たまにはスマホを捨てて
最近知ったのだがネタバレ消費と言う言葉があるそうだ。
読んで字のごとくネタが分かった状態で漫画を買ったり映画を観たりゲームを買ったりする行為を指すらしい。
始めてこの言葉の意味を知った時には、はっ?それって何が面白いのと疑問に思ったが若者、特にZ世代ではわりと普通に行われているとの事。
なぜそんな事をするかと言うとタイパを重視してあらすじだけわかればいいとか過度の期待をしないで良いという理由があるそうだ。
タイパいわゆるタイムパフォーマンスは最近色々な場面で非常に便利に使われている。
ちなみに私はこの言葉が大嫌いである。
材料費や人件費などのコストの事をパフォーマンスで表現するのはまだ理解できる。
しかしそれにかかる時間まで管理するタイパと言う言葉は薄っぺらくてこの言葉を使っている人と出会うと何でもかんでも流行の横文字を使うんじゃないバカめとやや口汚くなってしまう。
これから書くことは多分に懐古的で時代錯誤だと思われるが、あえて自分の記憶を辿らせてもらう。
私が子どもの頃はファミコンの人気が圧倒的だった。
女子はともかく男子でゲームをしない子はほとんどいなかった。
そして一番人気があったのがRPGだった。
その中でも白眉は何と言ってもドラゴンクエストシリーズだった。
私を含む友達みんなが夢中になったのは小学五年生の時に発売されたドラゴンクエスト3だった。
ゲームの発売自体が社会現象になるくらいの作品で発売日に買えない子もたくさんいた。
そうなると運よく発売日に買えた子どもたちとそうでない子たちの間に何となくぎくしゃく感がうまれる。
ゲーム雑誌もドル箱記事であるドラクエ3の攻略情報を大々的に掲載した。
我が家は発売日に買えなかったのでその日からドラクエ3情報は一切シャットダウンした。
学校の昼休みにドラクエ3の話題が聴こえてくると耳をふさいで教室の外に出て人気のない階段裏とかで時間を過ごした。
その頃の私の頭の99.99999%はまだ未知のドラクエ3を遊びたいという欲に餓えに飢えていた。
そして一か月後にパチンコで大勝ちした父が悪名高き抱き合わせ販売をしていたケチなおもちゃ屋さんからドラクエ3を買ってきてくれた時には感情が大爆発した。
父に抱き着いて何度も何度もお父さんありがとうと半ば涙交じりで大感謝した。
そしてカセットを本体に差して電源を入れた時にはコントローラーを持つ手が震えてきた。
最初の町で酒場で仲間を登録してその仲間と一緒に街の外に初めて出た時の胸の高鳴りは今でもはっきりと覚えている。
その日からゲームは一日一時間宿題を終わらせてからと言う我が家ルールを守るべく兄と一緒に毎日爆速で宿題を片付けてファミコンに齧りついていた。
今のゲームと違って中断が出来ないので一時間でセーブするのが難しくて母にもう一時間経ったよ!と叱られることもあったが冒険はジワジワと進んでいった。
その間に攻略情報の類は一切耳に入れなかった。
その頃にはとっくにクリアした子も出てきていたので余計ネタバレが怖かった。
そしてラスボスの名前が判明して驚きの展開があり、そこからゲームは一日一時間の壁と戦いつつ絶望的に強いラスボスを打ち倒してエンディングを見た時は兄と一緒に感動して泣いた。
兄と二人がかりだったが自分たちで頭を捻ってクリアした時のドーパミンは異常なほど分泌していたと思う。
何だか話が長くなったが、タイパを気にしたりとかネタバレ消費をしてしまったらこの感動を味わう事は一生なかったと思う。
確かに世の中は私が子どもの頃に比べて仕事も娯楽も選択肢が爆発的に増えてややこしくなった。
○○世代という言葉で一括りにするのは私はあまり好きではないのだがZ世代と言う言葉も一般的になった。
産まれた時からパソコンやスマートフォンなど情報過多な端末を簡単に手にできる若者からしたら多すぎる選択肢は逆に困るのかもしれない。
後は過剰に期待したくないという自己防衛があるのかもしれない。
世の中には人生観が変わるくらいの映画もあれば何じゃこりゃという映画もある。
マンガやゲームの世界も然りであろう。
とはいえネットで事前情報を一切入れずに何かに没入するのはとっても快感なんだよという事は教えてあげたくなる。
インターネットの情報だけでは分からない映画での小道具の意味とか俳優さんの演技は必ず存在する。
効率重視の世の中は一見スムーズかもしれないが無駄に思えるものにこそ本質が宿っていることは意外とよくあると思う。
自分の全く知らない未知の世界の扉を開ける時のドキドキは若ければ若いほど刺激になるはずである。
たまには前情報を一切なしにエンターテイメントに向き合ってみてはいかがだろうか?
あまりくどくどと書いていると新聞の老害の投書みたいになるのでこの辺にするが、最後に一言。
世の中は知らないことだらけだから面白いんだぜぃ。