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新米はいつだって眩しくて
気が付けば九月も今日で終わり。
今年も残り三か月という事実に驚いてしまう。
年を重ねるごとに一年の流れが速くなるような気がしてならない。
若い頃の一年は濃密にじっくりと過ぎていったのに今ではその感覚が懐かしくなる。
おそらくは加齢により時間の感覚が変化するいわゆるジャネーの法則だろうなぁとしみじみと感じる。
話は変わって明日は叔父の家で稲刈りの予定である。
五月に田植えをしたのがついこの間のようだ。
母の田舎になるので子どもの頃からしょっちゅう遊びに行っていた。
叔父と暮らしている祖母はもうかなりの高齢だが足が悪い以外はまだ元気である。
頭はしっかりしていて暇があれば塗り絵を日がな一日して過ごしている。
私はこの祖母に幼いころから可愛がられており、私も祖母の事を慕っている。
たまに遊びに行くと昔話をして涙ぐまれるのもいつもの光景である。
そして帰り際に挨拶に行くと必ずクシャクシャの五千円札を渡してくる。
この歳になって祖母からお小遣いをもらうのは正直困ってしまうのだが断固として受け取るまで折れないので仕方がなく貰う事にしている。
そのお金は貯金箱に直行である。
そして祖母の誕生日やお祝い事の時に貯金箱を開けてパーッと使う事にしている。
他の孫にはそんな事をしないので私だけ特別扱いしてくれるみたいでちょっぴり嬉しくもある。
明日は稲刈りなので終日外での作業である。
汚れても良い芋ジャージとゴム長靴を履いてコンバインがバッサバッサと稲を刈っていくのを見ている時間が長いくらいだが、機械の入らない部分は鎌で手狩りをする。
刈り取った後はライスセンターに持ち込んで玄米にしてもらう。
何だかんだで体力仕事なので無理はしないで戦力になりたい。
稲刈りが終わるとささやかな宴が開かれる。
一番よく食べるのは焼肉である。
庭にドラム缶を半分に切ったものを設置し炭火をゴンゴン起こして肉を焼いていく。
飲み物はもちろんビールである。
丸一日外で作業した体にはアルコールが染みるなんてもんじゃない。
缶から直接グビグビ飲むのが野趣あふれて申し分ない。
つまみは稲刈りの合間に母が拵えてくれる。
ひじきの煮物や海老フライとか日頃あまり食べないものを頂けるのでありがたい。
一仕事終えた後の叔父は上機嫌でニコニコしている。
田んぼを持っているというのは結構プレッシャーになるようでそろそろ引退したいとかねがね言っている。
叔父には私の従妹にあたる娘が二人いるし、その旦那さんもいるので代替わりしても良いのではないかと思うのだがどちらのご主人も田んぼには執着が無いようで稲刈りには来たことが無い。
なので私に白羽の矢が立ちそうだが、責任重大だし車で小一時間かかる叔父の家に通うのはちょっと負担なのでその話題が出た時にはムニャムニャとはぐらかしている。
稲刈りから数日後には叔父が実家に出来立ての玄米を届けに来てくれるのでその時はありがたくおこぼれを頂戴する。
精米所に行って白米にしてもいいのだが、とれたての新米は家庭用の小型精米機で搗くことにしている。
精米機はジャーンと賑やかな音がするが搗きあがったお米はピカピカしている。
そのお米を研いで水に浸しておいて炊く時に普段より若干少なめの水加減で炊く。
おかずは梅干しや卵焼き、明太子、キムチ納豆などご飯に合う物を揃える。
ピーッと炊飯器が炊き上がりを知らせてくれたら少し蒸らして全体をかき混ぜて炊き立てご飯の出来上がり。
熱々をハフッと頬張ると香ばしいお米の香りが立ち上る。
モグモグと噛んでいると口の中にじんわりと甘みが広がってうっとりする。
叔父の田んぼは農薬をほとんど使わないので健全な味がする。
このお米を楽しむために揃えたおかずも抜群の相性である。
普段は夜にお米は食べないのだがこの日ばかりは話が別である。
モリモリと食べてお代りもする。
お腹いっぱいにご飯を詰め込んだらごちそう様をして横になる。
この瞬間が何とも言えない幸せである。
ああ、今年も寿命が延びたなぁと思ってありがたい気持ちになる。
さあて、稲刈りに備えて今日は早めに休もう。
もちろん休肝日ですよ。
明日ハレルヤ!