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世界の巨人はデカかった
今日は1月23日、ワン・ツー・スリーの日なのだそうだ。
人生に対してジャンプする気持ちを持とうという前向きな一日。
私のようなプロレスファンはこの数字の並びを見ると自然とスリーカウントが頭の中で聞こえてくる。
人生で一番熱心にプロレスを見ていた高校生の頃は深夜放送のプロレス中継を毎週録画して観ていた。
時代は九十年代で新日本プロレスでは闘魂三銃士、全日本プロレスでは四天王が活躍しておりインディー団体も萌芽の時期で各々の団体のカラーがまるで違ってどれも大好きだった。
女子プロレスではお茶の間でおなじみの北斗晶さんがバリバリの現役で神取忍選手との死闘は今でもファンの間では語り草になっている。
私がプロレスを見始めたのは幼稚園の頃からでジャイアント馬場さんの大ファンだった祖父と一緒に14インチの小さなテレビで世界の巨人の試合を応援していた。
同じ部屋にいた祖母は暴力的なことは大の苦手で、祖父と私がプロレスを見始めるといつも渋い顔をして繕い物なんかをして決してテレビの画面を見ようとはしなかった。
ジャイアント馬場さんの団体は全日本プロレスだったがライバル団体のアントニオ猪木さん率いる新日本プロレスのテレビ中継はあまり見た記憶がない。
ちょうど時代は初代タイガーマスクが活躍していた頃で空前のタイガーブームが世間を席巻していた。
しかし祖父はタイガーマスクのそれまでのプロレスのスタイルを根本から変える革新的な試合スタイルにはあまり興味を示さず、馬場さんの巨体を生かした重厚でクラシカルなレスリングを好んだ。
なので私のプロレス原体験はジャイアント馬場さんに集約される。
小学生になっても祖父とのテレビ観戦は続いたが、プロレスブームは徐々に下火になっていった。
そのうちに冒頭でも書いたようにテレビ中継は深夜帯に移動になってしまい祖父と私だけの特別な時間は終わりを告げた。
そして中学生になってすぐの頃に新しくできた友達に趣味は何?と聞かれた時にプロレス!と元気よく答えたら意地の悪い顔であれって八百長でしょとプロレスファンならば誰もが経験する中傷を受けた。
今ならば明瞭に言語化していかにプロレスが素晴らしいかを説明できるが、まだ幼かった私は言い返すことが出来ず、ぐぬぬと唇をかむことしかできなかった。
中学時代はそういった絡み方をされるのが面倒でなるべくプロレスファンであることを隠していた。
高校生になってまた環境がガラリと変わって友達の顔ぶれも変わった。
そこでも懲りずに自分は大のプロレスファンであると公言すると俺も、俺もという子が何人かいてその子たちと一気に打ち解けたものである。
その頃はプロレスも多様化しておりUWFの流れをくむ格闘色の強い団体や大仁田厚選手率いるデスマッチを主体としたFMWが大人気だった。
前にも書いたが私はプロレスラー志望であり、体を鍛えることに夢中になっていた時期でもある。
お昼休みになるとプロレス好きが集まって体育館に棒高跳び用の分厚いマットを敷いてプロレスごっこに興じたものである。
試合のルールはスリーカウントとギブアップのみでロープブレイクは無かった。
対戦相手は柔道部やラグビー部の猛者たちで格闘技素人の私ではいかにも分が悪かったが腕力だけは互角かそれ以上に渡り合えたので戦っていて興奮したし楽しかった。
もちろんお互いが相手にけがをさせないようにという暗黙の了解はあった。
そんなことをしつつも地元でプロレス興行が行われると必ず足を運ぶようになった。
初めての生観戦は隣町の古い体育館にやってきた全日本プロレスでアルバイトで貯めたお金でチケットを買ってリングサイドで観戦した。
会場で見るプロレスはまさにド迫力で登場するレスラーの体の厚みに驚かされ単純なチョップやパンチの打撃音だけでも大きく盛り上がった。
そしてなんといっても生で見るジャイアント馬場さんの大きさに圧倒された。
当時はもう晩年でいわゆる明るく楽しいプロレスを体現されており、それでも馬場さんがリングに入ると大歓声が飛んだ。
その試合が終わるといったん休憩になり会場の売店で売り子さんに交じって馬場さんがグッズを買ったファンにサービスでサインをしてくれた。
私もTシャツを買ってサインをしてもらって勇気を振り絞って握手してくださいとお願いしたら、おうと快く応じてグッと握ってくれた。
その手のサイズはまさにジャイアントで、何といっても幼い頃から見ている憧れの存在である。
感動のあまり泣きそうになったことを覚えている。
その日のメインイベントも素晴らしい試合で、ワン、ツー、スリーのスリーカウントを会場のお客さん全員で大合唱。
帰宅後に祖父に興奮しながら馬場さんのことを話すと、そうじゃろうあの人は優しい人じゃと思っちょったと何だか誇らしげだったのもいい思い出である。
あれから三十年近い月日が流れ今月末には馬場さんの没後二十五周年追善興行が行われるという。
もうそんなに経ったのかと思うのとともにあの日馬場さんが握ってくれた右手の感触は今でもはっきりと思いだせる。
何より幼い頃からプロレス英才教育を施してくれた爺ちゃん、ありがとう。
これからも私は永遠のプロレス小僧です。