酒が飲めるぞぅ。
私はお酒が大好きで日々の晩酌が欠かせない。
毎晩飲むお酒は様々でビールだったりウイスキーだったりと色々嗜んでいる。
それでも酒量はそれほどでもなくふんわりと酔ってくる前には切り上げるようにしている。
目安としてはビールなら350ミリ缶を三本、日本酒なら三合くらいである。
この位のお酒ならばまず酔う事が無いので許容範囲なのだろう。
そもそもお酒に初めて触れたのはまだ小学生の頃祖父が飲んでいた瓶ビールのシュワシュワした泡が何とも美味しそうだったのでうっとりと眺めていると飲んでみるか?と言われて初めてのビールを体験した。
とはいっても泡をなめるのがせいぜいで苦くてうげぇと吐き出しそうになったことをよく覚えている。
大人たちは私が渋い顔をしているのを愉快そうに見ていたものである。
その次の記憶にあるのはいつかのお正月でお屠蘇と一緒に日本酒を味見させてもらった時だ。
お屠蘇はみりんに屠蘇散を混ぜた飲み物で甘いけれど複雑な漢方の香りがする飲み物だった。
縁起を担ぐことが好きだった父が毎年用意してくれて飲むように言われていた。
お猪口にほんの少し入れてもらってキュッと飲むと美味くはないがみりんのアルコールが直にきて癖になりそうな味だった。
お屠蘇を飲んだら子どもたちはオレンジジュース、大人たちは酒盛りをするのがいつもの風景だった。
その頃の私は何でも大人の真似をしたくてたまらない年頃だったので宴会をしている座に積極的に顔を出していた。
そうなると親戚の叔父さんがいたずらっぽい顔でこれを飲んだらお年玉に色を付けてやろうと日本酒の入ったお猪口を差し向けてくる。
お調子乗りだった私はおじさん、ほんと?と聞いて杯を一気に乾した。
おう、こいつは呑み助になるぞぃと言われて割増のお年玉をせしめていた。
その頃から日本酒との相性が良かったようで少々舐めるくらいでは全然酔わなかった。
飲酒できる機会はそれほどなかったのでしばらくはお酒とご無沙汰だった。
やがて成人して大学生になってからが本格的な酒飲み人生の始まりである。
あの頃は自分はお酒に強いという自惚れがあってビールは三リットルは呑めた。
貧乏学生だったのでビールは高級品で普段飲むのはもっぱら安ウイスキーの水割りだった。
あの頃はスコッチもバーボンも区別がついていないお酒素人だったので酔えればなんでもよかった。
酒飲みの友達を数人家に招いてサバ缶にマヨネーズをたっぷりかけた座持ちのいいつまみを作ってひたすら酒量を競った。
一番飲むやつだとボトル一本は軽く開けるので多めに飲み代を徴収しようとするとすまん、金なら無いと飲み逃げをするような不届き者なので出禁にしようとしたがそいつがいないと飲み会も盛り上がらないのでいつもメンツに加えてあげていた。
一度そいつと飲み比べをしたことがあるがその時飲んだのが合成清酒でひどく不味かった。
それでも飲んでいくとだんだん気分が良くなってくるのでお酒なのは確かだ。
二人で一升空けるのは余裕だった。
二本目を飲んでいると私は急に気持ちが悪くなってトイレに駆け込んだ。
その時に敵は余裕の笑みでゴブゴブと合成清酒を飲んでいた。
ううう、あんなまずいものをよく飲めるなぁと思いながら意識が遠ざかっていった。
次に目を覚ますと部屋には私一人でメールには俺の勝ちだ!という憎たらしいメッセージが残っていた。
その日は頭は痛いし胃がムカムカするという立派な二日酔いで講義をさぼったのは言うまでもない。
大人になって自分のお金で好きなお店に行けるようになっても飲みすぎることは多々あり、記憶を飛ばしたことも数知れずである。
とはいえ四十代に入ってからはちょうどいい酒量でコントロールできるようになった。
お酒自体にはずいぶん弱くなったが量より質に変わっていった。
今は毎晩の妻とのささやかな酒宴が何よりの楽しみである。
妻は日ごろは私の半分くらいしか飲まないが酔った姿は滅多に見ない。
実は私よりも飲んべえで強いという事は夫婦の秘密である。
ああ、何だかお酒の話をしたら飲みたくなってきたなぁ。
酒は百薬の長と申しまして。
これからも飲んでも飲まれない長いお付き合いをしたいものである。
今日は日本酒かなぁ。
やいやいゆうて毎日飲んでますがな。
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