレまで、後ろを着いていき無事にトイレに入ったので安心して居間に帰ると、数分後に、倒れる音がしたので、駆け付けると、頭から出血していたので直ぐに救急車を手配して搬送しました。
本人は、以前から介護施設に行くことを拒否し「私と一生暮らしたいので、施設には行かない」と言っていました。私も母と暮らすことに抵抗はなかったのですが、認知症の悪化にともない介護の負担が増し、仕事もできず生活も安定しない状況でした。例えば昨年の冬、私が転倒して肋骨を折ったのですが、トイレを汚したため、3回トイレ掃除し、4回風呂掃除することが2日続いたため、私の肋骨は、不自然に繋がったため、現在も痛みがあります。
そのような状態だったので、精神的に限界で、1月中旬から2月上旬に、ショートステイに行かせたのですが、帰宅したときには、全身アザだらけで、頭の後ろは、全体が紫色で腫れており、本人は痛い痛いと言ったので、病院で精密検査をしました。結果は、脳や頭蓋骨には影響がなかったのですが、毎日、立ち上がったときに転んでいたようです。
また施設でインフルエンザに感染したので、病院に連れていったのですが、薬を処方すると、手足が麻痺し、何度もソファーや便器から落ちたり(トイレでオムツを代えるため、汚れたオムツを外のゴミ箱に捨てに行く間に、便器から落ちる)、転倒することが増え、風呂場でも溺れて暴れ(風呂に入れているとき布団を敷いているので、その間に、溺れていた)、言葉も話せなくなったので、複数の病院に行き、救急搬送も立て続けにしていました。
そして、3月になると、寝ている時に布団の中でオムツを膝まで下ろして排泄するという異常行動を、3回連続したので、翌日から母をソファーベッドに、服のまま寝かせ、私は同室の床に寝て見守ることになりました。幸い19日に施設に行くことが決まっていたので、それまで頑張れば良いだけでした。

そのような状態だったのですが、包括支援センターに数年前からSOSしても、ケアマネージャーは自信で見つけてください、緊急に施設に入居させることはできませんなどと、放置され続けていました。そこで、緊急入居させる方法を調べて、虐待した場合は保護されることを知り、ケアマネージャーに訪ねたところ「須藤さんはそれに該当しない」と言われ、包括支援センターにもかなり前電話で、私の方が叩かれたりしていると言ったのですが、それは該当しないと言われていました。
そして、3月の異常行動の後、ネットの介護施設を紹介する会社に、精神的肉体的に限界で虐待しそうだと告げて、包括支援センターにもメールで、早く死んで欲しいという趣旨の事を記載して、虐待を装っていました。実際は虐待もせず死んで欲しいとも思っていませんが、そこまで追い詰められていました。ネットの介護施設を紹介する会社からは、わざわざ包括支援センターと私に翌日電話があり、包括支援センターの担当者が翌々日、様子を見に来ました。そこで私は、歓迎して、いつでも来てくださいと言い、翌日も担当者が来て、丁度入居させる予定の施設の担当者も来たので、三者面談して、19日に入居させることになり、はじめて包括支援センターの担当者から、入居した場合は、新しいケアマネージャーを紹介すると言われました。

