すき焼き奉行三代目。
ここ数日新しく買い替えたスマートフォンをいじくり倒して遊んでいる。
技術の進歩は大したもので壊れた前の機種よりもだいぶ快適にサクサク動くで楽しくて仕方がない。
そんな感じでお昼休みもそこそこにあれこれとやっていたらLINEに着信があった。
送り主は母でたまに連絡をしてくる。
はて?何の用だろうと思ってアイコンをポチッと押すとスッと画面が切り替わった。
あー前の機種だったらここでワンテンポ待つのが煩わしかったんだよなぁと思いつつメッセージを確認すると友達からいいお肉を頂いたから晩御飯をすき焼きにするから一緒に食べませんかというお誘いだった。
おーすき焼き!久しく聞いていないご馳走の響きにやられて一も二もなくご相伴に預かりますと返事を返した。
普段それなりに料理はするがあまり凝ったものは作らないしすき焼きのような鍋物は人数が揃わないと食べる機会が無いものである。
あー楽しみだなぁと思いながら昼からはどこかソワソワしながら過ごした。
それからあっという間に夕方になったので実家に向かうことにした。
手土産は何がいいかなと思ったが無難に日持ちする和菓子を買っていった。
実家についてまずは仏壇に手を合わせる。
最近祖父が夢枕に立ったので少しは墓参りくらいしないかと言われている気がしていたのでムニャムニャとお話をした。
なんとなく気が済んだので居間に行くと父と姪っ子がテレビを見ていた。
姪っ子は専門学校の試験前でたまたま遊びに来ているという事で正月以来の再会だった。
二十歳前の娘さんはちょっと見ない間にめっきり綺麗になっておりお姉さん感が出ていた。
まあとはいえ赤ん坊の頃からの付き合いなので遠慮することはない。
姪っ子の近況報告を聞きながら食事の支度を手伝った。
メインがすき焼きなので野菜を切ったりするくらいでたいしてやることはなかった。
そうこうするうちに弟も顔を見せて久しぶりの家族大集合になった。
そうなると酒飲みの父は乾杯がしたくてウズウズしはじめる。
母がのんびりと支度をしていると母さんもいいから座りなさいと言い出す始末。
そのせっかちさはいつもの事なので軽く受け流してみんなでビールを注ぎあって乾杯した。
私がパチパチと手を叩くと弟が会社の飲み会みたいだからよせよとたしなめられてしまった。
おっとこいつは失敬と謝りながら気持ちはすき焼き一直線だった。
ではここで我が家のすき焼きの流儀を少しばかり。
大まかに言うと関西風でまずは鍋に肉だけを入れて醤油と砂糖を入れて煮えばなを頂く。
ここで肝心なのはいいお肉は煮すぎないでまだ軽く赤みが残っているくらいの火の通り加減で引き上げる事である。
卵は必須でありこれはあまり溶かないで使うのがポイント。
ある程度肉を堪能したらザクを入れていく。
ザクとは肉以外のすき焼きの具材の事であり本来は野菜をザクザクと切る音からきているそうだ。
ここからほんの少しのこだわりだが煮えた具をいったん全てさらったら途中でドカドカ追加するのではなくすき焼き鍋を綺麗にふき取る。
こうすることによって味が濃くなったり薄まったりすることを防げるので少々手間だがお勧めである。
最も毎回鍋を洗っていては手間だし時間もかかるのでキッチンペーパーでふき取るだけだがこれだけでもずいぶん味わいが違うと思う。
このすき焼きの作り方は父から受け継いだものだが祖父が鍋奉行をしていたころはもっとワイルドだった。
甘いもの好きだった祖父はすき焼きと言えば砂糖を食うのかというくらいドッと肉に振りまくっていた。
醤油も高血圧になって死んじゃうよというくらい惜しみなく使っていた。
そして最初からザクも大量に入れていた。
その味は濃くて甘さがくどくて子どもの舌には馴染まなかった。
祖父はその特濃すき焼きを美味い美味いと舌つづみを打ちながら日本酒をキューッと飲んでいた。
その反動か父は自分なりにすき焼きの作り方を研究したようで今のように誰もが抵抗なく食べられる味わいを作り出した。
後年祖父から鍋奉行を委譲された父は嬉々として自分流のすき焼きを作り始めたがその味に満足しなかった祖父が溶き卵の中にドバドバと醤油を足していたのを懐かしく思い出す。
そんな昔話をしながらお酒とともにすき焼きを堪能した。
父を筆頭に家族もほぼ中年以上なので頂いたお肉が余ってしまった。
うーん美味いものを食べたい年齢の頃には胃袋が老化しているのだなぁとしみじみ思った。
それでも私は締めのすき焼きうどんも一人前頂きましたとさ。
余った肉は持って帰りなさいと母が嬉しい事を言ってくれたのでありがたくその通りにした。
牛肉は高級品なのでとりあえず冷凍して何かいいことがあった時に食べようと思った。
ああ、昨日は楽しかったなぁ。
さぁてそろそろ晩御飯の事を考えなくちゃ。
今日もご飯が食べられる事に感謝感謝。