福々しい笑顔の翁あり
今日からお盆、妻の仕事がカレンダー通りなのでお休みが無い~とぼやきながら出勤するのをお見送りした。
それから朝ご飯をモショモショと食べて洗濯物を畳んで掃除機をかけて家の掃除に勤しんだ。
朝の気温が上がりきる前なのでそれほど汗だくにならないで家事を済ませる事が出来るのがお休みの日のありがたさだ。
家事が一区切りついたのでお墓参りの準備をした。
今日のお墓参りは義父と妻のお爺ちゃんのお墓。
義父のお墓はわりと近所なのだが、お爺ちゃんのお墓はそれなりに遠い。
まずはスーパーに立ち寄ってお供え物とお花を買いそろえた。
それから義父のお墓に。
車でニ十分くらいの近所なので行こうと思えば気軽に行ける。
確か六月に妻と一緒に行った記憶があるので二か月ぶりの訪問。
まだ誰も参っていないらしく花が枯れていたので活け変えてお供えに好きだった銘柄のウイスキーの小瓶とおつまみを供えて線香に火を点けた。
お盆なので結構お墓に来ている人が多くて普段はほぼ無人な墓地もそれなりに賑わっていた。
手を合わせて近況報告をしてムニャムニャとお話をする。
数分ほど話し込んでジリジリと首筋が暑くなってきたのでまた来ますと告げて次はお爺ちゃんのお墓。
義父のお墓からお爺ちゃんのお墓までは一時間半の道のり。
車のエアコンを最近直したので移動中は快適だった。
途中で何か所も警察がスピード違反の取り締まりをしており、何台か捕まっていた。
田舎のなぁんにもないまっすぐな道だったらスピードを出し過ぎちゃっても仕方が無いよなぁと多少同情しながら制限速度を守りつつ運転。
途中でコンビニでお供え物用によく冷えた発泡酒を買い足して保冷バッグに詰めて移動再開。
それから十五分くらいで目的のお墓に着いた。
ここは山奥も山奥で小さな集落の集合墓地で山の斜面を削ったところにある。
今はお爺ちゃんの娘さん、妻の叔母が家とお墓を守ってくれているので安心である。
お墓まで歩いていくと榊も瑞々しくてきれいで落ち葉一つ落ちていなかった。
どうやら昨日か、今日誰かが来たらしいなと思って自分のもってきたお花もいっしょに活けた。
それからお爺ちゃんの好きだった発泡酒とおつまみを供えてお話しをした。
お爺ちゃんとは私が妻と一緒になってからお付き合いが始まったが、お正月とお盆には妻の両親と一緒に遊びに行ったものである。
お爺ちゃんと義父との間にはその昔縁を切るだの切らないだの壮絶な親子の断絶があったそうだが私が知る限り二人の相性はとてもいいように見えた。
お爺ちゃんは普段は田舎の山奥で一人暮らしだったので私たちが訪ねていくとそれはもう嬉しそうにしていた。
当時80歳を優に超えていたと思うが自分で車を運転して近所のスーパーで刺身とお寿司を買って待っていてくれた。
私たちの手土産はいつもお酒だった。
お爺ちゃんは無類のお酒好きで一番好きな飲み方は発泡酒に焼酎を混ぜるというストロングスタイルでいかにも体にはどうだろうという飲み方だった。
義父も持参のウイスキーをロックで飲むものだからだんだんと酔ってくる。
そこで親子が昔お前はああだったとか、あの時はこうしてほしかったとか懐かしい思い出話に花が咲いているのを聞く時間はなかなか悪くなかった。
妻はお爺ちゃんの事が好きなのだがシャイなのでグイグイと会話に入っていくことができずいつもニコニコしていた。
それから私は会ったことがないが妻のお婆ちゃんの話を聞くのも楽しかった。
何でもお婆ちゃんは小説家だったらしくて当時近所では有名なインテリで通っていたらしい。
今でも調べれば作家名でもわかるかと思うが決して有名ではなく印税で生活できるほどの収入はなかったらしい。
なのでお爺ちゃんが工場勤務と農業の兼業で生業を立てていたらしい。
あの頃はよう働いたのぅと懐かしそうに話していたお爺ちゃんの顔を今でも思い浮かべる事が出来る。
大体お昼ごろに行って夕方になる頃に帰ろうとするとお爺ちゃんがとっても寂しそうにするのが印象的だった。
そして帰り際に私たち一人一人の手を両手で握ってまた来てくんさいよというのが常だった。
そんなお付き合いが5年くらい続いた。
そのうちに義父が亡くなり、お爺ちゃんも一年後に病に倒れた。
何だか人がいなくなるのってあっという間だなぁとしみじみ思ったのをよく覚えている。
お盆になると年々増えていく故人の事を思ってちょっぴりセンチメンタルな気持ちになる。
手元に残ったウイスキーの小瓶と発泡酒はまた改めてじっくりと頂こう。
お彼岸の何気ない一日の過ごし方でした。