そして事件が発生したのは、13日です。
当日、目覚めると、母がソファーベッドから落ちていて、呼吸困難になり意思疏通できなかったので、救急車を手配したのですが、市立病院に断られ、隣の市の病院に搬送されることになりました。1時間後、安定したので帰宅することになったので、前日、インフルエンザ薬の後遺症が原因で急激に症状が悪化したのか検査するため電話で問い合わせていた病院に行くことにして、歩けなくなった母親を、病院内からタクシーまで抱き抱えて運びタクシーで病院に行きました。すると午後の診察時間まで1時間以上あり、他の患者も居て付き添いの奥さんらしい人が「時間があるので買い物に行ってくる」と言って患者を置いて出ていったので、私は、その患者に母親を託し、車を取りに行くため自宅に戻りました。
(いつも救急車で行ったときは、母がタクシーに酔うので、私が自宅に帰って車で向かえに行っていました)
しかし市外の病院だったので、急いだのですが時間が掛かり、放置されたと思われたので警察が来ていました。転ぶことや施設でのアザが残っていたので虐待を疑われたのですが、ケアマネージャーや病院などの証言で疑いが晴れ、注意だけで終わり警察官は、帰りました。
その時、包括支援センターからも担当者が来ており「介護が大変そうだから市の方で一時預かるので、少しは休みなさい」と言われたので、私は安心して帰り、3月になって初めて自分の布団で寝ました。その時は、すでに母親の意思疏通に異常があり、私すら認識していませんでした。
その後、包括支援センターに問い合わせると「今は居場所を教えられない」と言われ、その後も数回包括支援センターと面談したのですが、「現在も居場所を教えられない」と言われ急激に症状が悪化して、いつどうなっても不思議ではない母親の状態も居場所も教えてもらえないため、行く予定だった大学病院での精密検査が出来ない状況が続いていました。そのため私は一睡もできず飲酒が増えていました。
そして、25日だったと思いますが包括支援センターが「15日に息子が掴んだ背中が痛い」と言ったので虐待の疑いがあり調査しているので居場所は教えないと拒否されました。
そのようなことはなく、13日にタクシーに抱き抱えて乗せるときに母親が「お前の掴んでいるところが痛い」と言ったのを思いだし、28日に説明するため包括支援センターに行きました。そして、昨年末にスマホで撮りスマホに保管している写真には顔や腕にアザはないこと、アザはショート施設で転び出来たため原因を知っているのはショート施設であること、またショート施設に行った翌日とショート施設から帰ってきた後に、脳の精密検査を同じ病院でしているので、医師がアザができた時期を知っている事と、ショート施設から帰ってきた後、複数の病院で精密検査し、また救急搬送を何度もしている事実があるので、虐待はしていないと説明しても「調査しているから居場所は教えない」と一方的に拒否されました。また寝ている時に、異常行動はしていないか訪ねると、「していない」と言われたので、「証拠を見せてほしい」と言うと、職員が「排泄しているところを撮るのは虐待に該当する」と、不愉快な事を言われたので、つい怒鳴ってしまいました。すると警察に通報され警察官が複数来ましたが、事情を聞いて理解して、その場は収まりました。

そして、当初28日に、逢えるように依頼したのですが、一方的に29日に会うことになり市役所に行きました。
市役所で、16日ぶりに症状が悪化し続けていた母親にあったのですが、すでに手足はほとんど動かず、意思疏通が全くできず私を把握していませんでした。私は混乱し、とにかくどこで今、生活しているのか訪ねたのですが、「教えたらお前行くだろう」と言われ拒否されました。現在もコロナで施設が閉鎖され面談出来ないこと、施設にカギが掛っていることを私は理解し、また母親の介護に全ての時間を使ったので、現金が少なくなり車を売却し、タクシーで行くような贅沢も出来ないので、居場所を知っても行くことはできません。
しかし、いつどうなっても不思議ではない母親の居場所を教えてくれないので、私は母親の車イスを掴み「教えてくれないのなら死ぬ」と思わず言いました。ちなみに、自殺未遂したことは、全くありません。
すると立ち会っていた警察官に保護され措置入院させられたのです。

子供の頃、父親と離婚し、父親は慰謝料も養育費も支払わなかったので、母親は休みなく毎日、働き体調を壊すこともあり、私が一人で看病しました。また母子家庭で収入が安定していなかったので、お金がないときは私だけに食べさせ、母親は「仕事場で食べるから」と言って食べない時も何度もありました。
そして、私の場合は、「何かあったら私が守る」と子供の頃から言っていました。
そのような母一人子一人の家族です。

このような事実があるため、措置入院は必要ありません。
早急に解除及び処分の取り消しを求めます。


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